1.自然への目と科学的なものの見方
2.事実と経験の尊重
2-1.知は力なり【ベーコン】
(1)経験論…観察と実験をもととして法則や原理を導く点を強調する科学的思考
- 知識の源泉 is not「生得的なもの」 but 「後天的なもの(感覚的事実や経験)」
- 真理は個々の事実を検証し、そこから法則や原理を発見すること
(2)学問の目的…学問の目的はその学問を身につけることではない。あくまでも「手段」
- 自然にはたらきかけ自然を支配し、人類の福祉に役立て、人間の生活を豊かにする手段。
- 知は力であり、学問により得た知識を用いて支配を増大することが望ましいあり方。
2-2.帰納法と科学的思考
(1)4つのイドラ
- 人間は偏見や思い込みであるイドラを持っており、そのイドラを除去したのち、個々の事物や事例に直接当たり、実験や観察を行うことによって、正しい知識が得られる。
(2)帰納法…経験によって得た事実を総括し、それによって、これらの原理をつらぬく一般的原理・法則を導き出す方法。
例)
生物Xaの足は3本である・生物Xbの足も3本である。生物Xcの足も3本である・Xdも・・・
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帰納:個々の経験的事実からそれらに共通する一般的な法則を求める
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一般法則:生物Xの足は全て3本である(仮設・仮説)
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演繹:一般法則から個々の結論を導き出す方法。
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生物Xxの足も、生物Xy、生物Xzの足も、3本であろう。
(3)経験論の継承 生得観念を否定し、経験を根拠とした認識を追究する。
- ホッブズ…経験論を利用して、国家の主権は人民の合意のもとにおける権力の譲渡から発生するという社会契約説を説く。国家権力の起源を個人の契約に求めた点で民主主義的であったが、結果的に当時の絶対王政を支持することになった。
- ロック…社会契約の際に国家に対する抵抗権を認める。また、生得観念を否定し、生まれてきたばかりの心は「タブラ-ラサ」(白紙)であり、白紙の心に経験が書き込まれていくとする。
- バークリ…「存在するとは知覚することである」と説く。モノはもともとあるから知覚されるのではなく、人間が知覚して認識されることによって初めてその存在が認められる。たとえあったとしても知覚されなければ存在しない。だが、人間が知覚していなくても神が知覚するので、人間が知覚し得ないものが存在していないのではない。
- ヒューム…人間の知覚によってものの存在を客観的に証明することは不可能。
3.理性の光
3-1.コギト・エルゴ・スム【デカルト】
人間は「確実なもの」、「確実であること」を求める。
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デカルトの登場・・・明晰判明な原理を探し求める。だれにとっても、どんなときでも確実で疑い得ない原理。
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「可能なかぎりすべてのものを徹底して疑う」
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方法的懐疑・・・確実な原理を求めるために疑わしい一切のことを疑うこと
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コギト・エルゴ・スム『私は考える、それゆえに私はある』(=我思う故に我あり)。私が一切を虚偽であると考えようと欲するかぎり、そのように考えている『私』は必然的に何者かであらねばならない
3-2.合理論と理性的人間観
- 「哲学の第一原理」・・・いかに疑ってみても疑い得ないものは、疑っている自己の存在。思考する自己、理性、良識のはたらきがあること。
- 良識…物事を正しく判断し、真と偽を識別する能力。この世で最も公平に配分されているもの。
- 演繹法…理性によって正しいと判断された確実な原理を出発点とし、論証を積み重ねることによって、すべての知識を論理的・必然的に導き出す方法
- 合理論…確実な知識の基礎として、万人に共通する生得観念を認める立場のこと。
3-3.精神と物体 物心二元論
(1)物心二元論
自我とは思考する精神であり、精神とは他に依存することなくそれ自体で存在する実体
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思考する精神により認識される自然や事物は、精神の産物にすぎないか?
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外的存在も確実に実在する。認識される客体は、精神とは異なる物体(物質)。
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物心二元論…物体と精神は、それぞれ独立的に実在するもの(物体)であると考えるデカルトの立場。精神的な思惟を属性とする自我と、空間的な広がりである延長を属性とする物体とをそれぞれ独立した二つの実体と考える。
(2)心身二元論…物体は人間の意志や神の意図と切り離されたものとして、物理的な因果法則のなかで運動するので、思考する精神が認識の対象とするかぎり、人間の身体、自己自身の身体すらもたんなる物体にすぎないことになるという考え方。
(3)心身合一体
心と体を別物と主張してきたデカルトであるが、エリザベート女王に「精神が身体に影響を与えるのはなぜか」と問われ、心と体のつながりについて考え始める。
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欲望、愛、憎、喜び、悲しみ、驚きなどの「情念」は、身体から起こるものを精神が受容した状態
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精神が乱れ、行動が束縛される
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身体と連動した「情念」を統制する必要!!
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高邁の精神
・道徳における理性のはたらきであり、自己を尊重する気高い心、自己自身への誇り(教科書の説明より)。
・デカルトによれば、みずからの自由な意志によって情念を支配できる、理性的な自由な精神をさす。デカルトはみずからの自由な意志によって、外部の影響から生まれた受動の作用である情念を制御し、最善と判断したことを実現しようと意志することが、高邁の精神であると説いた(山川の用語集の説明より)。
3-4.デカルトの物心二元論に対する挑戦
(1)デカルトの物心二元論…物質(身体)と精神(心)を完全に分離し、それぞれ「実体」であるとする。
- 精神(思惟実体)…「思惟」を本質的性質とする実体。実体とは他のものに依存せず、それ自体で存在するもの。
- 物質(延長実体)…「延長」を本質的性質とする実体。延長とは他空間に位置を占めること。カタチがあること。
(2)物心二元論に対する経験論からの批判
- a.物質の存在の否定…バークリー『人知原理論』 「存在するとは知覚されることである」
- 意識から独立した物質の存在を否定する。知覚されないモノは存在しない。