- 著者属性:高等女学校教諭
- 旅行形態:(名目上は)慰問。おそらく自費?「乏しい金と切りつめられた日程とでより多い好果を挙げる所に、真の旅の楽しみがある」(1頁)
- 旅行期間:明確な記述はないが序文から判断すると1933年かと思われる。
- 但し内容は時系列通りではない。128頁の哈爾濱が到着が10月26日、166頁の大連が8月である。
奉天
- 旅行の名目
- →「余が今回の旅行は我愛する教へ子達の心をこめた慰問品を携えて各地に転戦する皇軍を慰問すること」(77頁)
- 関東軍司令部訪問
- 忠魂碑参拝
- 北大営、柳条湖爆破後
- 奉天城城内見学 宮殿→張学良邸→奉天第一のデパート吉順公司→北稜
- 喇嘛寺、天地和合仏
- 赤い夕日
- 支那風呂
- 「〔……〕彼等の入浴は全く享楽の為で、半日でも一日でも、のんびりした気分に浸るのである、そこに大陸的なこせつかない、享楽的人生があると思ふ」
- 11歳の女児と春日通の方面を散歩。平康里(ピンカンリ)に迷い込んでしまう。
- 満洲では「書館」で女を買う
- 「〔……〕看板にはたしかに何々書館と書いてあつた。然し本は勿論陳列されてない、では図書館か、中に入れば本は1冊もなく、支那美人がそこかしこに居るではないか流石に私も驚いた。〔……〕呼び子に応じて奈良公園の鹿が集まるように色取りどりの女が集まつて来る、一々芸名をいふ、其中から好きなのを選べといふのだ。嫌いなら左様なら、といつて出ていく、出ていく者も、中に居る女も平気だ大陸的であつさりしてゐる〔……〕書館の外に「閣」、「堂」と名のある家もある、書館は一流で、閣は二流、堂になると等外のインチキである。又満洲、支那には打茶園といふ事があつて1弗出せば妓女の部屋で夜十二時頃迄茶を呑み漫談をし唄を唄ひ、うたた寝をして帰れる仕組みもある」(93-94頁)
撫順
- 石炭の街
- 大山坑、地下街
- 露天掘り
- オイルセール(油母頁岩)工場
新京
哈爾濱
- 伊藤博文暗殺を偲ぶ
- 埠頭区の繁栄
- キタイスカヤ街
- 「大厦商店が軒を連ね、アスファルトの輝き、馬車、自動車の行き来、白皙の金髪美人の足取りも軽く響くペーヴメント」
- モストワヤ街
- 日本居留民が多く名古屋ホテルを始め朝日館大和館等の日本人旅館は多くここに集まっている。
- 傳家旬
- 松花江
- 夏には水浴場、夜には「曲線美豊かな、けしの花かと思はる美しいロシヤ美人が透き徹るような薄物を纏とふて堤防上をさまようてゐる」
- 夜の哈爾濱
- 「〔……〕劇場に入る。ロシヤ美人のダンスが始まつてゐた。それは心なき人形のやうに只美しいといふ感じに過ぎない。一曲終わつた、終わるとみんなが外へ出て音楽を聞く木陰に憩ふ、酒を飲む、又始まれば次のダンスを観る、斯うして夜の更けるのも知らないのだ〔……〕キタイスカヤのここかしかに点在せる、ハルビン特有の、レストランやダンスホール酒場には、どこにもロシヤ美人が首を延ばしてゐた。殊に線路附近から名古屋館前通りあたりには、偉大なる体格を持つ怪しげな者が濃厚な脂粉を施して頻りに通り歩きの者を魅惑してゐた〔……〕或るレストランの地下室に入つた。ニ三の先客があつてウオツカかウヰスキーか知らないが、盛んにメートルを挙げている。僕らはコーヒーを注文した。四五人のダンサーが居た。間もなく、白系露人のジヤズの音が部屋の片隅から響くとやがて二人の肉付きの良いダンサーが、前に出て踊る。私は斯うした場面を生まれて始(ママ)めて見た」(134頁)
- ロシア革命と白系ロシア人の悲哀
- 「〔……〕ボルシエヴィキの革命の為め白系なるが故に家を奪はれ財を捨て国を追はれてシベリヤへ放浪の旅をつづけ流れ流れて北満の都ハルビンに落ちついたのだ。命丈は助かつたけれ共生きて行くべく余りに弱かつた。一歩外へ出れば過激派の迫害があり、支那官憲の圧迫が来る。そこに彼女等は生きんが為めの享楽生活に身を落として自ら慰めるより外に道がなかつた。それがハルビンをして東洋の巴里とし、エロとグロの国際都市たらしめたのである。〔……〕ハルビンの白系露人程の美しさに優るものは独りもなかつた。スヰートな曲線美、透き徹るような皮膚、白皙豊満な美貌、されは国なき亡国の民、薄命の佳人が如何に多い事か。夜毎夜毎にホテルやレストラン又はバーに現はれ、ペーヴメントの上や、薄暗い街燈の下に現はれて媚を売る又売らねばならぬさすらひの民を憐れまずには居られない。」(136頁)
