雑録

【巡検メモ】博物館等施設見学9日目 群馬滞在編②高崎北ミュージアムトライアングルほか

本日は高崎駅以北・利根川以西の地域を北上していった。かみつけの里・土屋文明記念館・絹の里は「高崎北ミュージアムトライアングル」という見学ルートを作り出し、観光客の周遊を生み出そうとしている。ただ、これに上野国分寺跡を回ることを考えると、緯度的に国分寺はかみつけの里&土屋文明記念館と絹の里の間にあるため、迂回することになってしまう。国分寺跡は総社歴史資料館を回る時のルートに組み込んだ方が効率的かもしれない。耳飾り館は茅野遺跡で発掘された耳飾りを展示する資料館であり、黒井峯遺跡はまだ何も整備されておらず、解説パネルの看板とスマホアプリがあるだけである。


 

かみつけの里博物館

  • 古墳時代前方後円墳は発掘されても、そこに埋葬された豪族たちの居館は発見されていなかった。そのような中で日本で初めて発見された古墳時代の豪族の居館が三ツ寺Ⅰ遺跡であり、かみつけの里博物館は、三ツ寺Ⅰ遺跡の豪族が埋葬された保渡田古墳群(ニ子山古墳・八幡塚古墳・薬師塚古墳)の中にある。
  • ここで長年の疑問であったことが解消された。①東国にまで前方後円墳が広がっていることから地方豪族がヤマト政権内で重要な地位を占めたということが述べられるが、実際には具体的にどんな役割だったのか?という疑問。古代群馬に関わる氏族である上毛野氏は崇神天皇を祖とする氏族であり、朝鮮半島との軍事・外交及び蝦夷征討など軍事・外交の任に携わっていたとのこと。かみつけの里で紹介されていた史実性の高い上毛野氏は3人紹介されており、それぞれ形名(カタナ)、稚子(ワクゴ)、三千(ミチチ)である。カタナは蝦夷討伐を行い、ワクゴは新羅遠征の将軍となり、ミチチは日本書紀の編纂事業に参加した。
    • 三ツ寺Ⅰ遺跡と関係があるのは、上毛野氏の同祖氏族の「車持氏」。この車持氏が三ツ寺Ⅰ遺跡の王と考えられている。車持の姓は大王に輿(乗り物)を提供する職務から与えられたもの。故に三ツ寺の支配地域は「クルマ」と呼称され、「クルマ」を文字で表す時に「群馬」という文字が当てられるようになる。車持氏の支配下の地域は、合併前は「群馬郡」であり、クルマが群馬になったことが分かる。
  • 長年の疑問の二つ目がヤマト政権に地方政権が組み込まれていったことである。実際にどのようにしてヤマト政権に屈したのか?ということである。かみつけの里で紹介されていたのは、『日本書紀安閑天皇元年(534年)の武蔵国造の乱。事実か創作かは定かではないが、元となる出来事があった可能性は高いそうだ。武蔵国において国造の地位を巡り、オミとオキが争うが、オキが上毛野君小熊を頼り、オミはヤマト政権に助けを求めたのである。結果として武蔵国の国造の地位はオミが継承することになったが、5世紀後半んは上毛野の古墳は小型化し、乱後には上毛野の緑野(藤岡市)に屯倉が置かれた。こうしてヤマト政権が東国へ影響力を強めていく具体的な事例を知ることが出来た。

f:id:h30shimotsuki14:20190810044330j:plainf:id:h30shimotsuki14:20190810044336j:plain
 

土屋文明記念文学館

  • かみつけの里博物館の北側に、保渡田古墳群のうちの一つの古墳である国史跡:八幡塚古墳があり、この古墳を越えて歩いて行くと土屋文明記念文学館がある。浅学非才のこの身にとって、そもそも土屋文明って誰よ?って感じ。歌人であり、『アララギ』や万葉集の研究で有名なのだとか。常設展示では土屋文明の生涯が6つに区分されて時系列的に紹介されている。

f:id:h30shimotsuki14:20190810044340j:plain:h300
 

上野国分寺跡

  • 前橋と高崎の境目にあるのが上野国分寺跡。復元されたいくつかの遺構とガイダンス施設からなる。遺構は塔・講堂・築垣が復元されており、面白いのが、金堂と思っていた遺構が実は講堂であったという話。国分寺跡の南東には国府推定地である蒼海城跡があり、県は国府を復元させたいらしいと解説員が述べていた。

f:id:h30shimotsuki14:20190810044344j:plainf:id:h30shimotsuki14:20190810044349j:plain
 

絹の里

  • かみつけの里博物館・土屋文明記念館・絹の里の三つの施設は「高崎北ミュージアムトライアングル」という周遊ルートを作ろうとしており、スタンプラリーが実施されていた(この他にも群馬県生活文化スポーツ部が3つもスタンプラリーを展開しており、さすがに多すぎだと思われる)。そんなわけで、スタンプラリーにつられて絹の里へ。群馬県における養蚕・製糸・機織りが紹介されているが、やっぱりインパクトがあるのが、リアル蚕。ナウシカで出てくるオームみたいなやつ。生産する生糸の種類に応じて様々な蚕がおり、その生きている蚕がひたすら桑を貪り続けている様子は圧巻である。個人的に気になったのが、生糸関連産業による交通インフラの整備。高崎線は群馬産の生糸を東京に運ぶために両毛線も製糸業の盛んな前橋、機織りが盛んな桐生をつなげるために敷設されたシルクの鉄道なるパネルを見て、もっとこの知識を深めたいと思った。

f:id:h30shimotsuki14:20190810044353j:plain:h300
 

耳飾り館

  • 国指定史跡である茅野遺跡。現在は埋め戻されて公園となっているが、ここで出土した577点の耳飾りを展示する施設が耳飾り館である。茅野遺跡と耳飾り館は若干離れている。また、さすがに縄文時代の耳飾りだけで展示をするのは厳しいためか、展示の順路としては、世界における様々な耳飾りから入って、現代から遡って縄文時代までの通史を追い、最後にメインの縄文時代にたどり着くという流れである。博物館のコンセプトとなる主要展示を最初に持ってこないという事例である。

f:id:h30shimotsuki14:20190810044358j:plainf:id:h30shimotsuki14:20190810044403j:plain
 

黒井峯遺跡

  • 現在はただの原っぱ。見学用の整備はなされておらず、看板のところにパンフレットとスマホ用アプリの説明があるだけである。一応、古墳時代後期の榛名山の噴火により、災害当時のまま発掘されたことに歴史的意義のがある遺跡である。従来の竪穴住居と高床倉庫が点在するというイメージは一新され、平地建物や柵で囲われた集団の単位、道路、祭祀、畑作などが行われる多様性のある生活が営まれていることが分かった。この黒井峯遺跡により古墳時代の集落の様子が明らかになったので、国指定史跡となったとのこと。現地はスマホ用アプリを使わないと本当にただの原っぱではあるが、かみつけの里博物館では榛名山大噴火の解説がなされている。近年はスマホ前提になっているので、悲しみ!

f:id:h30shimotsuki14:20190810044409j:plainf:id:h30shimotsuki14:20190810044414j:plain