原敬「海内周遊記」第七報・第八報 (『原敬日記』6巻、福村出版、1967、52-73頁) まとめ

1881(明治14)年、郵便報知新聞記者であった原敬が25歳の時、東北・北海道を周遊した際に記した「海内周遊記」。そのうち、北海道に関する記述である第七報(7/16〜8/1)・八報(8/1〜8/14)のまとめ。

※正確なものではないが、原敬が通ったルートはだいたいこんな感じ

(1)箱館〜小樽

(2)札幌〜室蘭(a.札幌-幌内-札幌 b.札幌〜室蘭 c.室蘭-伊達-室蘭)

(3)室蘭〜箱館

第七報(7/16〜8/1) 箱館〜小樽 北海道西岸

  • 7/16 箱館滞在
  • 7/17 箱館滞在
    • 博物館、辨天砲台、臥牛山
  • 7/18 箱館木古内
  • 7/19 木古内〜福島
    • 木古内→知内(開墾地訪問)→福島駅
      • 肥沃な土地の様子
  • 7/20 福島〜江良
    • 福島→吉岡→福山(郡役所・城址)→根部田→札前→赤神→雨垂石→茂草→清部→江良町
      • 福山は松前藩という政治的な理由で発展
  • 7/21 江良〜江差
    • 江良→原口→小砂子→石崎→鹽吹→木之子→上之國→五勝手→江差
      • 熊の出没、水田の発展、江差港の繁盛
  • 7/22 江差〜熊石
    • 江差→泊→田澤→柳崎→乙部→小茂内→三ツ谷→蚊柱→相沼内→泊川→熊石
      • 水産のみで開墾せず
  • 7/23 熊石〜漁師の家
    • 熊石→久遠→【日が暮れて太櫓に辿り着けず】
      • 釜の湯に入る
  • 7/24 漁師の家〜島歌
    • 漁師の家→三本杉・蝋燭石→瀬棚→虻羅→島歌
      • 優秀な土人、和語を操る土女ウエンシユラ
      • 瀬棚のアイヌに対して「吾輩の見たる土人中、文身断髪被左袵夷狄の風に缺處なき者もあれど、又之に反せる者もありき。又聞く處にては近来學校に入る子弟も少なからず、其敏なる者は倭人の及ぶ處にあらざる由なり。誠に喜ばしき事なり。」と述懐。
  • 7/25 島歌〜永豊
    • 島歌→スツキ→モツタ岬→アナフトの洞穴→千走→永豊
      • 漁業に関するコメント
  • 7/26 永豊〜壽都
      • 永豊→輕臼→本目→歌島→壽都→潮路
      • 壽都の繁栄、王化の外
  • 7/27 潮路〜茅沼
    • 潮路→歌棄→横澗→島古丹→野束→岩内→茅沼石炭山→ホリカップ→茅沼
      • 開墾地岩内が全然開墾されてない
  • 7/28 茅沼〜岩内
    • 茅沼→石炭山→ホリカップ→ハッタリ→ホリカップ→岩内
      • 鉱山のお雇い外国人問題、岩内の売春婦
  • 7/29 岩内〜余市
    • 岩内→稲穂峠→御手作場→余市
      • 豊肥な御手作場が未開墾
  • 7/30 余市〜小樽
    • 余市→山田→黒川→仁木村→鹽谷→小樽
      • 仁木村の開墾、小樽本道整備、小樽港の繁栄
  • 7/31 小樽滞在
    • 樽見学(量徳学校・郡役所・波止場・停車場)
      • 船の荷揚げと鉄道、汽車に乗れず
  • 8/1 小樽〜札幌
    • 小樽→銭箱→札幌
      • 汽車での移動、内地でも簡易鉄路の長延を

