雑録

プリコネ第13話「ぺコリーヌのトラウマ解消で最終回」の感想・レビュー

存在忘却モノ。修行の旅から帰ってきたぺコリーヌは皆から忘れ去られていた。
自分の存在は挿げ替えられており愛する両親ですら自分のことを覚えていない。
愛するヒトから認知されず誰何されたぺコリーヌは絶望して精神崩壊。
そんなぺコリーヌを救うのが慈愛に満ちたコッコロの母性。
再び喪失する恐怖に駆られギルドメンバーに真実を言えなかったペコの悔恨を救え!
最後は覚醒した主人公によりシャドーを倒してめでたしめでたしとなるが・・・
箱庭世界の謎もn-1周目のバッドエンドもラスボス撃破も何も解決しなかったな!

コッコロの母性により癒されたぺコリーヌはキャルとの百合友情エンドを迎える

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  • 令和になっても「存在忘却」パターン
    • アニメ版プリコネはぺコリーヌのトラウマ解消がテーマとなっていました。ぺコリーヌのトラウマとは存在忘却。愛する両親に送り出されて修行の旅へ赴いた結果、自分の存在は忘れ去られ第三者に皇女の座を奪われ、違う人物がユースティアナとして成り代わっていたのです。「存在忘却」は『ONE』をはじめとする泣きゲーで度々用いられる伝統的な御作法。城内の者たちから自分を認識してもらえなくなったぺコリーヌの悲壮感をヒシヒシと感じることが出来ます。そして侵入者扱いされながらもようやく両親の下へと辿り着いたぺコリーヌが、一縷の望みを賭けて謁見するも自分のことを認知してもらえず誰何される場面での絶望感がグッとくる展開となっています。

 

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  • コッコロの母性について
    • 主人公とコッコロがぺコリーヌと出会ったのは、ちょうどぺコリーヌが打ちひしがれていた時だったのです(その割にはぺコリーヌは能天気そうでしたが・・・)。ぺコリーヌはギルド美食殿により自分の居場所が出来て救われたのですが、今度は逆に幸せになりすぎて本当のことを言ったら居場所をなくしてしまうのではないかと恐怖します。さらには仲間との絆を深めれば深めるほど自分が本当のことを言えずにいる心苦しさに苛まれるようになっていくのです。そんなぺコリーヌの葛藤をコッコロの母性が癒します。よくプリコネを揶揄する言葉として「コッコロママとか言ってそう」という表現がありますが、コッコロのバブミは主人公にだけでなくぺコリーヌにも降り注いだのです。存在を認知し、肯定するためには、名前をつけるという行為があります。それは誕生した時に親によってまずなされるものですが、ぺコリーヌという名前をつけたのもコッコロでしたね。そう考えるとここからもコッコロがママとしての機能を果たしていることが読み取れるのです。

 

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  • ペコキャル百合友情エンド
    • キャルって結局陛下とどういう関係だったの?陛下がキャルのすべてってどういうこと?キャルは陛下の眷属なの?それとも捨て子で拾われたとか?と様々な疑問があったキャルでしたが、アニメ版ではキャルの生い立ちや謎は一切回収されず、ぺコリーヌとの百合友情で処理されます。キャルは結局、陛下から独り立ちもできず、美食殿サイドに立つこともできず、葛藤を抱えたままシャドーと心中することを選びます。最後の力を振り絞ってもシャドーを倒せず、いっそ死ねば楽になると悲壮な顔をして殺されそうになるシーンは結構好き。そこへコッコロのバブミに癒されたぺコリーヌが颯爽と登場し、キャルの窮地を救います(この二人の様子をそっと眺めるコッコロ完全に地母神)。一応主人公も箱庭世界の創世者っぽい存在によって世界の謎を教えられ、バッファーとして覚醒し、最後はシャドーにとどめを刺す活躍はするのですが、完全にペコキャルの間に入り込む余地すらありませんでした。結局主人公ってぺコリーヌやキャルとそんなに関係性築けてなかったような感じがします。シャドー撃破後の終局部ではぺコリーヌがキャルを抱きしめて大団円となるのですが、ここでキャルがぺコリーヌを抱きしめ返すというのが最大の見せ場であったことでしょう。と、いうわけで伏線など些事に過ぎずアニメ版プリコネはぺコリーヌのトラウマ解消とペコキャル百合友情を描くためにあったと言えるでしょう。

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