原敬論(002) 六三法で植民地と見なされた台湾と漸次内地化しつつあった北海道が1896年に拓殖務省にまとめられた。(原敬は一省にまとめることは適当でないと考えていた)

  • 報告者の主張
    • 北海道を「内国植民地」というが、本州との「制度的格差」を受けただけであり、植民地としてみなすのは適当ではないという議論がある。北海道は、衆議院議員選挙法、府県制、市制、町村制等の施行が除外され、参政権地方自治の欠如状態が続いたが、大正10年前後までには漸次回復されていく。だがしかし、1896年、内地化していく北海道と六三法により植民地となった台湾は、拓殖務省にひとつにまとめられた。拓殖務省大臣は、台湾事務局で担当していた台湾に関する政務と、それまで内務省の主管に属していた北海道に関する政務を管理し、台湾総督・北海道庁長官を監督した。「拓殖務省官制案と原敬所見」からは、原が台湾と北海道を一省にまとめることが適当ではないという考えであったことが読み取れる。
    • 拓殖務省は1897年9月に廃止される。拓殖務大臣が廃止されると、台湾総督を統制下に置くことができなくなり、総督が上奏を行う形式となった。これもまた、原敬が主張した内地延長主義とは異なるものであった。