大和ミュージアム開館15周年記念シンポジウム「戦後75年と大和ミュージアム」

シンポジウムを聞いてノートにとってきたので、その断片を整理しておくこととする。

【目次】

第1部 基調講演「父 阿川弘之(大和ミュージアム名誉館長)を語る」

阿川佐和子女史。スミソニアン博物館のボランティア。九博の評議委員

講演

  • 弘之氏と戦争
    • 佐和子女史の祖父母が広島に隠居した際に生まれた40過ぎてからの子どもが弘之氏。溺愛されて育った。19歳上の異母兄、同母姉がいたという。
    • 弘之氏が中学生の頃、2.26事件が発生。陸軍に憤慨したという。
    • 大学で学徒動員。海軍に入る。3年間の体験が後の人生全てを左右することに。訓練は台湾、運動は不得手だったので通信に配属される。横浜通信学校。暗号解読と通信傍受を行う。勤務先は大陸で漢口で終戦を迎えて引揚げ。
    • 祖父母は広島市内にいたが、原爆でも少しケロイドができたくらいで健在。

  • 家庭に海軍を持ち込んでいた弘之氏
    • 家庭での父は専制君主で男尊女卑。
    • 敬礼をするときは狭い艦内で邪魔にならないように脇締めェェと叫ぶ。
    • 大掃除の時にはボーイ、ガールと子どもたちを呼称。
    • 海軍の良き点としてユーモアとフレキシビリティを常に上げ、サイレントネイビーを唱えるが全然サイレントじゃなかった。
    • 常に怒鳴られており出ていけ、女郎屋に行けと何度も言われた。

  • 幼少期の佐和子女史
    • 父は昭和24年に文士として生きていくことを決意。尊敬する人は志賀直哉。昭和26年に兄が、昭和28年に佐和子女史が誕生。昭和30年、弘之氏と妻(佐和子女史の母)はロックフェラー財団の留学奨学金で渡米。佐和子女史は伯父(弘之氏の19歳上の異母兄)に預けられる。
    • 伯父・伯母は可愛がってくれて天満屋のデパートやメロンの経験。佐和子女史はご近所から姫ゴジラと呼ばれる。父が帰国後、いったんは東京へ戻るがまた伯父が迎えに来て広島へ。その後、また父が迎えに来た時にはタクシーの中で泣き叫んでいたが機関車にビビッて泣き止んだという記憶が残っている。

  • 弘之氏の思い出
    • 海軍だけれども艦船勤務の経験がない。長門と同じ年なので思い入れがあった→軍艦長門の生涯
    • 山本五十六・米内光政・井上成美の三部作でヒットする。

  • 新幹線のぞみのエピソード
    • 佐和子女史はJR東海命名委員に抜擢され候補の中の絞り込み作業を行いう。佐和子女史が父に相談すると大和言葉の大切さを解かれる。JRは「希望」を推していたが、佐和子女史が「希望」って「のぞみ」ですよねと言ったら「のぞみ」になったとかいう。

戸髙氏(大和ミュージアム館長)とのトークショー

  • なぜ戸髙氏は多摩美卒なのに大和ミュージアムなのか?
    • 現在72歳、大学は2浪して趣味で行った。美大は9割が就職する気が無い。アルバイトでハッピーに生きようとしていた。司書の資格をとったところ、トミオカ氏やヨナイ氏からお声がかかり、給料でないで15年間勤務した。その経験が縁となって、大和ミュージアムに招聘されることとなった。

  • 阿川弘之氏との関係
    • 大和ミュージアムを作る際に、技術と夢の名誉館長はいたが海軍関係文学者がいなかったので阿川氏を名誉館長にしようとした。手土産として戦艦大和を作ったドッグの石を持っていったら狂喜。名誉館長の件を切り出すと、居住まいを正して「私のようなものでよろしゅうございますか」と答える。戸髙氏は感激したとのこと。

  • 佐和子女史のまとめ
    • 明治村第4代館長としての今後のビジョンについて戸髙氏から質問をうける。→その場所で勤務することが楽しい場所づくり。楽しい仕事環境を作るのが何より大事とのこと。

第2部 パネルディスカッション「大和ミュージアムを通してみる戦中・戦後」

大和裕幸(東大名誉教授)、滝川卓男(広島平和記念資料館館長)、戸髙一成(大和ミュージアム艦長)

