前近代南アジア史【2】 インドにおけるイスラーム王朝

1.インドへのイスラーム伝播

2.ムガル帝国

ムガル帝国重要君主

  • ②フマーユーン(位1530~40、55~56) ※帝国の一時的滅亡
    • 一時デリーを追われイランに逃亡。その後、勢力を盛り返しデリーを奪還するが事故死。
  • ③アクバル(位1556~1605) ※帝国の実質的な建国
    • a.遷都…デリーからアグラへ
    • b.統治:中央集権的機構の整備
      • 全国を州に分割し官吏を派遣、土地を測量し税制を確立。
      • マンサブダール制…全ての官僚に序列をつけ、その位階に応じて給与と保持すべき騎馬の数が決められた。
    • c.宗教:イスラームヒンドゥー教の融和をはかる
      • ラージプート(クシャトリヤに属する王侯・戦士ジャーティー)の王女を妃に迎え、王族を高級官僚に迎える。
      • ムスリムに対するジズヤを廃止。
  • ④シャー=ジャハーン(位1628~58) ※タージ=マハル
    • a.デカン高原の地方政権を服属させ、帝国の安定期をもたらす。
    • b.タージ=マハルなど建築事業に力を注ぎ、インド=イスラーム文化の黄金時代を築く。
    • c.息子(アウラングゼーブ)に幽閉され愛妃の眠るタージ=マハルを窓から見ながら晩年を過ごす。
      • Cf.ムムターズ=マハル…シャー=ジャハーンの愛妃。18年間に14人の子どもを産む。

3.ヒンドゥーイスラームの文化融合

(1)新興宗教

(2)言語

(3)インド=イスラーム文化

  • ①建築:インド独特のイスラーム建築。Ex.タージ=マハルなど。
  • ②絵画:イランの細密画にインドの絵画文化が融合。ムガル絵画・ラージプート絵画など。

4.インド洋貿易のネットワーク

(1)ヴィジャヤナガル王国(1336~1649)

  • ①建国:トゥグルク朝の支配を脱して首都ヴィジャヤナガル(勝利の町)を建設。
  • ②繁栄:ヒンドゥー政権を再興し、カリカット・クイロンなどの港市を支配
    • →インド洋貿易:イスラーム=ネットワークとも深い関係
      • 北インド諸国に対抗するためホルムズに米や木綿を輸出し、大量の軍馬を購入。
      • インド西部のマラバル海岸の港市には現地のムスリム商人が内陸部と海外商人を仲介。
  • ③衰退:16世紀に力が衰え17世紀にヨーロッパ諸勢力が海岸部に進出。

(2)セイロン島

(3)インド洋イスラーム=ネットワークの断絶

  • ①16世紀初め、ポルトガルにより一時寸断される。
  • ポルトガルの政策転換
    • 背景:鉄砲が防御不能ではなく、支配するポルトガル人もごく少数だったため。
    • 転換:香辛料を独占してヨーロッパに運ぶよりも、貿易拠点を確保してムスリム船から通行料を取る。

(4)インド洋イスラーム=ネットワークの再活性化と衰退

  • ③17世紀後半
    • 世界的に遠距離貿易が衰退(ヨーロッパでは17世紀の危機・東アジアは貿易統制)→支配層が海上貿易の関心を失う。