【メモ】昭和16年版満支旅行年鑑(1941年5月)における満支観光ルート(ルートごとの日程・費用概算・各都市の観光資源)

満支旅行年鑑では、日本からの満洲旅行について、推奨ルートとその日程、それにかかる費用、観るべき観光資源について記載されてる。

観光による移動は交通インフラに依拠する。満支旅行年鑑から、(1)関釜連絡船を使って朝鮮を縦断し満洲に至る往路朝鮮経由、(2)大阪商船で門司から大連に渡り満鉄で北上する往路大連経由、(3)日本海ルートで北鮮三港(清津・羅津・雄基)に至り京図線で国都新京を目指す往路北鮮経由、以上3つのルートで満洲観光が行われていたことが分かる。

満支旅行年鑑における満支観光の推奨ルートを見ると、鉄道沿線の各都市を観光するものになっており、どの経路を選んでも、旅順・大連・奉天・新京・哈爾濱の5大都市を欠かさず回ることになっている。また各都市においては観るべき観光資源も記載されている。当時の観光は、国の光を観るという意味での観光であった。そのため、観せたい、観てもらいたい「満洲国」がここからうかがえるのである。

満支観光ルートとその日程

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各ルートの費用概算

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各都市の観光資源

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では各都市の観光協会はそれぞれどのような事業に取り組んでいたか。次回はそれを調べてまとめることとする。