『満洲グラフ』復刻版第1巻(ゆまに書房、2008年)

  • 復刻版第1巻収録内容
    • 第1巻第1号<第1号>(1933年9月)~第2巻第6号<8号>(1934年11月)


満洲グラフ』第1巻第1号(1号) (昭和8(1933)年9月15日発行)

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  • 創刊号内容
    • 表紙:高粱の穂
    • 秋!/農業国満洲/国都建設/日満最短航路の完成へ/熱河離宮と寺廟/満洲大博覧会/満洲風俗

概要

序文「-新しき満洲を、新しく見よ!-」

「赤い夕陽の満洲は、今、朗らかな建国の朝あけだ。新五色旗の翻るところ、王道の慈光は広茅八万包里の山河に漲り、民族の睦みに三千万民衆の歓喜は沸く。過去半世紀に於て、満蒙の天地に注がれた十万同胞の熱血は、今こそ輝かしい満洲建国の花を咲かせたのだ。かくて満洲の平和と文化を守り育てた日本は、更に理想郷満洲の実現達成の聖業に就いた。血脈通ずる満洲国の健やかな成長は、一に懸つて日本の双肩にある。満洲国新興の実相は、又正義日本の正しき反映だ。新しき日本の方途を知らんとするものは、先づ新しき満洲の姿を正視すべきだ。」

表紙
  • 高粱の穂
「秋!」
  • 内容
    • 季節の紹介。旧暦の七夕には「高粱の穂」は紅々と色づく。「実りの秋」が全満洲に満ち溢れる。「赤い夕日」が火のように燃えさかって舞い降りていく。
「農業国満洲
  • 内容
    • 農業生産の盛んな満洲国の紹介。「豊沃な大地」を抱える「天恵的気候」の満洲は「全可耕地の半分しか開墾されていない」が「年々一億五千万の穀物を産出」と述べ、生産量の多さと将来の発展性唱えている。
  • 各種写真
    • 大豆、高粱、玉蜀黍、秋の収穫期の臨時の穀倉、高粱の脱穀水稲収穫、綿花、磚子(粟の脱穀や製粉に使用する驢馬に挽かせる石臼)、満洲農民(民衆の9割が農民、内乱の支那を逃れてきた移住者)
「国都建設」
  • 内容
    • 新京の都市建設の様子の紹介。「三千万民衆の総意に成つた満洲国」では「先づ抱擁人口30万を目指して第一期国都建設五箇年計画に着手」し、「秋天に林立するコンクリートタワー」の建設に邁進している。
「日満最短交通路の完成へ 拉濱線新設工事」
  • 内容
    • 日満最短交通路となる拉濱線新設工事の紹介。「吉敦線の拉法と哈爾濱間268粁の鉄道新線」が敷設され、「本鉄道の沿線は大豆、木材、石炭の産地として極めて有望」であり「羅津港の竣成敦図線の全通と相俟つて、北満の心臓ハルビンを日本に繋ぐ最短経路」であると述べられている。
  • 各種キャプション
    • 「新鉄道建設の総本部 満鉄の建設局(大連)」、「泥濘に悩む鉄道隊」、「拉濱、吉敦両線の接続駅・拉法」、「北満鉄路をクロスして長駆ハルビン松花江に突入した拉濱線の鉄橋工事、延長1040米、本年末には竣工の予定である」、「生々しい絵沿線の開墾地(太平大嶺隊道附近)」、「将来の水田を暗示する野菖蒲の群落(遥かに五常附近の路盤を望む)」、「日を夜に継いで」
「熱河離宮と寺廟」
  • 内容
    • 熱河は「昔から蒙古、満洲支那の交界点に当つてゐたので、軍事上の要地」であり、「清朝も、山岳重畳の熱河(承徳)に、広壮な離宮「避暑山荘」を営みその内外に金色燦然たる二十数座の大寺廟を建立」した。現在も「万里の長城を国境線として支那と対立してゐる此の地は、満洲国々防上、枢要な地位を占める」ので熱河は重要な地域であると紹介されている。
  • 各種キャプション
    • 離宮の外壁より内苑の望む」、「庭園をさまよふ鹿の群」、「福寿廟より見たる山荘の石壁」、「普陀宗乗廟・乾隆帝時代西蔵、西域征服記念に建立された純西蔵式喇嘛廟、熱河寺廟中の圧巻である」、「喇嘛塔(普陀宗乗廟)」
「大連市催 満洲大博覧会」
  • 内容
    • 「東洋一の大自由港」で「新興満洲国の表玄関を承る大連市」で「7月23日から8月末日まで」開かれた満洲大博覧会の紹介。「近代文化の一大殿堂」を現出し「日満産業界の発達に寄与」したと述べている。
  • 各種キャプション
    • 「場内所見(A)」、「場内所見(B)」、「正門夜景」、「会場全景(大連白雲山麓)」
満洲風俗」
  • 各種キャプション
    • 「露店商人(ハルビン)」、「八卦も見れば蛇皮線も弾く瞎先生(座頭さん)」、「大道散髪屋」、「蒙古風の荷馬車(チチハル附近)」

満洲グラフ』第1巻第2号(2号) 昭和8(1933)年11月15日発行

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  • 第1巻第2号内容
    • 表紙:砂漠
    • 晩秋/耀く凱旋 事変記念日/建設途上の羅津/蒙古の風貌/国境に行く/鋪道に拾う―北満の秋―/秋季孔子

