Erewhon「阿式十子シナリオ」の感想・レビュー

封建的束縛からの女の解放を目指すも、因習に抗えずに終わる。
主人公くんは近代的自我の確立を唱えるも、十子には届かず寧ろムラの為に犠牲にならんとする。
自分の近代性が前近代的ムラ社会で逆効果になったことに絶望した主人公には二つの選択肢。
来訪神である特権を利用して十子の自我を奪い支配するか、ムラの公衆便所の肉便器に堕とすか。
前近代における歌垣の風習を追体験できる。実際はどんな感じだったのでしょうね?

封建的束縛と近代的自我の確立

  • 因習に盲従する前近代的思考停止社会
    • 物語の舞台となる近世的な農村社会では、ムラの祭祀を司る一部の特権層において一種の神権的な支配が行われています。因習、しきたりに盲従することしかできないのです。しかし、それはムラの秩序を維持するために選び取られてきたシステムであり、マレビトである主人公くんにはどうすることもできないのです。しかし、近代社会の教育を受けた主人公くんにとって、前近代的な物の考え方は奇異に感じるため、愛した女の解放を試みます。ヒロインの十子は特権層の生れであるため、ある程度の自立的な思考を持っており、主人公くんは当初お互いを理解できると淡い期待を抱いてしまうのです。十子自身、当初は親からの押し付けであったが、今では自らの意思で村を守りたいと述べています。そんな十子に主人公くんは、もっと自由意志を示して良いんだ!と促します。
  • 啓蒙しようと足掻いた結果
    • そんな時、突如、十子の父が発狂し、余命幾ばくもない状態に。村には秘伝として伝わる不老長寿の肉があったのですが、十子はムラが飢饉になった時に使うものだといって、その使用を拒みます。そこへ主人公くんが自由意志を唱え、個人としてワガママになって良いんだ!!と入れ知恵して、十子はその肉をゲットすることに成功。しかしタダでは手に入らず、十子は祭りで生贄になることを承諾してしまうのです。主人公くんは、自分の意図とは反する結果になったことに、焦ります。そして、苦し紛れに、もしその肉がホンモノでなければ、十子は生贄にはしないと約束させるのですが・・・それは暗に「ホンモノでなければ良い=十子の父の死」を願うことに繋がってしまうのです。
  • 十子の発狂
    • 結局、肉はニセモノであったので、十子の悲運は免れるかと思われたのですが、ここで十子も発狂。主人公くんは、自分の感覚・感情を分かち合える存在として十子を見出したのに、結局十子も因習に縛られるだけの存在であったことに絶望します。十子の発狂を演技として捉える場合、十子の自我を否定して独占支配するエンドとなります。また、十子の発狂をホンモノと捉えると、いつものムラの祭りの如く、みんなで歌垣をして乱交へと発展します。歌垣はよく文学作品の題材となったりしますが、実際に読むとえぐいわね。