- この本の趣旨
- (戦争末期を除き)戦時中が日本にとって暗い谷間でだったという見方をくつがえすこと。
- まとめ
第6章 海外日本人と祖国−海外同胞大会
結び
- 大衆的な過去の記憶形成・余暇旅行による国家イデオロギー促進・史跡観光と体制支持(288頁)
- 「大衆的な過去の記憶形成に果たす史跡観光の役割は、K12教育〔米国の幼稚園から第12学年=高校3年までの13年間教育〕や、この分野で(両者はしばしば連関しているが)マスメディアが果たしている役割と同じく強い影響力をもっている。したがって、歴史学者が大衆的な歴史記憶のベクトルを論議する際には、史跡観光をしっかりと検討すべきであろう。」
- 「次第に増えてくる旅行関連の記録から明らかになってくることがある。それは1930年代には、世界じゅうで政治的な理念を異にする体制が、余暇旅行を国家イデオロギー促進に利用すべきだと考えるようになっていたことである。相当数のドイツ人が、ナチス時代も祖国観光を続けていたというのは驚きかもしれない。その同じときにナチス政権は凶悪な犯罪に関与し、想像しうるかぎりの最新鋭手段を用いてジェノサイドを実行していたのである。とはいえ、ここで問題にするのは、近代性の別の側面ではない。」
- 「むしろ問題は、国の史跡観光が、もっとも不愉快な政府のもとでも存在し、流行していたということである。史跡観光はまさに体制を支えていたのだ。全面戦争に向けて、近代社会では大衆動員がなされていったが、それに関して国をまたがって書かれた記述は、この時代に史跡観光が果たした役割をより広くとらえるのに役立つであろう。広い意味でいうと、平和時、戦時にかかわらず、国の史跡観光は、近代社会に暮らす人々を動かし、それによって現行の国家イデオロギー(時にそれは広く行き渡っているイデオロギーと対立する場合もあったが)を流布させるための手段なのである。」
- 国民が積極的に支えた戦時体制(290頁)
- 勤労奉仕隊と万世一系思想(290-291頁)
- 「皇室関連の場所を拡張したり整備したりする勤労奉仕には、大勢の日本人が参加した。それは近代性と神秘性が結合した実例のひとつだった。100万人以上の帝国臣民を帝国じゅうから奈良県に移動させて(たとえば満洲国の協和青年奉仕隊は汽船と列車を使って到着している)、短期間、史跡の拡張や整備にあたらせるのは、近代でしかみられない試みである。万世一系思想を特徴とする神話=歴史に、勤労奉仕隊はすっかり教化されていたが、その神話=歴史は神秘的な呪文のような重々しい言説で飾られていた。このロマン主義的ナショナリズムは、反動的モダニズムの反動的な部分をなしていた。神武天皇聖蹟調査委員会が神武天皇の物語に信憑性があることを近代的な社会科学によって立証したことなども、こうした奇妙な結合を示す同様の例である。」
- 現代における万世一系思想(296頁)
- 「〔……〕かつての八人の女帝のように、女性天皇が皇位について、民の保護者であるかのようにふるまうのがいやだというのではない。それよりも問題は、その後継者が女性天皇の血を引く者となってしまい、皇統が男子の血統をつぐ皇子に戻らなくなってしまうことだというのである。2006年に悠仁親王が誕生したとき、日本の政治家はすぐに皇位継承問題は解決されたと宣言し、ジレンマに取り組むのをやめてしまった。このジレンマは国家の神話=歴史にからんでいたから、万世一系思想の影はほとんど消えかかっていると思っていた評論家のなかには驚きを隠せない者もいた。そのとき日本における男女平等、あるいは21世紀における日本の立場は二の次で、それよりも「伝統」を重んじる要求、つまり女性が国家の象徴を務めるのを禁じる法律を維持するほうが大事であることが露呈してしまったのである。」
原武史「解説 昭和史の見直しを迫る」
- 「聖地参拝」は「遊楽旅行」ではない件について(297頁)
- 「鉄道省編纂の『時間表』(いまの『時刻表』)1940(昭和15)年10月号(日本旅行協会発行)の表表紙には、ダイヤ改正を意味する「時間大改正」の文字とともに、機関車の動輪のイラストが描かれ、その縁に当たる部分に「国策輸送に協力」「遊楽旅行廃止」と書かれている。これだけを見ると、すでに戦時体制下に入り、「贅沢は敵だ!」というスローガンが叫ばれていた時代に、いかにも軍隊の輸送に代表される「国策輸送」が優先され、観光旅行が控えられていたような印象を受ける。ところが、同じ『時間表』の裏表紙を見ると、大軌参急電鉄、いまの近畿日本鉄道(近鉄)の広告が全面を覆っている〔……〕広告の一番上には横書きで「聖地参拝」と書かれ、その下には縦書きで大きく「伊勢大神宮」「橿原神宮」「熱田神宮」の文字が並ぶ。〔……〕つまり、観光旅行を控えるどころか、大軌参急電鉄に乗れば、大阪、京都、名古屋からこれだけ早く伊勢神宮、橿原神宮、熱田神宮に行けるということを、大々的に宣伝しているのである。鉄道省編纂の『時間表』で、一私鉄が「聖地参拝」を積極的に呼びかけていることにも注意すべきだろう。
- 1930年代観光ブーム(299頁)
- 丸山眞男への疑義(300頁)
- 1940年が観光ブームの頂点(303頁)
- 「紀行作家の宮脇俊三(1926-2003)は、『増補版時刻表昭和史』(角川書店、1997年)のなかで、「昭和12年7月の盧溝橋事件以降、鉄道も戦時型の体制へと切り換えられていったのであった」としながらも、「それは概観であって、実態を見ると、旅客の急激な増加には『国策輸送』とは無縁なものも含んでいた」とする。「『不要不急の旅行はやめよう』のポスターが駅々に貼られるようになったのは、昭和15年の夏頃からだったと思う。それは『不要不急の旅行』者が多いことの証左でもあった」とも述べている。時代の体験者が語るこうした回想は、本書の見方を裏付けている。ただし、宮脇俊三は1939年4月に実施された「観光報告週間」を例にあげながら、伊勢神宮に参拝して武運長久を祈るといった建前さえあれば、内実は遊山旅行であっても大手を振って通れたことに注意を促している。」
- 「1940年が観光ブームの頂点であったことは、宮脇俊三も証言している。翌年になると、宮脇が通っていた学校でも、教頭が朝礼で、「文部省から、今年の夏休みはいっさい旅行してはならない、対抗試合のための旅行もしてはならない、との通達があった」と言ったという。1943年2月には「戦時陸運非常体制」による列車ダイヤの改正が行われ、旅客列車が大幅に削減されている。」