Heritage tourism(006)【巡検】「サクシュコトニ川の源流と農学校関連遺産群」

 今回の講義はキャンパス南部周辺の巡検であり、サクシュコトニ川の源流と農学校関連遺産群を中心に回った。ここでは時系列順に各地で発見したこと等をまとめていく。

1.クエスト「サクシュコトニ川の源流と北大中央ローンの間の河川跡を探せ!」

(1)コンテンツツーリズム『ブラタモリ

 『ブラタモリ』第22話「札幌編」(2015年11月7日放送)で取り上げられたサクシュコトニ川。番組では、「札幌市が碁盤の目状なのに、なぜ道庁裏・植物園脇の道路が直線ではなく曲がっているのか?」というクイズから話題が展開されていく。このクイズは札幌市が扇状地を利用して作られたことを説明するためのもの。扇状地は地盤が強く平坦になるため街づくりに最適だが、末端より先は低湿地となり都市建設には不向きである。ではどうすれば扇状地と低湿地の境を見分けられるのか?扇状地の末端には水が湧き、アイヌ語ではメムと言われている。このメムと、そこから流れ出る川を追えば、扇状地と低湿地の境目が判明するのだ。テレビでは番組のスタッフたちが川の跡地を探し、偕楽園、北大ローンまでたどり着いた。この『ブラタモリ』のスタッフの如く、我々も河川跡地を見つけるのが、本日のクエストである。

(2)実際に河川跡を発見せよ!!

 かつてサクシュコトニ川は植物園北側のメム(現・伊藤マンションの敷地内)から、偕楽園緑地を経て、北大に流れていた。しかし、現在北大を流れるサクシュコトニ川の源泉はポンプアップで人工的に流されている水である。そのため、札幌大停電の時には北大のサクシュコトニ川の水も止まった……。それでは、かつて水が流れていた跡地は現在どのようになっているのか?『ブラタモリ』よろしく我々は、偕楽園緑地を拠点にフィールド作業を開始した。

(3)偕楽園緑地は窪んでいる。

 明治13年頃の地図を確認すると、清華亭南東に池?みたいなものがあるのが分かり、実際に行くと本当に窪んでいる。いや、これは窪んでいるというよりも建物1回分くらいある高低差だ。さらに、偕楽園には井頭龍神という神社もあり、水にちなんでいると推測された。そして建物の間に何故か発生している謎の空間。生えている雑草などから見て明らかに川が流れていたであろうことが分かる。この空間を辿っていくと「河川用地」の看板を発見した。すでに水が枯れ果ててしまっていても、札幌市からは河川扱いされているのである。

f:id:h30shimotsuki14:20190521230638j:plainf:id:h30shimotsuki14:20190521230633j:plain
井頭龍神から河川跡と思しき空間を追うと……看板から河川用地であることが判明!


2.解説①偕楽園緑地と産業振興施設

 偕楽園から北大に続く河川跡を発見し、清華亭前に戻ると、ここからは教授の解説タイムとなった。以下では、教授の話を中心にまとめることとする。
 偕楽園緑地の解説案内板を見ても分かるように、偕楽園は単なる公園ではなく、産業振興施設を擁する機能を持っていた。葉室、生徒館、博物所属舎などが明治13年ころの地図には記載されているが、解説で興味を惹かれたのは、やはり鮭卵孵化場である。サクシュコトニ川が石狩湾と繋がっていたため、植物園近辺まで鮭がのぼってきていたが、北海道初の孵化場があったということは大変感慨深かった。北区の公式webサイトでも孵化場のことが紹介されているが、結局失敗に終わってしまったとはいえ、当時のお雇い外国人トリートの労苦が偲ばれる(https://www.city.sapporo.jp/kitaku/syoukai/rekishi/episode/052.html 2019年5月21日20時47分閲覧)。

f:id:h30shimotsuki14:20190521230652j:plain


3.解説②井頭龍神の起源を追うと・・・明治天皇が手を洗ったことで水神信仰が生まれた!?

