【先行研究】「第八章 「帝国後」と満洲観光」(高媛『観光の政治学 : 戦前・戦後における日本人の「満洲」観光 』東京大学、2005、博士論文、233-280頁)

  • 本章の趣旨
    • 戦後における日本人の満洲観光を通して、「失われた帝国」の記憶の「刷り込み」が行われるプロセスを考察する。

参考になった箇所

  • 戦後日本の満洲国ノスタルジー・ジャーニー
    • 「〔……〕『満洲慕情』(1971年)は、「ふだん着のままで、満鉄の汽車に乗って、なつかしい満洲を旅してほしい」というねらいのもとで、日本人カメラマンによって戦前に撮影された508枚を、満鉄の線路に沿って編集しているものである。これらの写真は、「満洲」という場に付随する在満日本人の記憶を蘇らせただけでなく、まさに満洲ノスタルジー・ジャーニーへと、ひとびとを誘うものであった。」(246頁)
  • 満洲国をポジティブな位置づけとしてとらえる動き
    • 「注目すべきは、『満洲慕情』や『望郷・満洲』(1978)など多くの写真集が、満洲事変、関東軍など戦争を想起させるものや引揚者の悲惨な姿の映る写真を意図的に省いたことである。〔……〕忌まわしい記憶を選択的に捨象することによって、満洲建国に燃えたエネルギーの延長上に明るい日本の今が築かれているのだと、満洲の「遺産」をポジティブに意味づけようとしているのである。」(246頁)
  • 写真集に見る戦後に残る植民地主義 
    • 「〔……〕写真集が浮かび上がらせた、いわゆる満洲の「原風景」とは、満洲引揚者一人一人の記憶の「私風景」ではなく、満洲引揚者の「集合記憶」そのもの再現でもない。むしろ、それは、戦前、満鉄やジャパン・ツーリスト・ビューロー満洲支部など在満日本人の観光機関によって作り出された、「王道楽土」としての満洲イメージを踏襲しているといえよう。ここにはコロニアルなまなざしとポストコロニアルなまなざしとが微妙に交錯している。写真集のページをめくる引揚者にとっては、満洲時代の観光用の写真に自らの「私風景」を投影させ、時空間をずらしながら戦前の観光客のまなざしを流用しつつ、「王道楽土」という戦前作られたイメージを満洲の「原風景」として遡及的に再想像/創造することが可能となったのである。」(247-248頁)
  • 満洲の聖地化
    • 「〔……〕多くの「満洲」体験者にとっては、「満洲」へ「帰れない」、または「大声で『郷愁』なんか語れない」という社会現状は、むしろよりいっそう「満洲」への思いを当事者の内部に潜め、そこで「帰郷の旅」を繰り返す空間を育むことができたのである。〔……〕すなわち現行の価値体系に対する攻撃を心理的次元で会費するというノスタルジアの社会的機能である。〔……〕満洲観光の「空白期」が長ければ長いだけに、また「満洲」へのノスタルジックな感情が叶えられなければ叶えられないだけに、その反作用として、「満洲」という場は、ますます、「帰郷の旅」の「聖地」として当事者の心の奥で特権化され内面化されなければならなくなったのである。」(253頁)
  • 慰霊による棄民政策の曖昧化
    • 「〔……〕満洲引揚者にとっての「戦争体験」とは、昭和20年8月9日を起点とするソ連侵攻による逃避行を意味する。〔……〕敗戦の混乱のなか満洲で亡くなった日本人は軍人軍属6万6千人、一般邦人18万人を数える。〔……〕中国では、いまだに、遺骨収集、屋外での慰霊祭を認めていない〔……〕慰霊の儀式も、ホテルの一室内や人目につきにくい場所を選んで密かに行われることが多い。〔……〕唯一屋外で慰霊できる場所である「方正県日本人公墓」(1963年建立)は、本来、「日本軍国主義の犠牲者」である一般人が多数亡くなった跡に建てられたものであるが、90年代以降元開拓団の主催の慰霊団はともかく、日本遺族会主催の慰霊団や戦友会の団体も殺到してきた。民間人と軍人という慰霊対象の混在は、本来民間人を「棄民」した張本人である関東軍や国家への批判を後景にかすませ、同じ「同胞の死」といった形で慰霊の意味付けを曖昧化させ、「死者」を経由するナショナルな共感回路を開く役割を果たしている。」(255-256頁)
