【研究指導】日本における満洲イメージの創出・支配の正当化の装置としての観光

研究論文の要旨を図解フローチャートでプレゼンした際に指摘されたことのメモ。

  • 要旨を言葉でまとめると以下の通り
    • 【1】問題意識と問題設定 テーマと具体的な題材
      • 問題意識の根底にあるのは「ヒトの移動」つまり「なぜヒトは移動するのか」。この問題意識のもとに問題設定を行うと「帝国と植民地間の人の移動」についてテーマを絞れる。帝国と植民地間のヒトの移動については、定住移民・一時的な労働力移動(出稼ぎ・都市労働者)・ビジネス(商用)・軍隊・鉄道・ツーリズムなどがある。ここでは、特別な事情がなくとも「一般民衆」でも帝国間を移動していた流動性に着目し、ツーリズムに焦点を当てる。
    • 【2】帝国観光
      • 帝国日本では帝国観光が奨励されていた。何故かというと現地視察をすることで、その植民地を正当化する手段としていた。つまりは帝国日本にとって都合の良い虚像として植民地のイメージを創出し、それを実際に追体験させることで、支配の正当性を帝国臣民に再認識させていた。
    • 【3】満洲イメージの創出装置
      • 帝国日本の植民地・勢力圏としては、樺太満洲・台湾・南洋・半島・北海道・沖縄が挙げられる。全てをやることはできないのでこの研究では満洲を扱うとする。
      • それでは、満州国に対してはどのようなイメージが形成されていたか。満洲像を創出する装置としては、紀行文などの文学作品、旅行雑誌や大衆雑誌などの雑誌、新聞報道、博覧会、学校教育(地理)などが挙げられる。このようなメディアを通して、日本人の間で満洲像が認識され共有されるようになっていった。これらの情報により、満洲旅行に対する欲望が喚起され、人々はその追体験をするために満洲へと旅行した。
    • 【4】現地社会の変容
      • 日本人が満洲国に旅行する際、受け入れ側のホストも変容する。観光資源の開発と整備が行われた。満蒙の特殊権益を正当化するための戦跡、満洲像を形成するための博物館、移民を奨励するための模範開拓団の視察旅行、湯治を目的として物見遊山を正当化する温泉、異国情緒を味わせるための哈爾浜(ロシア情緒)や奉天(歴代満洲皇帝陵墓)の都市開発、近代としての新京など。日本人が観光すること、現地社会も受け入れ態勢を整備した。
    • 【5】日本近現代史における位置づけ(歴史的意義)
      • 満洲観光を扱う歴史的意義については、観光が持つ植民地支配を正当化させるための装置としての役割が浮き彫りとされり。この際、イギリスやフランスなどの他の帝国との比較に繋げられる。
      • 満洲観光を通して、帝国日本の大陸政策をとらえ直すことができる。生命線や対ソ戦のための満洲という認識を国民にどのように持たせようとしていたのかが明らかになる。

以下、指摘されたこと

  • (1)満洲全体の経済事情を把握すること
    • 【指摘】満洲国は経済的に疲弊するものの、関特演でカネが落ちで経済が復活するなどの事例があるため、満洲国の個別具体だけでなく全体像を把握しておかなければダメ。
    • 【買え読め】山本有造を読め!
  • (2)戦争とツーリズム
    • 【指摘】戦時体制により勤労奉仕や労働力移動などが起こると、農村から切り離され工業労働が増えた。そして軍需インフレなどが起こると労働者たちの休日の過ごし方が労務者たちの管理で問題となった。そのため、彼らの慰安のために旅行を奨励し、団体で観光を行ったりした事例がある。
    • 【買え読め】高岡裕之を読め!
  • (3)樺太の温泉開発の事例
    • 【指摘】樺太でも温泉開発が行われては賑わった。しかし、1930年代になると北海道に来やすくなったので樺太人たちは北海道の温泉に入りに来るようになった。こうして樺太の温泉は潰れた。この樺太の事例などのように戦時期のツーリズムにより発展した観光地と衰退した観光地があることに留意せよ。
    • 【買え読め】樺太の温泉を読め!
      • 池田貴夫「日本領期の樺太における温泉開発と温泉をめぐる人びとの精神誌」(白木沢旭児 編著『北東アジアにおける帝国と地域社会』、2017)
  • (4)満洲の都市計画
    • 【指摘】満洲国の都市建設として近代性を示す都市として長春満洲の雰囲気を色濃く残す奉天などがあった。非日本人、つまりは中国人たちも旅行・観光している。安東には中国人のための観光名所などが整備されていた。何を見てもカネを落せばよい。長春には駅が複数あったエピソードなど。
    • 【買え読め】越澤明を読め!
  • (6)地域社会の変容
    • 【指摘】日本の映画や娯楽、百貨店や満鉄も中国人が利用していた。日本人の客だけで成り立つはずがない。中国人が利用していたからこそ、現地社会も変容していく。日系資本だとしても中国人が利用していた。アメリ進駐軍時代の日本を思い出せ。アメリ進駐軍のためにアメリカンな店が出来ていたが、そこの店とかエリアとかはアメリカ人だけじゃなくて日本人も利用していただろう?とのこと。
    • 【質問】当時の満洲国における中国人の動向はどのような資料から分かるのですか?
    • 【お答え】当時の新聞を読め