2020-09-08 倫理 日本思想【3】日本人と儒教 倫理 日本思想 1.儒教の受容 2.朱子学 3.陽明学 cf.江戸時代の仏教 1.儒教の受容 儒教伝来…513年 百済より五経博士が儒教を伝える Cf.『古事記』の記述に王仁による伝承のエピソード →5世紀ごろには伝来か 古代…大和政権の受容。聖徳太子の憲法十七条。律令国家の仁政 →伝統的な天皇観を維持するため易姓革命などは受け入れず 中近世…禅僧により朱子学が伝来。戦国時代末期には藤原惺窩が登場。 藤原惺窩…仏教を捨て儒学者に転向。公家や僧侶に学ばせていた儒学を独立させ儒学定着の端緒と成した。徳川家康にも儒教を講義。惺窩から始まる朱子学を京学という。 近世…幕藩体制が成立してから大きく発展→権威と権力の問題 伝統的権威によらず、実力で支配体制をつくりあげた幕府が、儒教を利用してその統治を正統化する理論とした。 2.朱子学 林羅山…江戸幕府のもとで朱子学の官学化をおしすすめる。 居敬窮理 理…万物をつらぬく理論、天理ともいう。「天は高く地は卑し、天は高く地は低し、上下差別あるごとく、人にもまた君は尊く、臣は卑しきぞ」 敬…つつしむ。欲望を抑えて精神をつつしむ。 居敬窮理…敬によって心と理を一体化→上下関係を尊ぶ。 上下定文の理 理=天理 万物の間には上下尊卑の秩序がある。人間社会の法則としての人倫の道も同様。 封建社会の身分秩序を正当化する=君臣関係では君は尊く臣は卑しい。 父子・夫婦・兄弟のあいだでも同様。 存心持敬…敬(つつしみ)をもって心を保ち、上下の身分秩序に従って行動する。 cf.朱子学と幕藩体制 敬によって私利私欲を厳しく戒め、理(天理)との一体化を求める教え→支配階級である武士の自覚を促す。 新井白石…6代家宣・7代家継治世下で正徳の治。元禄期の幕政を修正。儀式典礼を整備した。 雨森芳洲…対馬藩に仕え朝鮮との善隣友好外交に努力した。 山崎闇斎…敬(つつしみ)を臣下の内面を正す道として強調。 垂下神道…儒家と神道を結合。天皇崇拝による封建的道徳を説く。 3.陽明学 孝の徳 中江藤樹 → 朱子学批判 朱子学の敬はうわべだけの形式主義で、行動と心の在り方が一致しない 時・処・位…時と場所と身分に応じて道徳を実現していく。 孝…愛し敬う心(愛敬、まごころをもって人に親しみ、上を敬い、下をあなどらない)→宇宙万物をつらぬく普遍的な原理。人間の内面に根差し万人に共通する道を求める。 良知…孝の奥底には、すべての人は理非を正しく知ることができる能力は備わっている。 知行合一…良知を行いにあらわすこと。行うことは知ることの完成である。 cf.貝原益軒 庶民の道徳に貢献。朱子学が持つ反面合理的・批判的精神の側面から「信ずべきを信じ、疑うべきを疑う」として実証主義的精神を唱え、西洋科学を受容する素地を作った。 cf.江戸時代の仏教 現代の仏教 → 葬式などで根強く日本文化に残っている ⇒葬式や法事の制度は江戸から 寺請制度(檀家制度) 江戸幕府がキリスト教を禁じるために、民衆を仏教の寺院に帰属させ、その信徒であることの証明を寺から請けさせた制度。幕府が寺院を通して民衆を統制する。 宗門人別帳 民衆はいずれかの寺で檀家になることを義務付けられており、その時に作成された戸籍。引越しや旅行の際には、その寺の檀家であることを証明する寺請証文が必要とされた。 葬儀の整備 家には仏壇が置かれ、葬式や法事の際には、僧が招かれるようになった。寺院にとっては収入が保障される経済的な基盤となった。