講座「広海軍工廠・第十一海軍航空廠と航空機」

  • 本論の趣旨
    • 広工廠や十一空廠が大正・昭和初期における国内の航空機開発にいかなる影響を与えたのか。

1.広海軍工廠の設立と航空機の黎明

  • 日本と飛行機の関係がどこから始まっているのか?
    • 日露戦争の最中に気球を使ったことが始まり。
    • 明治43年(1910)年12月、日本で一番初めといってもいい動力機がハンス・グラーデ単葉機(ドイツ) 
  • 第一次世界大戦が画期的契機
    • 新兵器利用→特に飛行機が注目される。偵察飛行、機上から手で爆弾を落とす。
  • 1919年、陸軍が飛行機を本格導入しようとする→フォール教育団(フランス)
    • 飛行機の飛ばし方や運用、製造の教授を受ける。
  • 海軍も陸軍に対抗すべく1921~22年、センペル教育団を招聘(イギリス)
    • センペルはエースパイロット。大佐。
    • 茨城県霞ケ浦で操縦、製造方法などを習得→海軍航空の基礎を確立
    • センペルは第二次大戦時に日本に軍事機密を流していた?との説
  • ワシントン海軍軍縮で飛行機の開発に拍車がかかる。
    • ワシントン軍縮の前に、日本海軍は八八艦隊を揃えようとしていた→軍艦のエンジンを製造するところが足りなくなる!!→従来の工廠以外に軍艦のエンジンを作るところが必要→選ばれたのは呉の山を挟んで向こう側の広→飛行機工場も合同することになり、1920年7月、呉工廠広支廠が設置される。呉と広で軍艦製造の効率化

2.広海軍工廠と航空機開発

  • ワシントン軍縮で軍艦のエンジンを量産する必要がなくなる
    • 飛行機をたくさん作ってもらうために呉工廠広支廠を広工廠として独立させる(1923年)。
  • 海軍工廠の独自性
    • 航空機部・機関研究部は他の工廠にはない独自の部分
  • 当初は海外から技術導入をはかる
    • 飛行艇という飛行機
      • 海軍が飛行艇に目を付けたのはなぜ?→海上で離発着できる。敵の艦隊の様子を哨戒できる。
      • ショートF-5飛行艇(イギリス)はセンペル飛行団のうちのひとつ。F-5のプロペラの話→機械化がされておらず職人の腕が必要だった
  • 広工廠でF-5の製造が始まる
    • 広以外にも横須賀で国産化が進んでいたが、後に広で国産化
    • 国産化するだけでなく技術的な挑戦も進む。
  • 木製から金属製への過渡期→八九式飛行艇の開発。
    • 金属製が重要な点。
      • 日本国内では全金属性の飛行機を進めるべきだという意見が出る。
      • 海防議会による開発→KB飛行艇(事故)、第三義勇飛行艇(川崎造船所・プロペラを木製にしたら事故ったので落下試験に使われる)
  • 海軍における全金属製飛行艇の開発
    • ドイツのロールバッハ飛行艇。ロールバッハさんはドイツで軍事研究ができなかったので周辺諸国で研究した。
    • セミモノコック構造(空気抵抗・重力などを骨組みではなくガイハンで支える)
  • 九〇式一号飛行艇→量産化されず
  • 九一式一号飛行艇→エンジンも広工廠で純粋な国産品。量産化され日中戦争期まで活躍。量産される。

広廠では、飛行艇を中心に機体開発が進められ、木製から金属製への過渡期において数種類の機種の実用化に成功した。その過程を辿ると極めて堅実な形で進められた様子がうかがえる。1932年、横須賀の海軍航空廠に研究・開発業務は集約されるが、広で研究された飛行艇の技術は川西航空機へ継承される。

以上が航空機。機体の話。

3.広海軍工廠と航空発動機

  • エンジンと鋳物技術
    • 広工廠で国産化・量産されたのが、ローレン型400馬力発動機。
    • ローレン型はヨーロッパで各機に搭載されて評判がよかった。
  • 大正末期~昭和9年頃、九一式600馬力や九四式900馬力などを開発・実用化。

同時期、国内の民間企業でも液冷発動機の開発が進められたが、ほとんど実用化には至らなかった。独自開発の液冷発動機を実用化させた事例は稀。しかし、同時期の日本では、製造や整備がより簡易な空冷発動機の導入が進められ、液冷発動機の開発は下火に。

4.第十一海軍空廠と第二次世界大戦

  • 長崎の二一空廠と広の十一空廠は製造拠点として重視される
  • 十一空廠における機体製造の実績
  • 紫電改
    • B29やその護衛戦闘機に対抗して紫電改の生産に着手。
    • 堀元美技術少佐→軍艦から航空機へ製造の転換
    • 岩国へ工場疎開を推進しており、生産性はあがらず
  • 発動機について
    • 十一空廠では「火星」発動機 
    • 途中から「火星」から「誉」エンジンへと移行 
    • 比較的小さくて馬力が大きい
    • しかし精密な構造で生産性はよろしくない
    • 戦時下で量産化しようとしてもできない
    • 「誉」の信頼の低下
  • 広工廠と十一空廠は別組織となっていたが協力
    • 秋水の原動機部品など
  • 昭和20年5月の空襲後、広工廠は11空廠へ吸収合併
  • 戦前における広工廠。戦前における飛行艇技術の継承
  • 海軍工廠・第十一海軍空廠の歴史的意義
    • 日本がなぜ戦時生産体制で酷い状況になってしまったのかを考える

海軍直営の航空機工場としては、二一空廠に次ぐ規模を持ち、広工廠時代から引き継いだ設備を有した十一空廠は、重要な拠点であった。また、隣接していた広工廠からの協力を受けることができたという点は、他の空廠にはない特徴といえる。しかし、戦争末期には熟練工員の減少や、工場疎開の影響により、生産機能は著しく低下した。

質疑応答タイム

事前に配布されていた質問票を休憩時間中に集め、その中から恣意的に選出して返答する形式。

  • 飛行艇に拘った理由
    • 水上で離発着できる。飛行場を作らなくても海水面に着陸することが出来る。行動範囲が陸上機よりも行動範囲が広い。それ故、飛行艇が重視された。
  • 広に飛行場はあったのか?
    • 広十一空廠そのものには飛行場は無かったが現在のごみ処理センターのところに飛行場があった。
  • 敷地はどこにあったのか?
    • 現在のオオジマテリアあたり。広工廠と十一空廠の敷地。広駅の南側もそう。
  • 航空廠は地元企業にどのように伝えられているのか?
    • 広工廠・11空廠の建屋をそのまま使っている。企業内で昔の状況などを伝えている。
  • 当時の広工廠の鋳物工場の技術レベルは?
    • 鋳物技術は世界でも一定のレベルに達していた。ただ日本国内における資源が限られていたので米英に対抗できなかった。