概要

「晩秋」
  • 内容
    • 高粱の切り株を掘り返す農夫
「耀く凱旋 事変記念日」
  • 内容
    • 第6師団が日本へ帰国することの紹介。1932年12月出動以来、熱河の粛正工作や長城線の確保にあたった第6師団の将士が常勝将軍坂本師団長以下、10月3日~5日の5日間かけて故国へ凱旋した。
    • 各種キャプション
      • 「武勲赫々たる連隊旗(大連埠頭)」、「固き握手 坂本師団長と小磯参謀長(大連埠頭)」、「歓呼の嵐 凱旋列車大連駅着」、「思ひ出の満洲よ、サラバ。抜錨の刹那(大連埠頭)」、「感激の渦 凱旋勇士を見送る市民(大連埠頭)」、「戦没勇士慰霊祭場に臨む菱刈司令官(9月18日新京)」、「事変以来二星霜、栄えある満洲国新生の契機となつた9月18日満洲事変記念日の当日、新京に於て戦没勇士の慰霊祭が盛大に厳修された。なお市内は日満学童の旗行列に沸きへるやうな賑はひであつた。」、「事変記念日当日の学堂旗行列(新京)」
「建設途上の羅津」
  • 内容
    • 羅津港建設の紹介。「満洲国の首都新京と北鮮、日本、をつなぐ直線交通路の大呑吐港として、一躍時代の花形となつた羅津」を開発するため、満鉄では1933年3月に1日同地に羅津建設事務所を設立。昭和12年の築港完成を目指し、第1期5箇年計画に着手した。
  • 各種キャプション
    • 「現在の羅津湾」、「築港工事測量」、「湾口の採石現場」、「墜道内の開鑿作業」、「忙しい煉瓦工場」、「活躍するガソリン軌道車」、「昼夜兼業の埋立工事」、「急ぐ建設工事」、「間洞嶺墜道工事(羅津側入り口)」
「蒙古の風貌」
  • 内容
    • 満洲国の西境に近い興安省における蒙古人の遊牧生活の紹介。
  • 各種キャプション
    • 「渋紙の様に日焼けのしたお爺さんと彼氏の愛馬」、「髪をお下げにした蒙古のお婆あさん」、「移動式の天幕(包)の前に並んだ家族たち」、「颯爽たる蒙古娘」、「草原に放牧された駱駝の群」、「砂漠性の地貌」
「国境に行く」
  • 内容
    • ソ満国境の紹介。「赤色の国ロシヤと、王道の国満洲が境を接するところ」と評されている。国境の町として満洲里とハイラルが挙げられており、特に満洲里は「西の国境にある町」であり、街路樹の保護、東支鉄道の舎宅の広い庭園が特徴的であり、国境の標界の見える連丘への馬車でのドライブが壮快であると述べられている。
  • 各種キャプション
    • 「かへろトロイカ満洲里を越えて 雪の故郷のシベリヤへ 雨情」、「国境」、「マンチュリー市街」、「欧亜連絡の国際列車」、「郊外の砂丘から見たハイラル市街」、「ハイラル日本小学校」、「ハイラル駅頭所見」、「露、満、蒙の文字で書かれた看板」
「鋪道に拾う―北満の秋―」
  • 内容
    • ロシア人特集。晩秋のひとときを惜しんでいるロシア人の種々相を拾う。
  • 各種キャプション
    • 「ガルモンカを弾く街頭の音楽師」、「仲よく日向ボツコをするロシヤの子供たち」、「憩へる労働者」、「街上の花売り」、「ハルピンの銀座キタイスカヤ街とロシヤ婦人」
「秋季孔子祭」
  • 内容
    • 9月28日、執政溥儀自ら、新京城孔子廟で秋季孔子祭を執行したことを紹介する記事。執政が孔子祭典を行ったことは礼教尊重の範を示したことが満洲国にとって意義深いと述べている。
  • 各種キャプション
    • 孔子廟内殿」、「執政の親拝」、「旧典に則る舞生の舞」

満洲グラフ』第2巻第1号(3号) 昭和9(1934)年1月15日発行

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  • 表紙:軌道
  • 第2巻1号内容
    • 冬景(※引用者註-復刻版目次では「冬景」だが内容では「氷の上」というタイトルになっている)/冬来たりなば/寒中素描/開発の前線/日鮮満直通幹線なる/拓けゆく沿線/満洲の近情

概要

「冬景」(※復刻版目次では「冬景」だが内容では「氷の上」というタイトルになっている)
  • 内容
    • 満洲の冬の紹介。雪は少なく降っても積もることはない。スキーはしないがスケートは盛ん。大抵は晴天なのですつきりとした朗らかさがある。北満は零下30度だとか40度でも風が無いのでさほどには感じない。防寒対策をすれば戸外でも活動でき、むしろ動かないでいると骨身を刺すような寒さ。満洲では冬を利用する。物資の運搬、伐木、採金等は冬に行う。子供たちはスケートに橇に遊びまわる。
  • キャプション
    • 子どもたちが氷の上に立っている写真
「冬来たりなば」
  • 内容
    • 満洲に於ける冬の生活を写真で紹介している(その1)。
  • 各キャプション
    • 「河岸を咬む氷群」
      • 上流から流れて来た氷塊が隣同士凍り付いて一面の銀板と化す
    • 「特産物の輸送」(「特産物輸送の大馬車隊」・「馬夫」・「氷上の橇輸送(遼河)」)
      • 川も耕地も結氷すると満洲の曠野は坦々たるマカダム舗装路のようになるので、農産物搬出の絶好機となる。鉄道沿線に搬出され、大豆、高粱、玉蜀黍はシベリア鉄道で欧州に、大連や営口などの海港から日本、支那、欧米方面へ輸出される。
    • 「山村の冬営業」
      • 冬や氷に閉ざされても農村は収穫物の搬出を行い、山村は炭焼きをする。防寒の陣構えだけは堅固。
    • 「雪の穴森林」
      • 冬は木材の伐採と橇搬出に願ってもない季節。
「寒中素描」
  • 内容
    • 冬の満洲の様子を写真で紹介している(その2)。
  • 各キャプション
    • 「キャバレーの夜(ハルビンのダンサー)」
      • f:id:h30shimotsuki14:20190310181221j:plain:h300
      • 「まつ毛も凍りついてしまふ様な戸外の寒さを他処に、小春のように温ためられたキャバレーでは、冬の夜ながを薄絹一枚のダンサーが官能的な踊りを踊り明かす。冬のハルビンは、厳寒への面当ての様に絢爛たる歓楽郷を現出する。」
    • その他キャプション
      • 「歓楽郷ハルビンの夜景」、「暖炉を囲んで(日本人の家庭)」、「霧氷」(冬の北満、風のない夜は霧が深いが一夜明けると霧氷の花が咲く。風鈴のような音、寒さの酷しい時にはパチパチと樹皮の裂ける音)、「雪の日のカリカチュアー」、「街に狂ふ吹雪」(大連市所見)、「北満の市場」(松花江からとれた魚、化石のようにカンカンに凍る・鯉もノーホ魚も鯰も他愛もなく束にして買われる。)
「開発の前線」
  • 内容
    • 満洲国における満鉄の鉄道建設の紹介。「昭和8年3月1日、満洲国政府は自国の鉄道の経営と建設を満鉄に委託した」ので、満鉄が満洲国の鉄道を事実上経営することとなった。満鉄は鉄道建設に邁進し「〔……〕二年半にも満たない今日、敦化図們間、克山海倫間、拉法哈爾濱間等約八百粁の新鉄道が次々に開通した」と強調し「〔……〕満洲国鉄道建設の聖業にられた日本及日本人の燃ゆる様な熱血死的気魄とを誇りたいのだ」と唱えている。「〔……〕鉄道は満洲開発の動脈だ。而も新しい満洲は新しい動脈を必要とする。「満洲の開発は鉄道の建設から」と言つても過言ではあるまい。」と満鉄の素晴らしさをアピールしている。
  • 各種キャプション
    • 「満鉄の敷設列車」、「沿線建設状況(拉濱線三棵樹)」、「鉄道隊の活動」