  • 疑似郷愁の喚起装置
    • 満洲ツアーを企画する旅行者の担当者は、満洲体験のない人がほとんどで、なかには一度も中国を訪れたことのない人さえいる。彼らは、文学作品や他のメディアを手がかりに、満洲体験者の間で流通性の高い満洲イメージを選択的に抽出し(たとえば悲惨な敗戦体験への感傷は捨象されている)、セピア色の写真をまじえて、日本の歴史と日本人の心情につながりを感じさせる満洲の風景に「国籍」を与える。」(260頁)
    • 「一般募集のツアーの参加者は、〔……〕「未体験郷愁」を覚える人々も少なからず存在する。一般募集ツアーは、これまで満洲引揚者の間にだけ閉ざされていたノスタルジーを、パンフレットや一般紙の旅行広告などの観光メディアを通して、より広い一般消費者に開放し、想像的な共感を誘発するとともに、バーチャル・リアリティとしての「疑似郷愁」を喚起させることに成功しているのである。」(260頁)
  • 坂の上の雲』コンテンツツーリズム~国民像の再統合への欲求~
    • 「1999年8月15日、靖国神社の参拝所に、ある旅行パンフレットが配布用として置かれていた。日露戦争の舞台を訪れる「特別企画『日本の心を歴史に学ぶ』南山、旅順、瀋陽(奉天)の旅」である。〔……〕「この企画は日露戦争の舞台の主要なところを実際に訪ねる旅です。〔……〕『坂の上の雲』は95年前の明治37年(1904)~38年の日露戦争を主題としたものです。明治維新によってはじめて近代的な国家をもった日本と日本人が、少年のような希望と献身をもって国づくりに取り組んだ姿が具体的な人物を中心に描かれ、青春期明治の日本人の国家への思い、指導者の姿を浮かび上らせています。〔……〕」〔……〕この企画は、遠い帝国の膨張期に遡り、満洲を舞台に繰り広げられた明治時代の誇らしい歴史を掘り起こし、「命をかけて戦った尊い先人」の偉業を偲ぶという、もう一つのノスタルジー・ツアーである。〔……〕『坂の上の雲』に共鳴し、自分の商売と感心に引き付けて、パンフレットという平易なメディアを通して、誇らしいナショナルな歴史を商品化し流通させる「文化仲介者」としての役割を果たしているといえよう。」(262頁)
    • 「「日本の心を歴史に学ぶ旅」の誕生は、従来アカデミズムやマスコミに限定されていた歴史をめぐる論争が、観光という「メモリアル・インダストリー」にまで取り込まれ、再生産されることを意味する。戦前にも流行っていた満洲ツアーの定番コース――「日露戦跡巡り」は、かつて日本人のナショナリズムの昂揚に大きく寄与していた。企画者にも旅行者にも日露戦争の実体験者が存在していない今日、「少年期、青春期の日本」への郷愁の裏には、欠如している国民像の再統合への強い欲求が働いている。百年前、「帝国の滅亡をかけた」実際の戦場であった満洲は、いまや「記憶の内戦」の代理戦場として再び「聖地」化されようとしている」(262頁)
  • 改革開放後の中国と日本人の満洲観光
    • 「〔……〕「満洲」観光に繰り出す日本人のまなざしに向けて、まなざしのずれ、接近および流用という3タイプの対応様態が存在している。」
    • 「まず、中国側の手になるパンフレットや戦争記念館の記述からもうかがえるように、「旧満洲」ではなう「偽満洲」と呼び、また「東北地方」としての「ニューフェース」を強調する中国側には、植民と戦争の記憶の想起をめぐっての、日本観光客とのまなざしのずれが存在する。」
    • 「そしてまた、経済発展と観光誘致のために、大連市が積極的に進めている旧日本統治時代の民家と寺院の復元計画という例からもわかるように、日本人観光客のノスタルジックなまなざしに積極的に近づく動きも一方にはある。」
    • 「三つ目に、戦争記念館に密着する個人経営のお土産店にみられるように、観光市場がナショナルアイデンティティの維持・促進と一種の奇妙な共犯関係を結んでいるといった現象も見られるのである。」(277頁)