2020-06-20 環大西洋革命【5】ラテンアメリカの独立 受験世界史 環大西洋革命 (1)19C初頭におけるラテンアメリカ・カリブ海の状況 ラテンアメリカ…スペイン領植民地とポルトガル領ブラジル カリブ海…イギリス・フランスなどの奴隷制砂糖プランテーションが広がる。 (2)黒人の独立運動 ①ハイチ革命(1791~1804) サン=ドマングと呼ばれた現在のハイチで、フランス革命による混乱に乗じて、1791年に黒人の武装蜂起が始まる。指導者のトゥサン=ルーヴェルテュールはナポレオン軍に逮捕され獄死したが、1804年に最初の黒人国家であるハイチ共和国が独立した。 ②歴史的意義 黒人たちの独立…黒人による奴隷解放が実現し、奴隷貿易や奴隷制に大きな影響を与える! ※アメリカ合衆国の独立は現地の白人による本国の独立に過ぎなかった!! ※ヨーロッパ諸国は、植民地に重税を課しており、現地の白人支配者と妥協。 (3)クリオーリョ(現地の白人支配者層)の独立運動 シモン=ボリバル (ベネズエラ ) 1819年に大コロンビア共和国を樹立し大統領となり25年にはボリビアの完全独立を達成したが、30年に大コロンビア共和国が解体し、ラテンアメリカの統一という理念は挫折した。 サン=マルティン (アルゼンチン) 1818年チリ解放、21年ペルー解放。22年ボリバルと会談したが対西戦の協力を拒まれ全地位を退き渡欧し仏で死去した。 (4)メキシコの場合 独立運動の父;神父イダルゴ 1810年に最初の武装闘争を指揮。先住民やメスチソ(白人と先住民の混血)からなる下層階級の人々を集めて反スペイン闘争を開始するが、11年に処刑。 独立 21年に独立を達成、22年に帝政、24年に共和制に移行。 (5)ポルトガル領ブラジル ナポレオン軍がポルトガルに侵入すると王室はブラジルに退避。ナポレオン失脚後、王室はヨーロッパに戻るが王子ペドロは残留して皇帝に即位し独立した(1822)。その後89年に共和政へと以降。 (6)ウィーン体制の干渉とそれに対する米英の支援 ウィーン体制の干渉 メッテルニヒはラテンアメリカの独立が欧州のナショナリズムを刺激することを恐れて干渉。→英米の反対で失敗 イギリス ラテンアメリカを産業資本の市場として確保するためカニング外交を展開。自国の経済的利益を優先し自由主義外交で干渉を牽制。 アメリカ ヨーロッパ諸国の進出に警戒心を持ち、ラテンアメリカに対する影響力を確保するため、モンロー宣言で欧・米の相互不干渉を提唱。 (7)独立達成後のラテンアメリカ ①政治…独立運動はクリオーリョ中心で遂行されたため、自作農創設のための土地改革は実施されず、地主による寡頭専制政治が続く。 ②経済…イギリス資本に従属し、資源や農産物に依存するモノカルチャー経済が進行したため、不安定。 ③文化…イベリア文化とインディオ文化の融合が進み、のちには黒人文化も取り入れられ、独自な文化圏が形成された。