雑録

【日本史】政治史人物整理 明治期内閣史

  • あらすじ
    • 明治14年の政変の際の国会開設の勅諭により10年後の国会開設を公約、政府は独自の立憲体制の構築を目指した。1885年に内閣制度発足、89年に帝国憲法制定、90年に帝国議会が開催される。初期議会は政府と議会が対立するが日清戦争により協力体制へ。日清戦後、政府は政党と妥協しながら日露戦の準備を進めるが、伊藤と山県は引退して元老となり、山県の後継者である桂太郎が日露戦に臨む。その後、伊藤の後継である西園寺と山県の後継である桂が交互に政権を交代する桂園時代となる。第二次西園寺内閣の時に明治天皇崩御。二個師団増設問題で軍部大臣現役武官制の倒閣機能が発動し西園寺内閣は崩壊。代わった第三次桂太郎内閣も政党勢力による第一次護憲運動で退陣を余儀なくされる(大正政変)。

【目次】

【1】帝国議会開催前

  • 当時の社会状況
    • 東アジアでの勢力後退
      • 壬午軍乱・甲申政変後の朝鮮半島で日本は清朝と天津条約(1885)を締結
    • 明治十四年の政変(1881)後
      • 政治体制の整備=議会開設を踏まえ伊藤博文が渡欧して立憲体制を研究。1885年にそれまでの太政官制を廃止して内閣制度を立ち上げ、伊藤自ら初代総理大臣となる。

第一次伊藤博文内閣(1885.12~1888.4)

  • ①内政(内相:山県有朋)
    • 保安条例(1887.12)…政府による民権運動弾圧政策。1886年大同団結運動、1887年の三大建白運動(言論の自由・地租軽減・外交の回復)を弾圧した。
    • 市制・町村制(1888.4)…山県がモッセと協力して推進した地方行政制度。市町村会の議員は納税資格による選挙制、市長は内相による任命制。
  • ②教育(文相:森有礼)
  • ③外政(外相:井上馨大隈重信)
    • 条約改正交渉
      • ノルマントン号事件(1886.10)…英国貨物船ノルマントン号の座礁沈没で日本人乗客全員死亡。→日本国民に領事裁判権の不当性を認識させる(三大建白運動では井上外交が徹底的に批判される)
      • 井上馨外相辞任…欧化政策への反感、外国人判事任用への批判

黒田清隆内閣(1888.4~1889.10)

  • 大日本帝国憲法発布(1889.2)
  • 超然主義演説(1889.2)…黒田清隆首相が地方長官を鹿鳴館に集めて演説。
    • 「政府は常に一定の方向を取り,超然として政党の外に立ち,至公至正の道に居らざる可らず」と述べた。→“超然主義”が一つの政治姿勢をあらわす言葉として使われるようになった。=大日本帝国憲法下で,藩閥官僚政府が政党の影響をうけずに政治を運用しようとした政治姿勢

【2】初期議会(1890年の議会開設~1894年の日清戦争開始までの議会)

第一次山県有朋 内閣(1889.12~1891.5)

  • ①内政(首相・内相:山県有朋)
    • 府県制・郡制(1890.5)…知事は政府が任命。郡長は知事が任命。中央集権的・官僚制的な自治制。
    • 第1回選挙(1890.7)…民党が議会の過半数を占める(300議席立憲自由党130議席立憲改進党41議席)
    • 第一議会(1890.11~1891.3)
      • 山県の施政方針演説…軍備予算拡大の必要性(「主権線」防衛だけでなく「利益線」確保のために増税)
      • 議会の反応…「民力休養(減税)・政費節減(軍事費抑制)」を掲げて対立。
      • 山県の手腕…立憲自由党土佐派を懐柔し、予算を成立させる。
  • ②教育(文相:榎本武揚)

第一次松方正義内閣(1891.5~1892.8)

  • 外交問題
    • 大津事件(1891.5.11)…ロシア帝国皇太子ニコライ(のちのニコライ二世)が訪日中に津田三蔵により負傷させられた事件。政府は大逆罪で津田を死刑にしようとしたが、大審院長:児島惟謙は無期徒刑の判決を下した。司法権の独立を守ったされている。
  • ②議会運営困難
    • 第二議会(1891.11~12) 
    • 選挙干渉
      • 第2回衆議院議員選挙で内相の品川弥次郎が選挙妨害活動を行う。民党勢力は多くの死傷者を出したが、4割以上の議席を確保。
    • 第三議会(1892.5~6)
      • 当時は議院内閣制ではないので、首相は交代せず松方は第三議会へと臨むが、軍艦建造費が否決され退陣へと追い込まれる。

第二次伊藤博文内閣(1892.8~1896.8)

