雑録

第二次世界大戦【3】第二次世界大戦の展開

1.ヨーロッパ戦線

(1)ポーランドの敗北

  • 1939年9月半ばまでにドイツの電撃戦ソ連侵攻によって敗北。両国間で分割。

(2)ソ連の侵攻

(3)ドイツの侵攻

  • デンマークノルウェー 侵入(1940年4月)…ドイツ、中立国である両国を不法占拠。1939年10月以来のにらみ合い状態(=奇妙な戦争)は終わり、本格的な戦争が開始された。
  • ②オランダ・ベルギー侵入(1940年5月)…ドイツは永世中立国を踏みにじって侵入。ドイツ軍の北フランスに向けての進路となる。
  • ③イギリスでチャーチル首相就任(1940年5月)…対ドイツ宥和政策を批判し続けていたチャーチルが首相に就任。強力な指導力を発揮して第二次世界大戦を戦い抜く。
  • ④イギリスがダンケルクで:撤退(1940年6月)…大陸派遣の全イギリス軍とフランス軍30万以上がドイツ軍に包囲されるも、海路で脱出。
  • ⑤イタリア参戦(1940年6月10日)…独の優勢に便乗参戦。地中海戦線を形成したが、第二次世界大戦を通じてイタリア軍は弱かった。
  • ⑥パリ占領(1940年6月14日)…ドイツ軍が無血入城し、フランスはペタン内閣になり、ドイツに降伏した。
    • ⇒ペタンはフランス南半にヴィシー政府を置いて対ドイツ協力政権となった。
    • ⇒ド=ゴールはロンドンに自由フランス政府を置いて対ドイツ抗戦を唱える。
  • ⑦バトル=オブ=ブリテン(1940年7月~10月)…イギリス領空で戦われたイギリスとドイツの航空戦。イギリス空軍は緒戦の劣勢を覆してドイツの侵攻作戦を断念させた。
  • ⑧日独伊三国同盟 (1940年9月)…ドイツの電撃戦の勝利をきっかけとしてファシズム諸国の結束を高めようと結束。
  • ⑨敗北を続けるイタリア(1940年9月、10月)
    • 9月 リビアからエジプトに攻勢をかえるがイギリス軍の反撃を受ける
    • 10月 アルバニアからギリシャに侵攻したが敗退⇒ドイツは当初の予定に無かった方面の戦争に巻き込まれる。
  • ⑩バルカン制圧(1941年春)…4月に攻勢をかけユーゴスラヴィアギリシアを制圧。ソ連は前年、ルーマニアの石油資源地帯を制圧しており、両国関係が緊張化。⇒ソ連は独に備えて4月に日ソ中立条約を結ぶ。
  • ☆ここまでの戦争はヨーロッパとその周辺部に限られ、ドイツの侵攻が次々に機動的短期戦を繰り返すという経過で進行してきたが・・・1941年6月の独ソ戦の開始から新しい段階に入り、真の世界戦争が始まる。

(4)独ソ戦開始

  • ①バルバロッサ作戦⇒冬が訪れる前にソ連軍を破りスターリン体制を崩壊させる予定。
    • A) 6月22日…独が独ソ不可侵条約を無視し、伊・ルーマニア・フィンランド・ハンガリーとともにソ連を奇襲
    • B)ドイツ軍の進撃…レニングラード近郊に達し、キエフを陥落させ、モスクワに迫る!
      • ※スターリンは「大祖国戦争」と位置付け「焦土作戦」で防衛。時代遅れの装備と拙劣な指揮で甚大な損害。
    • C)モスクワ攻防戦…首都モスクワまで迫ったドイツ軍であったが、冬の到来とともに戦力が低下。12月5日にソ連は反抗に転じた。 ⇒独ソ戦はドイツにとって予想外の長期戦に突入!
  • ソ連外交の転換…英ソ軍事同盟(1941)を結び、英仏と強調をはかるためコミンテルンを解散(1943)

(5)ドイツの戦争経営

  • ①短期戦に失敗し戦争経済を支える必要性 → 多数のユダヤ人やスラヴ系の人々をアウシュヴィッツなどの強制収容所で処刑
    • A)占領地から工業資源・食料を接収
    • B)数百万の外国人をドイツに連行して強制労働につかせる
    • C)支配地域にも人種主義政策 を強制
  • ②占領地域におけるドイツ支配への抵抗 → レジスタンス、武装抵抗運動(パルチザン)が展開される。

2.アジア・太平洋戦線

(1)日本の南進策 ☆日中戦争長期化で国力消耗 ⇒ 状況打開のため南方進出

  • 独ソ不可侵条約(1939.8)…平沼騏一郎内閣、ノモンハン事件の最中での条約成立に衝撃を受け総辞職。
  • 第二次世界大戦開始(1939.9)…日本は「欧州戦争不介入」の方針
  • ③パリ占領(1940.6)…ドイツ電撃戦の成功。日本では対米英戦も覚悟して独と提携する南進策が高まる。
  • ④日独伊三国同盟(1940.9)…独の軍事的成功直後にベルリンで調印。日本の米英との対立が決定的になった。
  • ⑤北部仏印進駐(1940.9)…フランスの降伏を契機に日本軍が仏領インドシナの北部へ進駐。
  • ⑥日ソ中立条約(1941.4)…南方進出をはかる日本とドイツのバルカン進出に備えたソ連が相互不可侵・中立維持などを約束。期限は5年であったがソ連は45年2月のヤルタ会談でドイツ降伏後の3か月以内での対日参戦を表明した。
  • 独ソ戦開始(1941.6)…松岡外交破綻。日本は独ソ不可侵条約・日独伊三国同盟・日ソ中立条約を結びつけ、日独伊ソの大陸ブロックを構想していた。※ヒトラーは40年末の段階で戦争準備に入っていた。
  • ④南部仏印進駐(1941.7)…日米会談中に日仏間議定書を交換して南部に進駐。露骨に南進の意図を示す。

(2)アメリカの対応と太平洋戦争の開戦

  • ①武器貸与法(1941.3)…米は中立を保っていたが英ソに武器や必需品を送り、反ファシズムを明確化。
  • ②ABCDライン(1941夏)…日本の南方進出を牽制、日本への石油供給を停止。アメリカ・ブリテン・チャイナ・ダッチ。
  • ③日米交渉の行き詰まり(1941.4~10.)…近衛内閣によって交渉開始。中国からの日本軍撤退と三国同盟からの脱退が中心問題となった。日本軍部は譲らず、交渉中に日ソ中立条約締結、南部仏印進駐を行い、アメリカを硬化させた。10月、近衛内閣は東条内閣と交替し、開戦が最終決定された。
  • ④1941年12月8日…真珠湾マレー半島攻撃⇒米英に宣戦し、太平洋戦争に突入。

(3)日本の戦争経営

  • 大東亜共栄圏 …日本を盟主とする東アジアの経済・政治・軍事ブロック。東アジアから白人諸国の植民地支配を廃し、アジア諸民族の共存・共栄をうたった。だが実際には占領した諸地域の人々を搾取し、強制労働させ、アジア諸民族の反抗を招くことになった。
  • ②東南アジア制圧(1942.1~5)…マレー・香港・シンガポール・インドネシア・フィリピン・ソロモン諸島を占領し、ミャンマーを征服。