「日鮮満直通幹線なる」

  • 内容
    • 斉北線、濱北線、拉濱線、京図線、北鮮鉄道がつながったことにより、大連を経由しなくても北満-北鮮-日本海-日本のルートでの交通が可能となったことを紹介する記事。
    • 「京図線を北鮮の海港雄基(将来は羅津)清津につなぐ北鮮鉄道も満鉄に移管され、昭和8年10月15日から新京清津間に直通列車を運転することになつた。二十年来の懸案として多年待望された吉会鉄道は、茲に始めて実現を見た訳だ。」
    • 「京図線の一駅拉法からハルビン(三棵樹)に至る拉濱線去る12月16日に開通、濱北線に連結された。北満の穀倉をめぐる斉北、濱北両線は拉濱線に依て京図線に橋渡しされた訳だ。そして満洲の特産物は、大連を迂回することなく、一路北鮮の海港から日本海を横断して日本内地に輸出される事となつた。〔……〕従来の交通路に比し距離に於て三分の一を短縮し、日満経済上に大きな貢献をもたらすべき本交通路が、主として日本の手に依て完成された事も明記さるべきだ。」
    • f:id:h30shimotsuki14:20190310181217j:plain:w400
  • 各種キャプション
    • 「黄金の釘を打つ(拉濱線開通式)」、「松花江鉄橋開通の刹那」、「匪襲の跡(拉濱線大平嶺附近)」、「犠牲者の火葬(水城子)」、「京図線風景」

「拓けゆく沿線」

  • 内容
    • 満鉄沿線の開発状況を写真入りで解説。
    • 「克山と海倫」
      • 「斉北、濱北の沿線は、満洲国中で一番土地の肥えたところ。附近一帯は塁のような黒土で、世界的に有名な満州大豆の大半はここから産出する。」
    • 「鮮満国境に近く」
      • 「拉濱線、京図線の沿線は、今日まで交通不便な未開地として放置されてゐただけ、鉄道が開通するとカンフル注射でもされたやうに急に活気づいて来た。わけて朝鮮に近い間島地方に住んでいる4、50万の朝鮮人の喜びは一通りではない〔……〕図們附近の朝鮮人の発展は全く目ざましいものがある。」
    • 各種キャプション
    • 「克山(貴金属店々頭所見)」、「海倫市街」、「駅舎建築」、「間島地方の山村風景」、「鮮満国境に近い延吉市街」

満洲の近情」

  • 内容
    • 時事ネタの紹介である。
  • 各種キャプション
    • 「石田侍従武官来満」
      • 石田侍従武官が聖上陛下からの御慰問の聖旨を伝達するため来満。新京、奉天、錦州、熱河、吉林、佳木斯、チチハル等の部隊を回り、12月18日洮南より飛行機で大連へ。旅順・大連方面へも聖旨を伝達。
    • 「新兵さんの上陸第一歩」
      • 凱旋兵、除隊兵との入れ替わりにやって来た新兵の様子。
    • 「無電王マ侯訪れ」
      • 無電の父マルコニー侯夫妻が満洲国に立ち寄り、奉天、旅大を旅行する。11月29日に離満。
    • 「精神作興記念式」
      • 11月10日大連神社の社頭で精神作興詔書渙発10周年記念式が恐慌されたことを紹介。
    • 満洲国美術展覧会」
      • 新京、奉天満洲国美術展覧会を開催。執政溥儀も美術奨励。

満洲グラフ』第2巻第2号(4号) 昭和9(1934)年3月15日発行

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  • 満洲国御大典特輯号内容
    • 即位詔書・声明書/満洲国皇帝陛下/皇上即位/泰運重光/国基永奠/乾元正位/普天同慶 歓びの帝都/萬寿無疆 奉天の慶祝/山河増色/四民和楽

