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  • 和田伝『大日向村』(朝日新聞社、1939年)

    • この作品の主題
      • 長野県大日向村の満洲分村移民送出過程を広く伝えるために書かれた小説。後に舞台、国策映画、国策紙芝居とメディアミックス展開をした。

    戦前日本の農村の状態、満洲移民などに関する箇所の抜き書き

    • 資本家への隷属と格差の固定化 
      • 生産手段の独占的所有と搾取の構造
        • 薪炭材の方は村民に売り、村民はそれを原木に炭を焼くのであつた。昔から人々は油屋の山から原木を買つて炭を焼き、そしてその生産した炭俵は、また油屋の倉庫に積むのであつた。油屋はまた薪炭商をも兼ねてゐるのであつた。私有林は殆んど独占的所有であつたから、条件はつねに所有者に有利で買い方である村民は、どんなに高い原木を買はされても如何ともすることができなかつた。そしてその生産物である炭を今度は売る段になると、それは油屋へ持つて行かなくてはならなかつた。それもまた独占的な買ひとりであるたこと勿論で、売り方である村民は、どんなに安く買ひとられてもまた如何ともすることができなかつた。」(59-60頁)
      • 掛買い方式による借金の蓄積
        • 「原木を買ふ代金は現金払ひであつたが、炭俵を油屋の倉庫に積むとなると現金払ではなかつた。これは月末払いである。村民たちはその払ひを待つてゐることは多くはできないのであつた。油屋はまた米屋も兼ね、酒、醤油、味噌、砂糖など生活必需品は何でも取揃へた雑貨商、食料品商も兼ねてゐるのである。月末勘定の待てぬ殆んどすべての人々は、そこで油屋から米だ醤油だ砂糖だといふふうに伝票でものを買はされるのであつた。買はなければならなかつた。〔……〕そして人々は三重にも儲けられるのであつた。その上さらに念の入つた四重の儲けは、これらの商品がすべて高く、それは現金買ひでないから利子まで勘定されてゐるといふことであつた。ゼニがなくとも買へるといふことは便利であつた。」(60-61頁)
      • 働けば働くほど借金が増えるが、目先の生活の為には働かずにはいられない
        • 「さふいう先買いが、ここでは「仕送り」といふ言葉で呼ばれてゐるのである。そして月末になり炭俵の勘定となると、人々はいつも貰ふ金はいくらもなかつた。貰ふ勘定がないといふ者はいい方である。収入と支出がとんとんにいつたからである。しかし、それは誤りだ。暮らし向きの支出を払ひ、なほ少くとも山の原木代金は浮いてこなければならぬ。それが浮いて来て、はじめてとんとんにいつたといふことができるのである。〔……〕月末勘定で、貰ふ金がないどころか、いつも仕送りの方が多くなつてゐた。そして、それは油屋への借金といふことになつて證書を入れなければならなかつた。勿論、山の原木代金は浮いてなど来ず、念の入つた食ひ込みになるのであつた。働けば働くほど借金をふやすことになるといふ前代未聞の現象に、気がついたとてそれが何にならう。働かなければ飢え死にをするまでである。〔……〕仕送りで暮らしをたてるといふことは、言ひ換へれば、月々、年々、せつせと汗を流して油屋からの負債をふやしてゐるといふことを意味した。歯ぎしりして働きながら人々は油屋からの謝金を残したのである。そして人々はこの資産百万を擁する大油屋、村野吉兵衛に対しては、如何に跪いても鯨に呑まれる鰯の群ほどに無力であつたのだ。」(61-62頁)
    • 昭和戦前期の日本農村の過剰人口
      • 「長野県は人も知る山国である。県下耕地の総面積は17万2737町歩に過ぎなく、これに対する農家戸数は実に21万1132戸を算してゐる。すなはち一戸当り平均耕作反別はわづかに8反2畝にしか過ぎないのである。しかもその8反2畝は〔……〕拓き拓いて山の頂きまできはめつくした揚句の果ての8反2畝なのだ。〔……〕猫額の田でも後生大事に経営した上での8反2畝なのである。」
      • 〔……〕この1戸平均8反2畝を、全国平均の1戸1町7畝に引上げるためにさへ、少くとも農家戸数を16万1437戸に減じなければならない。つまり4万9695戸、約5万戸の農家が過剰となるのである。しかもそれは今日の行詰つた全国平均に対してさへそうなので、これを1戸当り経営面積を少くとも2町歩に引上げなければ独立自立の鞏固な農業経営は不可能と結論する農林省案に沿はせるとすれば、約10万戸以上の過剰農家を見ることになるのである。すなはち、少くともこの10万戸以上の農家を整理することによつて、長野県の農家ははじめて2町歩近い耕地をもつ農業らしい農業を経営することができるといふことになるのだ。」(107-108頁)
    • 長野県と満洲移民
      • 「長野県における満洲農業移民計画は、この県下農村の経済厚生との関連に於て取上げられたのである。早くも昭和7年満洲事変の硝煙もまだ消えぬ北満佳木斯の永豊鎮(弥栄村)に第一次武装移民が入植することになると、県下の32戸がこれに加はり、次いで昭和8年第二次武装移民には29戸が加はつて湖南営(千振郷)に入植した。以来満洲農業移民送出は県是の根幹をなすものとなつた。かくて昭和9年、第三次移民には42戸が参加して城子河、哈達河に、更に翌昭和11年には第五次移民294戸が黒台に入植し、信州移民のみの一団を形成して黒台信濃村を建設するまでになつたのである。」(109頁)
