国民国家形成【5】 ドイツ ~ビスマルクの鉄血政策~

1.分裂するドイツ

2.プロイセンオーストリア

(1)プロイセンオーストリアの流れまとめ

プロイセン
  • ナポレオン期 プロイセン改革
    • イエナの戦いに敗北後ティルジット条約で屈辱的な講和を押しつけられ改革が始まる。シュタイン・ハルデンベルクにより上からの近代化が始まりナショナリズムも昂揚。
  • ウィーン体制期 ラインラントを獲得
    • ウィーン議定書で獲得。工業地域として発展し産業革命の中心地となる。
オーストリア
  • 17世紀 神聖ローマ帝国からオーストリア経営へ
    • オーストリアのハプスブルク家は神聖ローマ帝国皇帝位をほぼ世襲してきた。しかし三十年戦争のウェストファリア条約(1648)で神聖ローマ帝国は有名無実化。以後はオーストリア経営へと専念。オスマン帝国を撃退し、ハンガリーの支配権を獲得して強国へとのし上がる。
  • 18世紀 ハプスブルク家による中央集権化と国家統合
    • マリア=テレジアは即位に際して領土継承の危機にあうがプロイセンにシュレジエンを奪われた以外はほぼ継承に成功し国政改革で国力を高める。ヨーゼフ2世は啓蒙専制君主として中央集権化を進める。
  • ナポレオン期 神聖ローマ帝国の消滅
    • 1805年アウステルリッツの三帝会戦に敗北、1806年のライン同盟成立を契機に神聖ローマ帝国は消滅。以後オーストリア帝国を名乗る。
  • ウィーン体制期 メッテルニヒの活躍
    • 正統主義と勢力均衡を原則として欧州外交の主導権を握る。オーストリアはドイツ連邦の盟主となる。

(2)ドイツの統一をめぐって

  • ①ドイツ関税同盟
    • 1834年に成立したドイツにおける統一的経済圏を創出のための関税同盟。保護貿易主義を唱えた歴史学派経済学者リストの理論が貢献。68年頃までにオーストリアを除く全ドイツ地域の経済的統一を達成。
  • ②フランクフルト国民議会(1848年5月~) → ドイツの統一をめぐる論争が勃発
    • 大ドイツ主義…墺領内のドイツ人地域を含めてドイツの統一を進めようとする考え。多民族国家オーストリアの非ドイツ人地域の分離独立につながりかねないため、墺政府はこれを拒否した。
    • 小ドイツ主義…普を中心に墺を除いてドイツの統一を進めようとする考え。最終的に国民議会は小ドイツ主義に傾くことになる。
      • 1849年3月、小ドイツ派が、自由主義憲法を採択した上で、プロイセン国王にドイツ皇帝への就任を要請→普王フリードリヒ=ヴィルヘルム4世は、革命派から王冠をうけられないとして拒否。
      • 1849年6月、武力弾圧により解散させられる。

3.プロイセンによるドイツの統一

(1)ビスマルクの登場

(2)デンマーク戦争(1864)

(3)普墺戦争(1866)

(4)普仏戦争(1870~1871)