概要

「即位詔書」・「声明書」
  • 内容
    • 満洲国が帝政に移行する際に出された、日文の「即位詔書」と漢文の「声明書」を掲載。
    • キャプションの解説文より
      • 民族自決に対抗するイデオロギーとして生み出された「民族協和」を強調するため→「三千万民衆の総意の下に創生した満洲国」というフレーズを使用。
      • 皇帝陛下の正当性として清朝の血統と、祖先発祥の地であることを利用→「皇帝には実算正に御二十九、大清の正嫡に在しまし、しかも由縁ただならぬ祖宗発祥の故地満洲初代皇帝の位に即かせられ〔……〕」
満洲国皇帝陛下」
  • 内容
    • 軍服姿の溥儀の立ち姿の写真が掲載されている
「皇上即位」
    • 内容
    • 郊祭の儀式の流れを紹介した特集。
    • 各種キャプション
      • 「郊祭式場に向かはせらるる新帝陛下 勤民楼前にて御乗車」、「郊祭式場御臨幸・御召自動車正門御通過」、「郊祭場前に整列した護軍儀仗兵」、「春空を揺がす皇礼砲」、「郊祭場の幌舎に集つた文武百官 三月一日午前七時半」、「郊祭用祭壇」、「天壇・郊祭直後謹写」、「郊祭場に入御遊ばさるる新帝陛下 三月一日午前八時二十分」、「郊祭執行直前・祭場前に侍立の臣僚 三月一日午前八時二十五分」、「郊祭場より御還幸の鹵簿 三月一日午前八時四十分」
「泰運重光」
  • 内容
    • 溥儀の式典の一場面。宮内府から順天広場の郊祭場に至る順路の中で「鹵簿御行進の中の花」ともいうべき大同大街の通過の特集。
  • 各種キャプション
    • 「御召自動車・大同大街通過」、「菱刈全権一行」、「本拝者と警備員・大同広場附近」、「早朝から押寄せた奉拝者」、「大同大街の行幸路に整列した満洲国翊衙軍」、「郊祭儀御道順」、「大同大街に陣取つた写真班」、「奉拝の小学生・大同大街附近」、「清明街附近の奉拝者・一日午前七時半」
「国基永奠」
  • 内容
    • 郊祭に続いて行われた登極式の紹介
  • 各種キャプション
    • 「御登極式御退出の皇帝陛下」、「御登極式より退出する菱刈全権」、「御登極式に参内する八田満鉄総裁と河本理事」、「賜餐場より退出の日満大官・三月二日」、「登極式に使用された玉座」、「勤民楼内の賜餐場」、「登極式に使用された玉座」、「鄭総理の感想発表に聞入る外人記者団 三月一日宮廷府」
「乾元正位」
  • 内容
    • セレモニーで使用された皇帝の品々と家具の紹介
  • 各種キャプション
    • 「皇帝御乗用車に取付けられた蘭御紋章入りのラヂエーターキャップ」、「車庫内に収められた皇帝御用車(二台)と供奉警備用車(九台)」、「供奉警備用車のマーク」、「皇帝謁見室・正面は玉座」、「帝政謳歌ポスター」、「慶祝、門諸相」
「普天同慶 歓びの帝都」
  • 内容
    • 市民慶祝会の様子と閉会後の市内のお祭りの様子
  • 各種キャプション
    • 「新京市民慶祝会場・向つて左端は挨拶中の金市長」、「旗行列の先登を承る満洲国軍楽隊」、「電飾美々しい新京ヤマトホテル」、「夜の新京城内」、「中央銀行附近の夜景」、「城内を練り歩く満人の仮装行列」、「龍おどり」、「花車とさくら踊・遠景は新京駅」
「萬寿無疆 奉天の慶祝」
  • 内容
    • 満洲各地における開かれた一事例としての奉天の祭の様子。張作霖・張学良時代に満洲の政治経済の中心地であった奉天でも慶祝が華々しく行われていることが強調されている。
  • 各種キャプション
    • 「白頭の慶祝気分」、「城壁を飾る慶祝塔」、「慶祝会場に於ける知名士」、「当日の奉天市政公署」、「慶祝の粧ひを凝らした奉天小西辺門」、「高脚踊」、「帝制のポスターに見入る民衆」、「城内に練り出した奉祝行列」
「山河増色」
  • 内容
    • 農村における慶祝の様子
    • 解説文より→「重い課税、軍閥の横暴、匪賊の跳梁、さうしたものに傷めつけられてゐた満洲の住民にとつて、現在の満洲国がどんなに有難いものかは、全人口の9割を占める農民が一番よく知つてゐる。」
  • 各種キャプション
    • 「春耕」、「五色旗は空に歓呼は地に」、「田園の慶祝」
「四民和楽」
  • 内容
    • 多民族国家満洲とそれを統合するための「民族協和」と「皇帝溥儀」の紹介。
    • 解説文より→「満洲国の人口はまだ三千万しかないが、日本の二倍余りもある広いお国だけに、種々雑多の民族が住んでゐる。先づ、普通満洲国人といはれてゐる二千数百万の漢人(支那から移住した人たち)をはじめ約百万の朝鮮人、廿五万の日本人、十万のロシヤ人、それに満洲土着の蒙古人、満洲旗人等がゐる。殊に、ロシヤと満洲の境を流れてゐる黒竜江(アムール河)の上流地方には、今なほ文化の光を知らないエロト、ブリヤード、ダホール、オロチョン、ソロン、ゴリドといふ様な未開種民族も生活してゐる。満洲国では、建国当初から専ら民族の協和に留意し、民族の安居楽業に力を注いで来た。人種、風俗、習慣、言語は異なつても、自由と平和を求め、愛と正義を念願する点に何の相違があらう。その日、満洲全土の諸民族は「我らが皇上の御登極」に雀躍欣舞したのだつた。」
  • 各種キャプション
    • 「歓びは白系露人の上にも」
      • 「国を追はれて16年、赤いロシヤに容れられない数万の白系露人たちは、無国籍人として満洲にうらぶれの生活を送つてゐたのだが、彼等の上にも王道の慈光は残る隈なく照り映えた。彼等も今では耀ける満洲国人となつたのだ。康徳の春は、彼等にとつても亦わが世の春だ。祖国を知らない白系ロシヤ人の子供、国旗を肩に、この歓びをどうし様もないと言はんばかりに相好を崩している。」
    • 満洲国「バンザーイ」」、「蒙古は耀く」

満洲グラフ』第2巻第3号(5号) 昭和9(1934)年5月15日発行

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  • 第2巻第3号内容
    • 春/娘々まつり/娘々祭と娘々市/満洲野の5月/楽土に殺到する移民群/満鉄 生まれて27年/満洲国近時