 偕楽園緑地の周辺には清華亭がある。この清華亭は1880年明治天皇の北海道行幸の際、休憩所として建てられたものである。明治天皇はこの時、偕楽園内にあるメムで手を洗ったという逸話が残っており、「御膳水」と呼ばれるようになった。講義ではこのメムにちなんで井頭龍神がススキノの女性たちによって作られたことが紹介された。メムと明治天皇により水神信仰が起こるのは分かるが、なぜススキノの女性たちが関係あるのだろうか?水商売なので水神と掛けているのだろうか?これまた北区のwebサイトに井頭龍神についての解説があったのでまとめておく。昭和後期まで道内一の料亭であった「いく代」の初代女将であったのが斎藤いく。彼女はかつてサクシュコトニ川のほとりに店をかまえたことがあり、「御膳水」を「神水」として周囲に配り廻った。その後、いくや他の水商売の女たちが「御膳水」の小さいながらもお宮を建て、祭礼も行われるようになった。現在の社は2001年に建てられたものであるが、かつては札幌祭りの山車みこしをお宮として使用しており、現在もこのおみこしは建て替えられた社の中に納められているとされている。(https://www.city.sapporo.jp/kitaku/syoukai/rekishi/episode/054.html、2019年5月21日21時31分閲覧)

f:id:h30shimotsuki14:20190521230649j:plainf:id:h30shimotsuki14:20190521231750j:plain
井頭龍神

4.解説③旧札幌農学校建築群~「昆虫学及養蚕学教室」、「図書館読書室並びに同書庫」、「農学部本館」~

 サクシュコトニ川の跡地を辿り、我々は北大キャンパスに辿り着いた。キャンパス南部には旧札幌農学校建築群を見ることが出来る。札幌農学校は1876年に開校したが、当時あった札幌時計台周辺の土地は市街地が拡大したため、1899年に現在の場所への校舎の移動が始まった。その時1901年に竣工したのが「昆虫学及び養蚕学教室」で、翌1902年竣工したのが「図書館読書室並びに書庫」であった。教授から紹介されたエピソードの中で不謹慎ながら思わず笑ってしまったのが、「第一サークル会館」のエピソード。「昆虫学及び養蚕学教室」の会い向かいにも、移転当時に竣工した建物があり、それが「第一サークル会館」として使われていたのだが、火を出して燃えてしまったそうだ。これには受講生一同大爆笑であった!!(一説によると漏電らしい※真偽不明)。
 続いて紹介されたのが、農学部本館である。1936年8月に竣工された農学部本館は、同年10月の陸軍大演習において大本営が設置された。ここで昭和天皇が指揮をとったのである。このため、キャンパス内には地下迷宮の都市伝説があり、防空壕が張り巡らされているとの専らの噂であると解説があった。個人的に興味を惹かれたのが、クラーク像の会い向かいにある「聖跡」という碑文である。これは文字が薄れているが、教授の解説では農学部大本営を置いたことを記念するために建てられたものであるとのこと。戦争を扱うセンシティブなものであるため、現在は全く見向きもされず、放置されているのが現状である。しかしダークツーリズムの観光資源として活用できる可能性を秘めているとの解説に関心を持った。

f:id:h30shimotsuki14:20190521231607j:plainf:id:h30shimotsuki14:20190521231605j:plain
左:聖跡 右:昆虫標本室

5.解説④キャンパスの中央道路は実は直線ではない。

 普段何も考えずに歩いているメインストリーム:キャンパスを南北に貫く中央道路。この道路が、実は真っ直ぐではないということも興味深いことであった。上述の『ブラタモリ』において札幌市はいくつかの村が繋ぎ合わされてできたことが出てきたが、まさにこのキャンパスもそうであった。境目となるのは、やはりここでもサクシュコトニ川。この川が中央道路を横切り大野池に注ぐところが境目であり、それ以北は後から継ぎ足されたのであるとか。立地を考えればセイコーマートが清華亭のような存在との教授の言葉が特に印象に残った。

f:id:h30shimotsuki14:20190521234226j:plain:h300f:id:h30shimotsuki14:20190521234223j:plain:h300
中央通り