雑録

バラク・クシュナー/井形彬訳『思想戦 大日本帝国のプロパガンダ』(明石書店、2016)

  • この本の趣旨(31-32頁)
    • 「戦時下日本のプロパガンダのより詳細な分析が重要である理由として、以下の二点が挙げられる。第一に、戦時下日本の目的追求を下支えした当時の社会心理を浮かび上がらせること。第二に、日本の一般大衆は戦争の積極的な参加者であり、単なる政府関係者や軍事指導者の追随者ではなかったことを明らかにすることだ。」

以下本文抜粋

  • 小山栄三の観光論(80,82-83頁)
    • 「日本のプロパガンダ概念を構築し、その実践方法を考案した一番の立役者は小山栄三だ。小山は、教育、人種と人口、娯楽動員、健康と都市問題、メディア研究といった幅広い分野における、多作な学者・翻訳者・教授・研究者・政府コンサルタントであった。〔……〕1942年、小山は企画院調査部に入ると同時に、文部省民族研究所において民族性と文化に関する研究を続けている。また、小山はこの研究所で、中国本土で収集され、その分析のために日本に送られてきた反日プロパガンダの分析を行う機会を与えられていた。〔……〕小山はまた、国際世論を形作る上で観光が果たす役割を熱心に論じていた。日本の観光政策は、鉄道省国際観光局の管轄下にあった。しかし、外務省も日本に観光に訪れる外国人に対する政策に関与していた。雑誌『国際観光』の1ページ目には、観光の戦略的重要性が説かれている。観光は国際世論に影響を与え、また兌換可能な国際通貨の獲得という形で財政的にも貢献する。「われ等国際観光事業に携わる者、聖戦下のわが正しき国情文化を中外に宣揚して外界対日世論の是正好機転に資すると共に、善意の外客を誘致して非常時経済国策に多少の寄与をなし得た事はひそかに歓びに堪えないところである。【脚注49】」」
      • 【49】 『国際観光』、1938年10月号、1頁
    • 「小山は『国際観光』への寄稿論文でも、具体的にどのようにして観光が良好な日中関係へと繋がるかについて語っている。中国人を理解するには、日本人は中国人がどのような生活を送っているかを分析し、その民族性を理解しなければならない。この状況を最大限に生かすには、日本が支配する東アジアという「新秩序」を活用することが重要であると主張している。【脚注50】」
      • 【50】 小山「観光政策と民族認識」
  • 鉄道省管轄下国際観光局(89-90頁)
    • 「政府組織・文民官僚・軍部の相互関連性を最も的確に浮かび上がらせているのが、日本の戦時観光業だ。政府官僚や軍当局者から道行く一般人まで、日本国民の大多数が、日本はその近代性を世界に知らしめる必要があると心から信じていた。観光はこの広報政策の中心となった。この一環として、鉄道省の管轄下にある国際観光局は、中国にプロパガンダ映画作成担当者を送り込んでいる。そこで行われたプロジェクトの一つが『あなたの知らない日本』という映画シリーズを、中国語のパンフレットと絵葉書と共に配って回ることだった。ここでは日本関連の絵が描かれた二万枚のパンフレットが作成され、日本陸軍和平工作部隊、宣撫班(占領地域の秩序維持を任務とする特別班)が中国人一般大衆に対して配布を行った【脚注61】。これらのパンフレットには、日中間の友好的な歴史が記されている。また国際観光局は、36万枚に上る絵葉書の印刷・配布も行っている【脚注62】。」
      • 【61】木場『陸戦隊宣撫記』。島崎『宣撫班』。賀川『北支宣撫行』。中野實「宣撫班から」。
      • 【62】『国際観光』、1938年1月号
  • 政府と観光業の緊密な関係(90頁)
    • 「政府と観光業界の緊密な関係は、旅行会社が自身の商品作成に政府資金援助を適用することを可能にした。1931年、満州への進軍からたったの数年後で、1937年の中国侵略の数年前となる時期に、ジャパン・ツーリスト・ビューロー(JTB)は外務省の天羽英二情報部部長に、雑誌『ツーリスト』への寄稿を要請した。天羽英二は国際的な教育を受けている著名な官僚で、日本の「アジア・モンロー主義」を発表することで国際的に物議をかもした人物だ【脚注63】。天羽は、東アジアの秩序は日本の責任であるため、欧米は中国に援助することを控えるべきであるという政府の立場を表明している【脚注64】。1934年11月20日、天羽は要請された手記を『ツーリスト』に送付した。天羽はJTBに日本語と英語で二つの手記を送っており、英語の手記には「観光業界の印象」という題が付けられている。天羽は日本の伝統に誇りを持ち、日本人は「ちっぽけな列島に住むアジア人でありながらも、国の結束を保ち続けている素晴らしい国家であり、75年にわたり比類なき発展を遂げてきた」と語っている。」