概要

「春」
    • 内容
    • 満洲の春の象徴として4枚の写真が掲載されている。
  • 各種キャプション
    • 「蒙古ひばり」、「白楊の芽もふくらんだ」、「河の氷も割け始めた」、タイトルはないが、牛耕をしている農民の様子の写真
「娘々まつり」
  • 内容
    • 娘々まつりの説明と賑わいの様子
    • 解説文より
      • 「大石橋の南一里ばかりの所に、迷鎮山といふ山がある。〔……〕此の山の中の中腹にある娘々廟は、満洲は、満洲は勿論、北支那の一帯に聞こえた名高い廟である。此の廟の祭は毎年陰暦4月17日から3日間で、幾万の群衆が四方から山を目がけて集つて来るのである。」
  • 各種キャプション
    • 「獅子舞」、「軽塵をあげて」、「彼女と泥娃」、「村芝居」、「老いも若きも」、「迷鎮山娘々廟」
「娘々祭と娘々市」
  • 内容
    • 娘々さまの御利益とそれを得るために集う人々。及び、それらの人を相手に商売しようと賑わう露天市の様子。
    • 解説文より
      • 「名さへ優しい娘々(ニヤンニヤン)様は、福寿、治眼、拾児の三体の女神。お金が授かり、病気が癒り、そのうへ子宝まで恵まれるといふのだから民衆の絶大な尊信を得るのは無理もない。」
      • 「その霊験あらたかな娘々様のお祭りは、毎年5月半ば〔……〕お祭りの時になると、満洲国中およそ娘々廟のあるところなら、どんな寒村僻地でも、村人たちは千里を遠しとせずして廟舎に集まつて来る。我仕立の幌馬車で、曠野の中を軽塵をあげて八方から押し寄せてくるのだ。〔……〕そして廟のある山麓に馬車をとどめて、本祭の前後、3日から6日間ぐらい馬車の中で参詣する。」
      • 「〔……〕さて娘々祭には、きまつて農具、建築材料、馬具、鉄器、籠細工、古着、日用品雑貨の市がたつ。しかも此の娘々市は、一年に一度の廉価デーなのだ。交通不便な地方の人たちは、一年分の生活用品をしこたま仕入れて馬車に積んで帰へる。商売が繁盛するのは勿論だが、余興もなかなか盛である。それに、数日に亙る馬車生活の安易さに、みんな露店飲食店に飛び込んで鱈腹御馳走を食い廻る。農民にとつて娘々祭は、一年にたつた一度の安息日だ。このお祭のうちでは陰暦四月十八日の本祭の日が一番賑やかである。それは娘々様が昇天された当日なのだ。」
      • 「〔……〕とにかく、数日の間、馬車の中に或はアンペラの褥の上に、或は夜天に星を仰いで石を枕に健やかな夢を結ぶ娘々祭は、誠に郷土色豊かな満洲景物の一でもあり、また、大陸的な、美しい民俗信仰の神秘を語る一巻の絵巻物である。」
  • 各種キャプション
    • 「建ち並んだ露店」、「柳籠の市」、「人形の店」、「土人形」、「胡弓流し」、「材木の市」
満洲野の5月」
  • 内容
    • 陽春5月の候には、蒙古の草原が一望のお花畑になってしまうことの紹介。北満、南満の植生が紹介される。特に樺太、北海道との共通性が指摘されている。また「アルカリ土壌の多い蒙古地方」や、関東州における桜に言及される。「この頃では関東州内到る処で桜を見る事が出来る。殊に旅順戦跡の桜、安東県鎮江山の桜は名高い。」
  • 各種キャプション
    • 「ライラツク・つつじ」、「梨の花咲く村」、「野あやめの群落・蒙古」
「楽土に殺到する移民群」
  • 内容
    • ここでの移民は日本からの移民ではなく、支那から満洲に渡ってくる移民たちの様子が紹介されている。
    • 解説文より
      • 「〔……〕今日の移民も流民または避難民と言つた方が適切だ。みんな着のみ着のままの旅費も持たない様な貧乏人ばかりで、何等政府の庇護など受けてゐない。全くの徒手空拳である。彼等は海路、青島、芝罘、龍口の各港から渤海湾を横断して大連、営口、安東の孰かに上陸する者と、陸路、山海関から奉山鉄路によつて奉天を経由する者とある。その割合は、大連経由が過半数を占め、奉天経由が約二割五分といふ事になつて居る。そこから満鉄の四等車に乗つて、吉林、新京方面に向ふのであるが、旅費のない者は、線路を伝つて、乞食をしながら、北満洲をさしてとぼとぼ長い旅路をつづける者も少くない。」
      • 「〔……〕移民の目ざす移住地は、やはり地味の肥えた北満洲が第一で、この方面に向かふ者が総数の四分の三、南満方面が四分の一ぐらいの割合で、西北の蒙古地帯に足を向ける者は極めて少ない。これは曹達地が多い為である。」
      • 「さて、移住地に着いた彼らは、そこで極めて原始的な生活をはじめる。先づ開墾の初年にはすぐにも彼等の食糧となり、また種子が安く、雑草との競争力の高い糜子、粟、黍等を作り、3、4年目頃から初めて大豆、小麦等が作れる様になる。こうして、彼等は、開拓のパイオニヤとして満洲に力強い永住の根を下すのだ。彼等の不撓不屈の生活的弾力には全く感嘆のほかはないが、彼等の面上には、常に自然を楽しむ様な和やかさへ流れてゐる。」
  • 各種キャプション
    • 「鈴なりになつた甲板」、「父ちやんに手を曳かれて」、「野に臥し草に寝ね 北満へ・北満へ」、「汽車を待つ間・大連駅前」、「母ちやんも一緒に」、「堀立小屋もわれらの青空」
「満鉄 生まれて27年」
  • 内容
    • 明治40年創立の満鉄が27周年記念となることを特集した記事。満洲の経済界に君臨し、新満洲の経済建設工作の心臓であると自負している。
    • 解説文より
      • 明治40年4月1日、半官半民の特殊会社として呱々の声をあげた南満洲鉄道株式会社は、早くも創立27周年を迎へた。〔……〕満洲国建国後は資本金も8億円に増資し、全技能を発揮して居る。実に、日清、日露の両役に於ける殉国同胞血肉の所産たる満鉄は、更に今次の事変に際し三たび同胞の熱血の洗礼を受け、更に新たなる意義を加へるに至つた。」
  • 各種キャプション
    • 「満鉄本社・大連」、「満鉄社員会の会社創立記念式」、「満鉄列車」、「満洲医大奉天」、「撫順炭鉱」、「大連埠頭」
満洲国近時」
  • 内容
    • 時事ネタを紹介するページ。
  • 各種キャプション
    • 満洲国修聘特使一行の船出」
      • 日本の満洲国建国における敬意と謝意を示すために訪日する鄭孝胥一行の大連からの船出
    • 「凱旋の小磯・井上両将軍」
    • 満洲国軍旗親授式
      • 軍旗親授式の紹介。4月5日午前10時半、皇帝御親臨の下に実施された。

満洲グラフ』第2巻第4号(6号) 昭和9(1934)年7月15日発行

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  • 秩父宮御名代殿下御来満・満支直通列車運行開始記念夏期特輯号
    • 秩父御名代宮殿下の御声明/秩父御名代宮殿下と満洲国皇帝陛下/栄光燦たり‼ 大連港頭/耀く帝都 新京の御動静/風薫る 奉天より大連へ/満支を貫く一直線 直通列車は運行を開始した!!/直通旅客スケッチ/奉山沿線風景/直通線上に踊る山海関/林間生活/関東州防空演習