第八報(8/1〜8/14) 札幌滞在〜東廻りで箱館

  • 8/1 札幌滞在
    • 札幌着、区画・市街について
      • 洋館、札幌の区画、島義勇の功績
  • 8/2 札幌滞在
    • 招魂祭・本庁・工業局・木挽所・紡績場・製網場・麦酒製造所・農学校・空知農学校園・勧業課試験場
      • 開拓使の工業製作の民営化について
  • 8/3 札幌周辺
    • 札幌→眞駒内牧場→山鼻牧羊場→琴似屯田→下手稲村→札幌
      • 牧畜の適性、富裕の源
  • 8/4 札幌周辺
    • 札幌→篠路村→バラトの渡→石狩→罐詰製造所→札幌
      • 島義勇崇拝、路傍の樹木の乱伐、清国人移住(スルー)
  • 8/5 札幌滞在
    • 終日旅寓→晩は市街遊歩
      • 蝗害駆除の概況を聞く
  • 8/6 札幌〜幌向
    • 幌内石炭山へ移動(雁来→對雁→江別川→シベツ→幌向)
      • 基督知る土人、対雁に移住した樺太アイヌ
      • 樺太アイヌの容貌を見て「殆ど支那人の如き容貌にて一般に逞しき顔色なく誠に柔弱なる気風あり。〔……〕叱る故にやアイノ人と雖も往々之を嘲笑して樺太のアイノは不潔甚だしく醜気の為に其屋に入るを得ずなど云へり」と叙述
      • 対雁における樺太から移住したアイヌが通う学校を視察して「土人中俊秀の者なきにはあらざれど、概して之を云へば数百年来文盲に生死せし者なれば其進歩も著しからずと聞く」と述べる。
  • 8/7 幌向〜幌内
    • 幌向→幌内石炭山→官舎で宿泊
      • 鉱山開発に対する意見
  • 8/8 幌内〜幌向
    • 幌内→徒歩移動→幌向
      • 蚊虻。「此般旅行中未だ嘗て遭遇せざる苦艱」
  • 8/9 幌向〜札幌
    • 幌向→幌内→石狩川下り→對雁→苗穂(監獄署)→札幌
      • 囚人が少ないので原野の開墾をさせる見込み
  • 8/10 札幌〜苫小牧
    • 札幌→月寒村→島松→千歳→美々(鹿肉罐詰製造所)→苫小牧
      • 蝗軍なり駆除なりその状況猶ほ戦争の如し
  • 8/11 苫小牧〜新室蘭
    • 苫小牧→白老→フシコベツ→幌別→新室蘭
      • 樽前火山不毛の地、幌別のアイノは和人を使役
  • 8/12 新室蘭周辺
    • 新室蘭→舊室蘭→紋別→舊室蘭→新室蘭
      • 紋別の伊達氏の開墾の成果
  • 8/13 新室蘭〜船(森港へ)
    • 室蘭港滞在→夜12時森港へ
      • 良港室蘭港、室蘭-札幌間の鉄道の必要性、土人教育
  • 8/14 船(森港着)〜箱館
    • 船→森港→駒ヶ岳→大沼小沼→勧業試験場→箱館
      • 北海道の農業について