      • 【63】Nagasaka,"New Information Chief Amau." / 天羽英二日記・資料集刊行会編『天羽英二日記・資料集 第4巻』、692-698頁
      • 【64】Wenhua gongyingshe,ed.,Kangzhan jianguo shouce,p.657.
  • 日本政府による国際・国内世論形成手段のための観光利用(96-97頁)
    • 「日本政府は、観光を国際・国内世論の形成手段として利用していた。1938年9月19日、観光業界・メディア・政府の有力関係者が東京鉄道ホテルに集い「『事変下の国際観光事業を語る』座談会」」を行っている。参加者には、岩本清同盟通信社外通部長、小野賢一郎日本放送協会文芸部長、近衛秀麿子爵、近衛文麿内閣総理大臣秘書官、大手百貨店や人気女性レビュー「宝塚歌劇団」の創始者である小林一三朝日新聞編集員鈴木文史朗らが名を連ねている【脚注82】。この座談会では、観光業とプロパガンダに関する二つの複雑な論点が検討されている。第一に、効果的なプロパガンダを制作するにはどのような手法を用いるべきか。第二に、このプロパガンダを海外顧客に対して、どのように伝えるべきかが議論されている。」
      • 【82】「『戦時下の国際観光事業を語る』座談会」『国際観光』、1938年10月号、36-52頁。
  • 東京と満州の都市計画(98頁)
    • 「日本の観光パンフレットは、新たな満州国の首都となった新京を、未来の桃源郷のような都市であるとして褒め称えている【脚注85】。現代的な都市の最先端をゆく街として喧伝された新京は、街灯整備や都市全域に及ぶ下水道システムを含め、様々な最先端のイノベーションを用いることで、日本がアジアにもたらす近代性を世界に示そうとした【脚注86】。東京と満州国の都市計画は、国家紀元2600年と重なる1940年にオリンピックを誘致しよう、という壮大な国家プロジェクトにも絡んでいる。日本政府の内部文書に描かれている紀元2600年記念式典とオリンピックを同時に挙行する青写真は、日本がこの機に乗じて「真の日本に対する国民の自覚を強化しまた公正なる日本を内外に顕示し以て国力の充実に寄与し国威を宇内に宣揚して国運の隆昌を期するに在り」とその趣意に明記している【脚注87】。」
      • 【85】川村『満洲鉄道まぼろし旅行』。石塚・成田『東京都の百年』
      • 【86】越沢『満洲国の首都計画』
      • 【87】内閣『紀元二千六百年祝典記録 第一冊』、850頁。国立公文書館所蔵〔請求番号:本館-2A-037-04・紀00001100〕
  • 満州への日本人旅行者の増大(98-99頁)
    • 「1940年のオリンピック開催権を日本が勝ち取るまでの数年間、満州への日本人旅行者数は大幅な増加を記録している。1930年には幾つかの大手ホテルが、増加し続ける日本人観光客に対応するため、大連に豪華な宿泊施設を開業している。1941年、太平洋戦争勃発前には、JTBは現地中国人をスタッフとして雇わなければ、増え続ける日本人旅客がもたらす需要に追いつけない状況になっていた。この旅行者の大半は高所得者層であったが、他にも修学旅行や田舎からの団体旅行客も少なかった。1930〜39年の間、満州への日本人観光客は53万人から百万人弱にまで増加している。また、ハルビンのホテルに滞在した観光客は、1934〜39年の間に二万人から百万人近くにまで飛躍した【脚注89】。さらに、1937年、日本が中国に全面戦争を仕掛けたことが、外国人旅行者に日本を訪れることを思い留まらせるには至らなかったようで、大日本帝国を訪れる外国人観光客の足並みは途絶えなかった。1940年夏の7、8、9月は、いずれも記録的な数となる観光客が日本を訪問している【脚注90】。」
      • 【89】Young,Japan's Total Empire,pp.260-266.
      • 【90】運輸調査局編『日本国有鉄道版日本陸運史料』、99頁。