概要

秩父御名代宮殿下の御声明」
  • 内容
    • 満洲国の登極の典と帝政移行の慶祝のために天皇の名代として訪満した秩父宮(昭和天皇の弟・大正天皇第二皇子)の声明。来満及び離満に際しての声明と滞満時の日程が掲載されている。
秩父御名代宮殿下と満洲国皇帝陛下」
  • 内容
    • 「6月8日新京に於ける奉迎 観兵式御親臨の御英姿」という副題。秩父宮が来満したことにより、両皇室の友誼と両国の親善が実現されるに至ったと解説されている。
「栄光燦たり‼ 大連港頭」
  • 内容
    • 6月5日、秩父の宮が御召艦足柄に乗船し、大連に入港。翌6日、大連駅から新京へと向かったことを紹介する記事。足柄が第15駆逐艦隊を従えて大連港に入港する様子や、旅順要港司令官枝原少将座上の天龍・淀が秩父宮を奉迎する様子が詳述されている。
  • 各種キャプション
    • 「御召艦足柄」、「登舷礼厳かに駆逐隊の奉迎」、「大連港頭に御上陸」、「その日の大連港」
「耀く帝都 新京の御動静」
  • 内容
    • 6月6日の秩父の宮が新京への入京と皇帝溥儀の出迎え、翌7日の宮内府での親書及び勲章の捧呈が紹介される。以降数日新京に滞在し、13日に奉天経由での帰国の途につく。「日満両国永遠の交誼」、「両皇室の御友誼は兄弟も啻ならぬものあり」と賛美されている。
  • 各種キャプション
    • 「日満国交史に輝く新京・駅頭の固き御握手」、「御親書並に勲章親授式に向はせらる・宮内府正門」、「皇帝陛下と御同乗・満洲国軍閲兵」、「満洲国兵の分列式・御親閲・新京中央通新京神社前」、「国都建設状況御視察の日の殿下 御説明申上ぐるは阮建設局長」、「建設は進む新京」
「風薫る 奉天より大連へ」
  • 内容
    • 秩父宮が6月13日に新京から帰途についた後、奉天で2日間行った巡視を紹介する記事。戦跡への慰霊や軍事施設などの軍関係の訪問を除くと、他に溥儀の御先祖である清の太祖が造営した奉天宮殿(当時は故宮博物館)、第2代太宗文皇帝を祀る北陵を見学している。奉天滞在後は6月15日に大連に到着し、大連神社と忠霊塔を参拝した後、満洲館に於ける菱刈関東長官のお茶会に出席し、要人たちに見送られながら同日午後6時御召艦足柄で帰国した。
  • 各キャプション
    • 奉天駅前の列立賜謁」、「満鉄爆破現場御成」、「清の太宗を祀る奉天北稜」、「今日ぞ輝く戦死者供養碑北大営内事変発端地附近」、「奉天兵工廠の奉拝者」、「御召艦大連港抜錨の刹那」、「奉送の日満武官」
「満支を貫く一直線 直通列車は運行を開始した!!」
  • 内容
    • 満洲事変以来、中華民国側の北平以東の北寧鉄路と満洲国側の奉天-山海関を結ぶ奉山鉄路は断絶状態にあった。しかし通車交渉が進められた結果、奉山、北寧鉄路は合併出資百万元の東方旅行社に直通列車を管理させることとなり、1934年7月1日両鉄路は山海関で繋がることとなった。
  • 各種キャプション
    • 「東方旅行社総経理 張水淇氏」、「副総理 平山貞斎氏」、「北平・正陽門駅」、「満支直通の国際列車」、「奉天・瀋巴総站」
「直通旅客スケッチ」
  • 内容
    • 奉天-北平間の汽車の本数、時刻、料金、関税の紹介。毎日相互に一個列車の運転。午前10時40分奉天発-翌朝9時18分北平着。午前8時45分北平発-翌朝6時奉天着。842キロを22時間で走破。3等は銀12円65銭の車賃と急行料金1円5銭。山海関で1時間の停車時間内に税関検査を受ける。
  • 各種キャプション
    • 「さあ改札が始まつた」、「駅の待合所は大賑ひ」、「先がつかえた出札口」、「コバルト色の直通切符」、「やつぱり駅は大賑ひ」、「中間駅もこの賑ひ」、「山海関では社内で通関」、「預けた荷物は立合ひ通関」、「再見・再見・別れのつらさ」
「奉山沿線風景」
  • 内容
    • 奉天から山海関までの沿線風景を紹介。特に取り上げられているのが、興城と錦州。興城は奉山沿線中、奉天につぐ立派な城を持っており、城外一里の所には興城温泉もある。一方錦州は、事変後邦人が多数進出。有名な大広済寺境内の白塔が遼西のシンボル。
  • 各種キャプション
    • 「沿道の並木(奉山鉄路展望車より)」、「車窓に見る遼西の沃野」、「錦州広済寺境内の遼式仏塔」、「興城市街」、「興城温泉場」、「興城城外所見」、「興城温泉への道」、「駅弁代わりに鶏の丸焼き(1羽40銭から60銭)」、「駅ではお茶も売つてゐる(1杯1銭)」、「その他何でも売つてゐる」
「直通線上に踊る山海関」
  • 内容
    • 満支国境である万里の長城渤海に尽きる山海関の紹介。東方旅行社の所在地であり、支那税関が設置され、列車の乗務員もこの地で交代することから、「満洲国の厳然たる存在はこの地に於て明確に認知することが出来る」と評されている。
  • 各種キャプション
    • 「奉山・北寧鉄路連絡駅・山海関」、「天下第一関」、「霧の万里の長城」、「石河残照」
「林間生活」
  • 内容
    • 満洲の小学校児童の紹介。5分の3は関東州内で、他はチチハルハルビン吉林等に散在する満鉄経営小学校の児童。大連の小学校では虚弱児のために、夏季の林間生活を奨励指導している。写真は大連南山麓小学生の彌生ケ村に於ける林間生活の紹介。
  • 各種キャプション
      • 「朝の礼拝」、「自由学習」
「関東州防空演習」
  • 内容
    • 関東州は上海、ウラヂオ、ブラゴエから1500キロの圏内にあり、空襲をひとたび受ければ危機に直面する。そのため6月19日から21日まで旅順要塞司令官鎌山少将の統監下に実践さながらの関東州防空演習を挙行。30万大連市民は軍に協力して都市を戦い守った。
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    • 「演習劈頭を飾る大連白雲山麓に於ける模擬市街の爆撃」

「編集後記」

  • 内容
    • 第3号にも登場した淵上生氏と金丸生氏が1年を振り返って反省を述べる。
    • 特に淵上氏が『満洲グラフ』の理念を述べている→「興味的テーマが屡々要求される。だが満洲グラフの面目は、建設途上に於ける満洲国の生きた、正しい相の歴史的記録にある。興味中心のグラフは新聞社雑誌社、譲るべきではなからうか。吾々はこの初一念で進むつもりである。」