「海内周遊記」における北海道に対する原敬の意見

  • 【北海道鉄道整備計画】原敬、室蘭港を見て北海道の鉄道開発を唱える(「海内周遊記」八月十三日、『原敬日記』6巻、福村出版、1967、68頁)
    • 室蘭-札幌接続案
      • 「〔……〕室蘭港内を通観して〔……〕全土無二の良港のみならず、恐らくは内地と雖も此港の右に出るもの多からざるべし。唯だ惜らくは此港未だ充分の用をなさず〔……〕是れ職として東海岸に漁業の盛んならざるに由ると雖も安んぞ札幌に達する鉄路なきが為めならざるを知らんや。〔……〕此間には是非鉄路を設けて東西両海岸を連接し厚岸地方より輸送するものは固より論なく西海岸の物産にても輸送の便をここに求むるに至らしめざるに可らず。〔……〕札幌より鉄路を敷て室蘭に接せば取も直さず西海の小樽港と東海の室蘭港と連続し物産運輸の為め此上もなき便利を得るのみならず、室蘭港より箱館を経由せずして内地東海の各府県に転輸するを得べし。」
    • 全道鉄道計画案
      • 「〔……〕況や此必要なる鉄路を設けざるが為めに他に大事業の起こりたるにあらざるに於てをや。当初何は兎もあれ此等鉄路の如き大に全道の規模に注意したらんには今日に至つて世人の異議を来たす如きこともなかるべし〔……〕将来に希望する處は務めて全道開拓の規模を立てて小利害に区々たることを止め、以て大に開進を謀るべし。」
  • アイヌ問題】原敬アイヌ人に対しては同化政策を唱える。(「海内周遊記」附記、『原敬日記』6巻、福村出版、1967、70頁)
    • 「〔……〕此禽獣視されたるアイノ人も維新の徳澤に浴して始めて人類となれば昭代の美事と称するも猶ほ余あることと云ふべし。〔……〕所謂アイノ人は容貌骨格実に上等の人種にして其顔色の逞しきなどは外人に比するも一歩を譲らざるべし(樺太土人は少く下れり)。此の如き人種を教育し能く和人の地位を保たしめれば其国家の富強を盆する蓋し量る可からざる者あり。〔……〕其務に当る者力の及ばん限りは此アイノ人をして遂に日本上流の偉丈夫たるに至らしむるを怠る勿れ。」
  • 【漁業問題】原敬、ハイリスクハイリターンな漁業の大利を求めて開拓民や東北の労働者が北海道の漁業に走ってしまうという弊害を指摘する。(「海内周遊記」附記、『原敬日記』6巻、福村出版、1967、70-71頁)
    • 「〔……〕此漁業あるが為めに内部の農業を妨げ及び内地府県の事業を害する〔……〕漁業の大利あるが為めに人々争ふて漁業に従事し、巨多の海産物を得るに反して農事は之が為に盛んなるを得ず〔……〕是を以て北部に移住して開墾に従事せんと欲する者も、或は漁夫と変ずるあり、よしや漁夫と変ぜざるとも其使役する人夫等争ふて漁場に走れば遂に農事に従う能はず。以上述ぶる如きは北地内部農業を害する一例なり。」
    • 「〔……〕奥羽地方は猪苗代開鑿を始めとし至處の鉱山工場は皆人夫を得ざるを苦しむ。是他の原因あるにあらず、何程高き賃金にても北海道の漁夫に及ぶ者なければ争ふて北地に赴き(婦人と雖も猟時は五六十円を得ると云)労力に堪えぬ老若は知らず他は鉱山や其他の工場などに区々たる者なし〔……〕此漁業ある為めに工業に苦しむ府県は特に二三のみならず〔……〕」
    • 「〔……〕農業者は農業者と定まりて各其所を得て恰も内地の如き有様に至るまでは成るだけ農業者をして其業を失はしめざるを要すと、多く器械を使用して成丈け人力を省くとの二方あるのみ。然らずんば北地は永く漁場となりて農工の産恐らくは起こる能はざるに至るべし。」
  • 【開墾】原敬、北海道開墾には決心が必要だと述べ、開墾に関する二つの弊害を指摘する。(「海内周遊記」附記、『原敬日記』6巻、福村出版、1967、72頁)
    • 開墾の決心
      • 「〔……〕移住だにせば容易に美田を得るならんと妄信するは目今移住者中に少なからざる幣習なり。是を以て北地に移住したる後容易に目的を変じ、忽ち漁夫と化して終世無頼の徒に陥る如き往々之あり。是れ最も戒むべき事なり。〔……〕一敗地に塗れて却て不良の民たるに至るは皆始めより決心の堅固ならざるが為なり。」
    • 妻子あるものを選ばない(独身者を選ぶ)弊害
      • 「到底開墾の目的を達せんには千辛万苦を辞せざる耐忍力あるに非ずんば大に其目的を達するを得ず、然るを若し独身の者ならんには農業の苦辛を厭ふて例の耒耜を投じて網を結ぶに至るは蓋し亦人情の免れざる處なり。故を以て移住者は成るたけ家族ある者にて利害の最も身に切ならんことを要するなり。」
    • 富裕層が土地を集積するだけで開墾しない弊害
      • 「〔……〕至る處の良野は皆な所有者あり、而して蔓草繁茂して嘗て開墾に着手したることなきもの多し(華族の開墾地の如き殊に多し)。〔……〕今の有様資金ある者妄りに地所を兼併し而して開墾の実効一も挙らず、随て百幣を其間に生ずるは多弊を要せず。」