葉鍵の時代の後、型月に続いたサウンドノベルが『ひぐらしのなく頃に』であった。
多くのゲーム系テキストサイトが謎解き・考察に走り、新作が出る度に熱狂を生んだ。
そのオチはループモノであり、様々な因子の欠片を搔き集め、グランドエンドに辿り着いた。
そこで「祭囃し編」は終了し幕を閉じたが、その後も商業化とメディアミックスを果たした。
私は同人時代で手を引いたため、その後の展開は知る由もない。
果たして2020年版はどのような内容になるのか!?あとキャラの顔がグリザイアすぎる。
ゼロ年代ノベルゲーですので、トラウマ持ちのキャラ設定にすることで社会問題を描き出しながら人物像を掘り下げますの


- 少女救済の極致
- ゼロ年代のノベルゲー業界は泣きゲーがブームとなったため、キャラクターをトラウマ持ちに設定することで、主人公がヒロインの問題を解消してフラグ構築し、主人公もまた肯定されるという構造を持っていました。『ひぐらしのなく頃に』もまたその影響を逃れることはできず、キャラクター全員がトラウマ持ちのオンパレードとなっています。しかしながら『ひぐらし』の場合は、単なる個人的な内面に始終するのではなく、個人の事情を通して社会的問題を描き出したことに特徴があると言えるでしょう。前原圭一は受験産業が生み出したストレス・竜宮レナは両親の離婚問題(父親の愛人と慰謝料の使い込み)・岡崎魅音は双子の忌み子問題(双子入れ替わり)・北条沙都子は父親からの虐待というトラウマをそれぞれ付与されているのです。そして古出梨花がループを発生させている原因であり、同人版最後の祭囃し編では「欠片集め」と称して、全ての因子を搔き集めて彼等のトラウマを取り除き、バッドエンドを回避して望んだ未来に辿り着くというグランドエンドを迎えます。ゼロ年代ノベルゲー絶頂期論というものがありますが、確かにノベルゲーという構造とミステリーホラーと社会問題を組み合わせた頂点の一つであったと言えるかもしれません。
- 第1話では前原圭一視点で話が進んでいき、要所要所でこれまで明るいキャラだったヒロイン達が突如豹変する表現が取り入れられていますが、その理由はみんなトラウマ持ちだからというワケ。特にレナは全て演技であり家庭環境から逃避するためにワザとへんてこりんに振る舞っているという背景があります。原作を読んだ時にレナがホントウはかわいいとかお持ち帰りとか1ミリも思っていないということを知って戦慄したものであった・・・


感想まとめ