満洲グラフ』第2巻第5号(7号) 昭和9(1934)年9月30日発行

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  • 第2巻第5号内容
    • 満洲を衝く図寧新線/老松嶺の原始林/風物諸相/建設は進む/沿道拾遺/国道建設/満洲文化の誇! 四庫全書

概要

「東満洲を衝く図寧新線」

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  • 内容
    • 京図線の終着駅:図們と北鉄東部線:寧北(牡丹江站)を結ぶ図寧線の紹介。
    • 図寧線は3区域に分けられ、図們-李樹溝間は灌木の粗生した緩やかな丘陵と湿地と細流が点綴する間島の処女地、李樹溝-鹿道間は老松嶺の森林地帯、鹿松-寧北間は1200年前に渤海国が興った平野。
    • 図寧線沿線は将来の移民地として有望な土地であり、なおかつ寧北から日本屯墾隊の移民地佳木斯まで新鉄道が敷かれようとしている。
    • 図寧線の経済的意義は、従来北鉄によりウラジオに搬出されていた農林諸産物が北鮮経由で搬出されるようになること。交通体系が新しくなり、開発の第一線にも踊り出た。
  • キャプション
    • 密林を行く
「老松嶺の原始林」
  • 内容
    • 図寧線の中間に横たわる老松嶺の紹介。大森林に覆われた密林地帯を切り開いて鉄道建設をしているが、北老松嶺墜道は満鉄関係鉄道中、最難工である。
  • 各種キャプション
    • 「老樹天を摩して」、「ただ見る一眸の樹海」、「老松嶺山脈」
「風物諸相」
  • 内容
    • 図寧線が走る間島の高原地帯と老松嶺の森林と牡丹江の平野のうち、間島と牡丹江の地域の紹介。間島は朝鮮人が住民の8割。開墾がまだ十分に行き届いておらず、地味が肥沃であるため将来は五穀豊穣の大農業地となると予想している。牡丹江平野は朝鮮人は少なく満人が多い。渤海国発祥の地で、大豆、高粱、粟、麦、ケシ等が美しく生育。
  • 各種キャプション
    • 「谷間・老廟附近」、「渡し場」、「牡丹江」、「高原」、「旅人」
「建設は進む」
  • 内容
    • 図寧線の建設工事の様子。橋梁、トンネル、森林の切り払いなど難工事の連続。老松嶺のスイッチバックは難工事の苦悶の姿。全線2万に余る日満の建設従事員は敷設を急ぎ、11月には京図線と北鉄を連結する。
  • 各種キャプション
    • 「軌道建設の最前線」、「土取場所見」、「軌道の手延し」、「真砂を積んで」、「セメント輸送の騾馬隊」、「老松嶺のスヰツチバツク」
「沿道拾遺」
  • 内容
    • 未だ図寧線は開通していないが、途中までの図們-李樹溝間は仮営業を開始したことの影響を紹介する記事。鮮満人の乗客で大混雑している。寂れてしまった渤海国の旧首都東京城や、人口二万の寧安の町にも11月には鉄道が開通するので、眠っていた東満が往古の殷盛を取り返す日も遠くはないと述べている。北鉄東部線の一寒村であった牡丹江站は、図寧線の終点と寧佳線の起点となるので、一躍満洲交通線上の花形となった。
  • 各種キャプション
    • 「工事区詰所に翻る国旗と満鉄社旗」、「建設従事員の宿営車」、「東京城」、「図們の駅頭」、「李樹溝駅付近」、「北鉄牡丹江站」、「北鉄と図寧線のクロス地点」、「寧安」、「寧北(牡丹江)」
「国道建設」
  • 内容
    • 満洲国の国道建設の紹介。1933年春の解氷期から満洲国は全国一斉に国道建設に着手。鉄路総局は国道で乗り合いバスを運転。「どこまでつづくぬかるみぞ」の悩みも日を逐ふて解消されるであろうと予測している。
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    • 「完成された国道」、そのタイトルなしの写真が3枚(ローラーによる地ならし、地盤づくり、乗り合いバス)
満洲文化の誇! 四庫全書」
  • 内容
    • 乾隆帝の勅命で編纂された四庫全書の紹介。四庫全書は北京紫禁城奉天宮殿、北京円明園、熱河離宮及び、江浙三閣の合計7か所に納められたが、奉天を除き散逸してしまった。奉天のものだけ殆ど完璧に保存され、満洲国国立奉天図書館が所管している。近く全書のなかの珍奇なもの300余種が復刻されるが、新興満洲国の文化に婢益するところ莫大。
  • 各種キャプション
    • 「四庫全書を蔵する文溯閣内部」、「閣内三階にある玉座」、「回廊の天井」、「文溯閣内部」、「楠製の書翰」、「文架図内容」、「蔵書の表紙と内容」

満洲グラフ』第2巻第6号(8号) 昭和9(1934)年12月5日発行

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  • 第2巻第6号内容
    • 満鉄の超特急・あじあ/“慰安船„の松花江巡航/曠野を行く/満洲国第1回陸軍大演習/満洲国の新行政区画/満洲国皇帝・初の御巡狩