    • 大日向村の分村計画
      • 「〔……〕分村計画は、宮城や山県のなどの分郷計画ともちがひ、一つの村を分けてその1半をもつてそのまま彼地に新村、謂はば母村に対して子村をつくるといふ単式分村で、まだ他に例のない、まつたく画期的な新しい分村形態である点で、県当局をまづ驚かし、次いでその全面的関心を、つまり絶対的な支持をかち得ることになつた。」(160頁)
    • 昭和12年4月 堀川清躬の渡満視察旅行
      • 「4月16日、約1ヶ月の予定で清躬は単身大日向村をたつて渡満の途にのぼつたのである。この56歳の佐久弁丸出しの山男が、単身日本海を越えて大陸に渡つて行つたことは、この山陰の半日村の人々にとつてはまつたく驚愕に値する事件であつた。とくに若い層がこのことによつて奮い立ち、決心を固め、少くとも満洲をただ漠然と遠い海の彼方の陸地と考へることから目を醒ましたことは蔽ふべくもなかつた。」(189-190頁)
    • 89歳の満洲移民 おハルお婆さん
      • 「―おハルお婆さんは、この村の移民のうちでの高齢者といふばかりではない。恐らく、満洲へ行つてゐる日本移民中での高齢者だらうと思ふな。愉快ぢやないか?……かういふ単式な分村もまだ日本ではじめてのものだし、89歳の高齢者も日本ではじめてのものだ。愉快ぢやないか?」(205-206頁)
    • 堀川清躬の満洲視察旅行からの帰国と実物を用いての移民募集集会
      • 土と作物
        • 「〔……〕約1ヶ月の現地視察の旅から帰つて来た清躬は、現地で収集してきた各移民団の土壌や米をはじめ大麦、粟、高粱、包米、大豆などを、それも粒ばかりでなく穂のまま、或は穂のついた茎のままで行李に一杯つめて持つて来た。弁舌ばかりでは人々がうごかぬことを知り抜いていたから、それら実物は実に丹念に集めて来た。一つの移民団毎にそれらの農作物や土壌は名札をつけ、とくに土壌の如きは団毎に数袋とつて来た。弁舌よりも実物を突きつける考へからであつた。〔……〕満洲で米ができるかと疑つてゐた人々は、その見事な、村の田の稲などよりずつと粒の多い穂を見せられて驚いた。或る男などはその穂の粒をいちいち自分で数へ、180粒あると数へたてて驚いたりした。粟の穂などは村の在来種の穂から見るといやになるほど大きく、これでも粟かと言つてみんな驚いた。この実物を突きつけた実話の効果はやはり大きかつた。」(232-233頁)
        • 「その地の土壌をつかんで見、多くの者はそれを自分の手で一度はつかんで見るのであつたが、その地でできた作物の穂をつかんで見、一粒口の中へ入れて噛んで見、人々にはにはかに満洲といふところが手近に近づいて来たように感じられるのであつたが、それはふしぎなほどであつた。山陰にとぢこめられてひろい世間を知らぬ人々には、かへつてその実際の距離といふものが実感になつて来ず、いきなりその一塊の土壌を握つて見ることで、わけもなくそんな感じを持たされるのであつた。」(234頁)
      • 日露戦争の記憶
        • 「一塊の土壌の効果はそればかりではなかつた。それは人々の心に遠い、一旦は忘れ去つた過去をも蘇らす力があつた。35年の過去が、その一握りの土、一茎の穂によつて一人の老婆の心に蘇つて息を吹き出したといふことは驚くに値した。〔……〕35年前、日露役の記憶を持つてゐる人々は、息を呑み、黙りかへつた。遼陽の激戦で、クメの洮南はコサツク騎兵のなかに突撃し壮烈な戦死をとげたのであつた。年とつた人人はその頃のことを一瞬のうちに思ひ出したのである。〔……〕同じ満洲だ、地つづきだとクメは言い出し、息子の眠つてゐる土地への思慕はいまは感傷ではなくなつてゐた。〔……〕井川一家の移住志望はすらすら決心がついてしまつたが、それも実物を突きつけての清躬の実話がもたらした効果の一つの例であつた。」(234-238頁)
    • 満洲開拓は開拓ではなく既耕地の奪取
      • 「これまでの入植地は、何と言つても先づ満洲人の既耕地のなかに謂はば割り込んで入つたかたちになつてゐた。すなはち満人の部落や耕地を他に移動させ、そのあとに移民団を入れてゐたのである。それには治安の関係やその他いろいろの理由はあつたが、しかし、何よりも内地の農民をいきなり鉄路から10里も奥のまつたくの未墾地、まだ炊煙のあげられたことのない処女地無住地に入れるといふことは躊躇されてゐた。第六次でさへまだ多くこの傾向をもつてそれぞれ入植地を配置されたのであつた。」(342頁)
    • 寄生地主制の再生産
      • 「現在わが大日向村の地域内には、満人3千人、鮮人千人、合計4千人の住民が22部落を形成してをりますので、団の余剰の土地を小作せしめたり、農業経営の労力給源としたりするなど、村の建設上極めて有利なのであります〔……〕」(361頁)
      • 「〔……〕大部分の耕地は、従来通り満鮮人が小作することになりますが、その小作料に就いては満洲柘植公社で万事取決めていただくことになつてをります。」(363頁)