  • ☆背景:松方正義が閣内をうまく統率できなかったことに対し、伊藤は「元勲内閣」を敷く。
  • ①内政
    • 第四議会(1892.11~1893.2) 元勲内閣と民党が軍拡予算で対立
      • 和衷協同の詔書天皇自ら宮廷費を節約し、文武官の俸給の10分の1を軍艦建造費に充てるから、議会も政府に協力するようにとの詔勅
      • 以後、伊藤内閣と自由党との実質的な提携が進行。(伊藤内閣の議会対策としては自由党板垣退助を内相として入閣させる。)
    • 第五議会(1893.11~12)
    • 第六議会(1894.5~6) 
      • 対外硬派連合…民党を構成していた立憲改進党と、吏党であった国民協会が連合。強硬外交を主張。日清戦争直前まで対立を繰り返す
    • 第七議会(1894.10)…日清戦争中、大本営のある広島で開会。臨時軍事費など全会一致で可決。
  • ②外交(外相:陸奥宗光)
    • 日英通商航海条約(1894.7)…領事裁判権撤廃・最恵国待遇相互化・関税率の引上げに成功
    • 日清戦争宣戦布告(1894.8)
      • 下関条約(1895.4)
        • a.清国が朝鮮の独立を承認(=宗主権放棄)
        • b.清国は遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に割譲
        • c.清国は2億両(当時の日本貨で約3億1千万円)の賠償金を日本に支払う→日本はこの賠償金で戦後経営に取り組み、軍備拡張、金融貿易制度を整備(1896年造船奨励法・航海奨励法 → 鉄鋼船の建造と外国航路への就航に奨励金を交付)
    • 三国干渉(1895.4)…露仏独による遼東半島の清への返還要求。
      • 日本の対応…三国干渉に屈する一方で、「臥薪嘗胆」のスローガンに代表される反露感情を背景に、以後、軍備の拡張に全力をあげる。
    • 閔妃殺害事件(1895.10)…朝鮮では閔妃一族が実権を掌握しており、親露反日政策をとったので駐朝公使三浦梧楼が閔妃を殺害。しかし朝鮮国王はロシア公使館に入り親露政策(露館播遷)。

【3】日清戦後・対露戦準備

日清戦争後の第二次伊藤内閣(~1896.8)

第二次松方正義内閣(1896.8~98.1)

第三次伊藤博文内閣(1898.1~6)

第一次大隈重信内閣(1898.6~11) 隈板内閣(最初の政党内閣)

第二次山県有朋内閣(1898.11~1900.10)

  • ①議会工作…憲政党と提携し地租増徴案成立
  • ②政党抑圧…文官任用令改正で政党員が官僚になるのを阻止。
  • 軍閥伸長…選挙法改正(直接国税10円以上)と引き換えに軍部大臣現役武官制
  • ④対外進出…北清事変(義和団事件)鎮圧の主力。
  • ⑤社会統制…治安警察法で左派運動を規制

第四次伊藤博文内閣(1900.10~1901.5)

  • ①背景
  • ②山県の攻撃…伊藤の政友会結成に批判的であり、政権を担当させて攻撃し退陣させる。
    • これを機に山県と伊藤は一線を退き、元老となる →桂園時代へ

第一次桂太郎内閣(1901.6~1906.1)と日露戦争(1904-05)

  • ①成立…第四次伊藤内閣退陣後、井上馨が組閣予定であったが辞退。山県直系の桂太郎が組閣。
  • ②外交論争
    • 日露協商論…伊藤・井上・陸奥らが提唱。満韓交換でロシアと妥協し、韓国における地位確保を狙う。
    • 日英同盟論…山県・桂・加藤高明小村寿太郎が提唱。イギリスと結んで満州・韓国の確保を目指す。
  • 日露戦争
  • ④日比谷焼打ち事件
    • 国民国家では国民を戦争に動員するため、増税や徴用などの戦争協力が要請され、世論誘導が行われる。つまり国民は国力が限界にきていることなど知らされず、都合の良い戦勝の情報を与えられることになる。そのため国民は戦争報酬を望むようになり、賠償金が取れないと分かると講和に反対して暴動を起こした → 戒厳令で鎮圧。
  • ⑤大陸政策の進展…ポーツマス条約で韓国における日本の指導権、北緯50度以南の樺太、東清鉄道南満州支線と付属権益、遼東半島南端部(関東州)を獲得し、大陸進出。
    • 国保護国化…第二次日韓協約で外交権を奪い保護国化する。
  • 政権交代

【4】日露戦後・桂園時代

第一次西園寺公望内閣(1906.1~1908.7)

  • ①内政
    • 「帝国国防方針」(1907.4)→仮想敵国:アメリカ・ロシア。必要な軍事力→陸軍平時25個師団(戦時50個師団)、海軍八・八艦隊(戦艦8隻・巡洋艦8隻)。
    • 鉄道国有法日露戦争以前は私鉄が中心だったが軍事上から私鉄国有化。
  • ②外交
    • 第三次日韓協約→内政権接収・軍解散
    • 第一次日露協約→日露による満州分割・外蒙古と韓国の特殊権益を相互承認
  • ③左派勢力の台頭

第二次桂太郎内閣(1908.7~1911.8)

第二次西園寺公望内閣(1911.8~1912.12)

  • ①大陸情勢の変化 → 辛亥革命(1911.10)
  • 明治天皇崩御(1912.7)
  • ③二個師団増設問題
    • 陸軍が朝鮮と中国の国境に二個師団を増設して配備することを主張。西園寺はこれを拒絶(1912.11)。
  • 軍部大臣現役武官制の倒閣機能発動
    • 陸相上原勇作が帷幄上奏して辞職。後任陸相を推薦せず。→西園寺内閣は総辞職を余儀なくされる。

第三次桂太郎内閣(1912.12~1913.2)