戸髙氏の導入

  • 大和ミュージアム15周年 長いような短いような まだ発展途上だと思っている さらに向上したいと思っている

  • 「博物館とはどうあるべきか」がテーマ

  • 戦後75年経った 戦中戦後がどのように受け入れられ定着したか 

  • 歴史資料の保存と伝承 デジタル史料のネットワーク化

大和氏の報告 パワポ平賀譲デジタルアーカイブを巡って」

  • 平賀譲文書 4万点 
    • 東京大学100周年 ご家族から寄託を受ける 4万点が資料室に埋もれているだけだった
    • 史料として全然研究できない状況だった 何とかしなさいという命令がくる
    • 歴史研究者じゃなかったので、公開してみてもらうおうとした。 デジタル化して公開しようと考えた。
    • 平賀譲研究会、内藤初穂さんなどの協力を仰いだ デジタル化が新しい博物館の試み

  • デジタル化とその公開の事例
    • 平賀譲デジタルアーカイブ
      • 封筒の写真を撮ってタイトルと撮影者と中身の要約をしてネットで誰でも見られるようにした
    • google Arts & Culture
      • 所蔵品が解説付きで見られる コロナ時代の博物館の新時代の在り方 

  • 今後の展開
    • 地域密着のリアルな博物館
    • ネットに公開したデジタルな博物館 →英語にしてネットに挙げろ!

滝川卓男の報告

  • 広島
    • 日清戦争 中国への出兵 鉄道は広島までしか通っていなかった 広島が輸送基地として脚光を浴びる 陸軍の第二司令部がおかれた 
    • 広島と呉は軍事都市として似通っている

  • 戦争の残滓
    • 滝川氏は配給所が残存していた記憶を持っている

    • 旧軍港市転換法で復興
    • 戦後技術移転し、平和産業都市として復興する原動力なる。
    • 小学校の時、進水式に行った 華やかな光景
    • 呉駅から巨大なタンカーが見える 海軍の技術を継承して呉れ市が華やかだった
    • 中高の時 ベトナム戦争 デモをしていた 米軍に払い下げが行われていたのでデモが起きた
    • 市電があった時の記憶 呉は広電より先に開通していた

戸髙氏のまとめ

  • 戦後75年 一次的な証言者がもういなくなる 消えてなくなってしまう 消えていく歴史をどのように伝えていくか

  • 戦争を知らない人間が他人に戦争の歴史を伝えるのはどういうことか

  • 歴史の継続性 当事者が亡くなっていくときの戦争の労苦の歴史をどう伝えるか

  • 技術の歴史は物を作って完結するので文献で伝わるのは理屈だけで人間は伝わらない

  • 設立当時はまだ大和の乗組員などが生きていたのだが・・・・

  • 伝承の三重苦

  • 博物館の存在意義 
    • 短い説明を見て分かったと思われたら困る 短いフレーズの中で知的欲求を掻き立てることが博物館の存在意義
    • もっと知りたいという気持ちを持ってもらう さすれば刺激を与える展示ができれば 大きな仕事がのこせるんじゃないか
    • 博物館のなかで大和を通じて じぶんからすすんでしらべてみようという気持ちをもってもらう

大和氏のまとめ

  • 標準化が必要 データの各順番 用語の統一が必要 標準化することによって世界中のデータが見られるようになる

滝川氏のまとめ

  • 戸髙氏のクエスチョン
    • 平和記念資料館 リニューアルしたばっかしできくのはあれだけど さらにこれからどうするのか

  • 滝川のアンサー
    • 興味を持っていただく 被爆資料2万点 展示すると劣化する 今後1年ごとに入れ替えていく 

戸髙氏 終わりに

  • ①歴史は時間的空間的に広いので、すべて伝えることはできないが二つの手法がある
    • 歴史の瞬間を中心にする 歴史の切り口
    • 通史的提示を中心にする 幕末から始まって 技術の向上 政治的
  • 平和教育の表現方法は違うが違う角度だからこそ立体的に見える
  • ③博物館の評価は集客人数ではなく 博物館は博物館としての評価
    • それはスコアの数字ではなく 研究 収集 伝達する努力 こういうこと目指して頑張る
  • ④15周年頑張ってきたけど、まだまだ発展途上だからこれからも頑張る