2020-06-24 近現代東南アジア史【5】タイ 受験世界史 近現代東南アジア史 1.ラタナコーシン朝(1782~) 1-1.建国期 1-2.ラタナコーシン朝の近代化 2.二つの世界大戦とタイ 1.ラタナコーシン朝(1782~) 1-1.建国期 ①建国…侵入してきたビルマのコンバウン朝が撃退されたのち、ラーマ1世が建国(都:バンコク) ②勢力範囲…現在のラオス、カンボジア、マレーシアにおよぶ広大な領土を形成。 ③鎖国政策…ヨーロッパ諸国に閉鎖的な政策を取る。 1-2.ラタナコーシン朝の近代化 ①門戸開放…伝統的な鎖国体制から19世紀後半に政策転換して自由貿易体制に入る。 ②モンクット王 (ラーマ4世、位1851~68)政権 ボーリング条約 …1855年、イギリスに治外法権・関税自主権の喪失を認めたものの、開国政策を推進。 ③チェラロンコン(ラーマ5世、位1868~1910)政権 外国人顧問を招き国政改革(西欧化)を行い、国王専制支配体制を確立。 英へマレー半島を、仏へラオスとカンボジアを割譲し、妥協を図る。 2.二つの世界大戦とタイ ①第一次世界大戦への参加と国際的地位向上 1917年に連合国側で参戦し、1920年代に不平等条約撤廃に成功 ②タイ立憲革命 ラーマ7世時代に君主専制への批判が高まりピブンを中心とする人民党が無血革命に成功。1932に立憲君主政成立。 ③ピブンの支配 1938年にクーデタでピブンが軍事独裁権を樹立し首相に就任。1939に国号をタイと改称。1941年に日本と攻守同盟を結び第二次世界大戦に参戦する。 ④ピブンの失脚 日本が劣勢になると抗日運動が高まり、1944年にピブンは失脚。45年にタイは宣戦の無効を宣言し成功する。 ⑤第二次世界大戦後のタイ 親米反共路線 戦後ピブンが政権に復帰。1954年に反共軍事同盟東南アジア条約機構(SEATO)に参加。ピブンは1957年のクーデタで失脚。 民主化の進展 ラーマ9世の立憲体制下で軍事政権が続くが徐々に民主化。