1.キリスト教の受容
(1)キリスト教と日本人
- ★背景:1873(明治6年)キリシタン禁令が解かれる→キリスト教の受容。プロテスタンティズムが広まる。
- ①新島襄…「平和の遣い」。聖書に感銘を受け、西洋文明とキリスト教で日本に尽くすと決意。同志社を設立し、キリスト教を基本とする自由自活の精神を持った教育を展開した。教会の寡頭政治を批判して、開かれた教会目指して活躍した。
- ②植村正久…東京神学社を創立して伝道者の養成にあたり、日本神学界の基礎を築く。教会の自主自立と日本人による伝道を推進。
- ③新渡戸稲造…教会や聖書にではなく、魂の内なる光を重視するクェーカーの信仰に強く共鳴。「太平洋の橋とならん」とのたまい、キリスト教と日本文化との融合、日本文化の海外への紹介につとめた。国際連盟事務次長として『武士道』で日本人の精神を世界に紹介した。
(2)二つのJ 心の灯台!【内村鑑三】
- ①札幌農学校(現在の北海道大学)
- ②二つのJとは
- イエス(Jesus)と日本(Japan)→「われは日本のため、日本は世界のため、世界はキリストのため、すべては神のため」
- ③不敬事件…教育勅語の奉読式で明治天皇の署名への礼拝を拒否。
- ④非戦論
- 「余は日露非開戦論者であるばかりでない、戦争絶対的廃止論者である、戦争は人を殺すことである、そうして人を殺すことは大悪罪である」
- ⑤日本の伝統とキリスト教の一致
- 日本の伝統的思想に世界史的な使命を認める→「武士道の上に接木された基督教に由て救はるる」
- ⑥無教会主義
- 教会の教義や儀式にとらわれることなく、聖書のみにもとづく信仰を主張し、独立した個人として神の前に立つことを唱えた。