- ハルビンのキャバレーと裸踊り
- 「「ハルビンにいつたらキヤバレーを見る事だ」と或る本に書いてあつた。そして、満洲から帰つたら友人から「君ハルビンの裸踊りはどうであつた」といはれる程、それはハルビンの名物となつてゐる。だから私もハルビンに於けるプロの中に入れて置いた。埠頭区電車通り北満ホテルのキャバレーは最も大きい蝶々の羽のような服を着たロシヤ女が三十人も居る。お酒の相手もすれば、ダンスの相手もやる、ステージもあつてジャズの音も響く。ソプラノの独唱も始まる。斯ういへば読者は想像つく事であらう。踊る、飲む、唄ふ、煙草の煙が上がる、だがそれ等は皆んなはなればなれで、ジヤズはジヤズ丈でひびく、踊りは踊りだけ、酒は酒、踊りは踊り丈といふ、調和のとれない何といふガサガサであらう。裸踊りをするバーは埠頭区のここかしこに散在してゐる。芝居や活動のはねた十一時過ぎになると、彼女等の魔手はバーの地下室に延びる。其部屋といへば薄暗い中に醜悪極まる絵画を以て充たされてゐる。そこで飲み食い、唄ひ且つ踊り楽しむ、それは皆んなパンと着物の為めであると思うと憐れなものだ〔……〕」(137頁)
- 東支鉄道倶楽部
- 尖塔寺院
- 泥棒市場
- ハルビン一流の百貨店
- 新市街のチューリン商会 → 露人経営、品物は豊富で安くサービスも良い
- キタイスカヤ街の松浦商会 → 日本人経営で売り子はロシア娘、ロシア人ばかりの多いキタイスカヤ街で発展している
吉林
大連
- 埠頭事務所の屋上(市街を概観できる)
- 豆の港、油房工業、日清油房の見学
- 苦力
- 満鉄に採用された苦力は、東山町の福昌華工株式会社の碧山荘に収容される。敷地は3万8千余坪、建物総延坪1万2千坪、収容人員1万5千。荘内には劇場があり、演劇映画、演奏会、相撲などが開催される。慰安の一種としての浴場。「壁山荘は苦力の楽天地、唯一の安息所」(168頁)。
- 苦力の人生観
- 「彼等は第一生きる事であり、そうして金を貯める、貯めたらそれを持つて故山に帰り先づ第一に細君を買める(ママ)、それが彼等の理想といへば理想である。」
- 泥棒市場
- 大連の小盗兒市場は最も規模が大きい。
- ヤマトホテル
- 食堂、浴場、応接室、新聞室、酒場、ライテングルーム、ダンスホール等、各種の娯楽機関が至れり尽くせり。屋上にはルーフガーデン。
- ダンスホール
- 支那風呂
- 星が浦
- 「大きく弧を描いた長汀曲湾、波に洗はれた小石、美しく敷かれた砂、それが背後の緑樹と芝生にうつり、其間に瀟洒なヤマトホテルの別荘や、旗亭「星の家」等が点接して、大連市民唯一の娯楽場となつてゐる。」(173頁)
- 各種運動場、ゴルフリンク、最も現代化した遊園地
旅順
- 旅大道路
- 関東庁が135万円投じて作ったタールマカダム式のハイウェー。35キロを1時間で走る愉快さ。黒石礁、凌水寺の旅大八景はパノラマの如く転回。痛快さは旅行者に是非一度お勧め。
- 白玉山表忠塔、椅子山、赤坂山、なまこ山
- 「日清日露の両大戦役に莫大の軍費と尊き血を流した永遠の地、忘れんとして忘れ能はざる旅順である」(183頁)
- 街は遼河で二分、東部は旧市街で商業区。駅から日本橋を渡った所が新市街で関東庁を始め、工科大学、博物館等の学校官衙住宅区。
- 二〇三高地
- 山頂に野木将軍の死を刻す大碑。
- 水師営
- 白玉山
- 表忠塔。海抜124メートル、南嶺に66メートルの表忠塔が立つ。
- 戦跡めぐり
- 東雞冠山堡塁、敵将コンドラチエンコの記念碑が淋しく立つ、望台、松樹山、桜山公園、閉塞隊記念碑
- 旅順博物館
- 肅親王邸