概要

「東洋最初の流線型列車 満鉄の超特急・あじあ」
  • 内容
    • 昭和9年11月1日に運行を開始したあじあ号の特集。平均時速82キロ、最高時速130キロ。設計から製作に至るまで総て満鉄の技術者の手による。材料も殆ど日満の国産品。窓は密閉されるため、空調完備で換気だけでなく温度・湿度快感。座席数は297人分だが、定員276名以外は乗車させない。特別急行券の販売は5か前から。大連-新京間は1等6円、2等4円、3等2円。「あじあ」は大連-新京間にある78駅のうち、大石橋・奉天・四平街の3駅にしか停まらない。9時大連発の「あじあ」は新京に17時30分、10時新京発は18時30分に大連にそれぞれ到着する。
  • 各種キャプション
    • 「超特急・あじあ・の後尾」、「幕進」、「三等車内部」、「二等車座席」、「展望一等車」、「食堂車」、「発車前・大連駅フォーム」、「各車の接合部と出人台」、「自動送炭機」、「機関車パシナの働輪全高4.8米」、「機関車の安全弁」、「炭櫃カバー」、「空気警笛」、「機関車の連結機」、「手荷物郵便車」
「“慰安船„の松花江巡航」
  • 内容
    • 満鉄総局の福祉政策の紹介。慰安船の派遣の事例。満鉄総局は3万5千人の満鉄従業員、日満軍警、地方住民の慰安のため、慰安列車や慰安自動車隊を出しているが、今回はハルビンから松花江航路に慰安船を出した。1934年9月25日ハルビンを出港。3昼夜走り続け、下流約640キロの富錦に着き、そこから遡航しながら、樺川・佳木斯・蓮江口・依蘭・通河・木蘭・進甸の順に都市を巡航。10月11日、ハルビン着。慰安船に対する感謝と感激と喚起は大したもの。物資、病院、娯楽などが民衆に喜ばれる。野外映画では満洲国御大典実況や娘々祭り等の映画を見ると奇声を発して、やんやと喝采した。
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    • 慰安船の様子
      • 「慰安船・富錦到着の刹那」、「警乗の日本軍防備隊員」、「洋々たる松花江・通河附近」、「大繁盛の船内廉」、「大繁盛の船内廉売場」、「船内で満人奇術師の皿廻しや手品に興ずる小学生」、「施療室前の混雑・一都市二百人を下らなかった」、「満洲国家やウイルチンスキーのジャズで景気をつけるお抱の露人楽団」
    • 各都市の慰安の情勢
      • 「押寄せた女学生・樺川」、「初めて見る活動写真・佳木斯」、「地方官民と慰安船代表者の歓談」、「満洲童子団も賑々しく慰安船へ・通河」、「歓迎門を作つて慰安船を待つ・佳木斯」、「木蘭市街・人口約四余千の小都市であるが、木蘭県公署の所在地である。背後の青山嶺から約7千トンの薪を産出する」、「通河の娯楽場・通河は人口1万6千人、県公署の所在地で、一時匪賊来襲で商況停滞したが、現在やうやく活気を呈してゐる」、「依蘭の流筏・依蘭は三姓とも言はれる。鏡泊湖を経て東満洲貫流して来た牡丹江と松花江の合流点で、人口約2万3千、木材の集散地だ」、「樺川着の慰安船、樺川は蘇々屯の別名がある。」、「人口約3万、背後の沃野に満人移民の流入する者が最近激増した。」、「富錦埠頭、富錦は松花江黒竜江との合流点に近い江下第一の埠頭都市で人口約3万、うち500人は日鮮人である」
「曠野を行く」
  • 内容
    • 満洲写真作家協会第2回展覧会における馬場八潮による作品の掲載
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    • 「建国の大事業に参加する宣撫官の一隊が、生命の危険と行路難と戦ひながら、営々として行進する現実の相は、観者の魂に深甚なる迫力を齎さずにおかない。」
満洲国第1回陸軍大演習」
  • 内容
    • 1934年10月13日から15日まで皇帝陛下御親裁の下に新京南郊で行われた満洲国第1回陸軍大演習の紹介。13日、藤井少将の指揮する北軍と応振復中将の指揮する南軍が壮烈なる遭遇戦を演じる。14日南嶺附近の曠野で両軍の一大決戦、15日は演習参加部隊の観兵式の盛儀が新京中央通附近で挙行され、式後西公園広場で賜餐の儀が行われた。
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    • 「統監部幕僚長 張景恵上将」、「南軍司令官 応振復中将」、「北軍司令官 藤井重郎少将」、「陪観の菱刈関東軍司令官」、「御統監中の皇帝陛下」、「突撃を前に」
満洲国の新行政区画」
  • 内容
    • 1934年10月3日の閣議で新行政区画が可決され、12月1日から実施される予定であることを伝える特集。新行政区画は以下の14省。奉天吉林・濱江・龍江・錦州・安東・熱河・三江・間島・黒河の10省に興安東省・西省・南省・北省の4省を加えて14省。
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    • 龍江省 チチハル
      • 「古く北満に於ける政治上の要地として名高い。人口約8万人日鮮人3千余居住してゐる。」
    • 興安省
      • 「もとは東部内蒙古と言はれた地方で、百万に近い蒙古人が半農半牧の生活を営んでゐる。」
    • 熱河省 承徳
      • 清朝の時代に建てられた離宮や多くの寺廟が残つてゐる。人口約4万、日鮮人も1千余入込んでゐる。」
    • 錦州 錦州
      • 「錦州は古くから遼西の政治経済的主要都市として知られる。人口約7万のうち日鮮人は約1万5千人である。」
    • 奉天省 奉天
      • 奉天満洲第一の大都会、人口約46万余で在住日本人も最5万余に激増した。」
    • 安東省 安東
      • 鴨緑江節で名高い安東の鉄橋もこの10月限りで動かなくなつた。人口約18万日鮮人約2万5千である。」
    • 吉林省 吉林
      • 満洲の京都と云はれてゐる松花江畔の静かな都、人口約14万、うち日鮮人は約6千人である。」
    • 間島省 延吉
      • 「人口約2万余、うち日鮮人は半数を占めるが、間島住民の8割以上は朝鮮人である。」
    • 濱江省 ハルビン
      • 「人口約42万のうち露人5万5千余、日鮮人約1万3千、其他30余ヶ国人が居住する国際都市。」
    • 三江省 佳木斯
      • 松花江岸にある、背後に樺川の沃野を擁し、附近の永豊鎮は日本屯墾隊の移民地である。人口約4万人、日鮮人7百を算する。」
    • 黒河省 黒河
      • 黒竜江をへだてて対岸の蘇領のブラゴウエースチエンスクを望む。近くハルビンよりの鉄道が此地に延長されるとく。人口約1万、日本人も数百人在住している。」
満洲国ニュース」
  • 満洲国皇帝・初の御巡狩」
    • 内容
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      • 奉天城内の故宮に成らせらる」、「吉林にて省状御聴取 向つて右より説明中の煕洽省長、陛下工藤侍衛官、張海鵬侍従武官長」
  • 「訪満連合艦隊入港」
    • 内容
      • 満洲事変3周年にあたる9月18日に末次大将率いる70余隻の連合艦隊満洲国訪問のために大連に入港。末次提督以下艦隊幹部は新京で満州国皇帝に拝謁。「日満共存共栄の使命遂行に確信と成算」を有する主張を発表。艦隊所属機のうち約80機は9月20日から新京・吉林・哈爾濱・奉天に飛行し、威容を示す。新京では宮内上空から満洲国皇帝に末次司令長官の賀表の通信筒を捧呈。
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