倫理 西洋思想【3】自然や科学技術と人間のかかわり(経験論と合理論)

1.自然への目と科学的なものの見方

1-1.近代科学の誕生

(1)近代科学

ルネサンス宗教改革 
 ↓
【人間尊重の精神→教会や宗教的権威の束縛から解放→自然現象を現実に即して考察】
 ↓
近代科学の誕生

(2)天文学
  • a.中世
    • プトレマイオスの天動説…地球は宇宙の中心であり、宇宙は神が創造した有限な全体であるという考え
  • b.近代(近世:初期近代) 
    • コペルニクス…天体運動を数学的に説明、太陽を中心にして地球を含む惑星が回転する地動説を唱える。
    • ケプラー…天体観測をし、惑星が太陽を焦点として楕円軌道を描く法則を発見した。
    • ガリレイ…自ら制作した望遠鏡で天体観測をし、地動説を支持したが、宗教裁判で撤回した。
    • ニュートン万有引力の法則。すべての自然現象が引力に基づく因果法則に従うことを明らかにした。
  • c.近代科学の特徴
    • 自然界のすべての事象 … 具体的な事実 → 確実に知識を積み上げる → 数量的な法則性
    • 人間の自然観の変化 … 人間=自然から独立した存在 、自然=人間の新たな征服する対象

2.事実と経験の尊重

2-1.知は力なり【ベーコン】

(1)経験論…観察と実験をもととして法則や原理を導く点を強調する科学的思考
  • 知識の源泉 is not「生得的なもの」 but 「後天的なもの(感覚的事実や経験)」
  • 真理は個々の事実を検証し、そこから法則や原理を発見すること
(2)学問の目的…学問の目的はその学問を身につけることではない。あくまでも「手段」
  • 自然にはたらきかけ自然を支配し、人類の福祉に役立て、人間の生活を豊かにする手段。
  • 知は力であり、学問により得た知識を用いて支配を増大することが望ましいあり方。

2-2.帰納法と科学的思考

(1)4つのイドラ
  • 人間は偏見や思い込みであるイドラを持っており、そのイドラを除去したのち、個々の事物や事例に直接当たり、実験や観察を行うことによって、正しい知識が得られる。
    • a.種族のイドラ…人間が本来持っている精神や間隔の誤り。
      • 例)「幽霊の正体見たり枯れ尾花」(思い違い)
    • b.洞窟のイドラ…個々の人間が資質や環境に応じて身につけた主観的な偏見(洞窟に閉じ込められた人間が壁に映った自分の影を真の実在と見誤る)
    • c.市場のイドラ…人間どうしの交わりのなかでことばの不適当な使用から生じる偏見
      • 例)「うわさばなし」
    • d.劇場のイドラ…権威を無批判に受容することによる偏見
      • 例)中世ヨーロッパの天動説。現代でいうところの「テレビが言ってた」。
(2)帰納法…経験によって得た事実を総括し、それによって、これらの原理をつらぬく一般的原理・法則を導き出す方法。

例)
生物Xaの足は3本である・生物Xbの足も3本である。生物Xcの足も3本である・Xdも・・・

帰納:個々の経験的事実からそれらに共通する一般的な法則を求める

一般法則:生物Xの足は全て3本である(仮設・仮説)

演繹:一般法則から個々の結論を導き出す方法。

生物Xxの足も、生物Xy、生物Xzの足も、3本であろう。

(3)経験論の継承 生得観念を否定し、経験を根拠とした認識を追究する。
  • ホッブズ…経験論を利用して、国家の主権は人民の合意のもとにおける権力の譲渡から発生するという社会契約説を説く。国家権力の起源を個人の契約に求めた点で民主主義的であったが、結果的に当時の絶対王政を支持することになった。
  • ロック…社会契約の際に国家に対する抵抗権を認める。また、生得観念を否定し、生まれてきたばかりの心は「タブラ-ラサ」(白紙)であり、白紙の心に経験が書き込まれていくとする。
  • バークリ…「存在するとは知覚することである」と説く。モノはもともとあるから知覚されるのではなく、人間が知覚して認識されることによって初めてその存在が認められる。たとえあったとしても知覚されなければ存在しない。だが、人間が知覚していなくても神が知覚するので、人間が知覚し得ないものが存在していないのではない。
  • ヒューム…人間の知覚によってものの存在を客観的に証明することは不可能。

3.理性の光

3-1.コギト・エルゴ・スム【デカルト

人間は「確実なもの」、「確実であること」を求める。
 ↓
デカルトの登場・・・明晰判明な原理を探し求める。だれにとっても、どんなときでも確実で疑い得ない原理。
 ↓
「可能なかぎりすべてのものを徹底して疑う」 
 ↓
方法的懐疑・・・確実な原理を求めるために疑わしい一切のことを疑うこと
 ↓
コギト・エルゴ・スム『私は考える、それゆえに私はある』(=我思う故に我あり)。私が一切を虚偽であると考えようと欲するかぎり、そのように考えている『私』は必然的に何者かであらねばならない

3-2.合理論と理性的人間観

  • 「哲学の第一原理」・・・いかに疑ってみても疑い得ないものは、疑っている自己の存在。思考する自己、理性、良識のはたらきがあること。
  • 良識…物事を正しく判断し、真と偽を識別する能力。この世で最も公平に配分されているもの。
  • 演繹法…理性によって正しいと判断された確実な原理を出発点とし、論証を積み重ねることによって、すべての知識を論理的・必然的に導き出す方法
  • 合理論…確実な知識の基礎として、万人に共通する生得観念を認める立場のこと。
帰納法演繹法

☆個々の事例を検証して一般法則を導き出すことが帰納法 

三角形Aも三角形Bも三角形Cも、面積は四角形A、四角形B、四角形Cの2分の1である
 ↓
帰納:個々の経験的事実からそれらに共通する一般的な法則を求める
 ↓
☆一般法則 三角形の面積は四角形の面積の半分である→公式【底辺×高さ÷2】
 ↓
演繹:一般法則から個々の結論を導き出す方法。
 ↓
公式【底辺×高さ÷2】で個々の三角形の面積を求める

3-3.精神と物体 物心二元論

(1)物心二元論

自我とは思考する精神であり、精神とは他に依存することなくそれ自体で存在する実体
 ↓
思考する精神により認識される自然や事物は、精神の産物にすぎないか?
 ↓
外的存在も確実に実在する。認識される客体は、精神とは異なる物体(物質)。
  ↓
物心二元論…物体と精神は、それぞれ独立的に実在するもの(物体)であると考えるデカルトの立場。精神的な思惟を属性とする自我と、空間的な広がりである延長を属性とする物体とをそれぞれ独立した二つの実体と考える。

(2)心身二元論…物体は人間の意志や神の意図と切り離されたものとして、物理的な因果法則のなかで運動するので、思考する精神が認識の対象とするかぎり、人間の身体、自己自身の身体すらもたんなる物体にすぎないことになるという考え方。
  • 機械論的自然観…人間の身体や、自然現象を、作動する精巧な機械をモデルにしてとらえる。
    • cf1.生命的自然観…物体に霊的なものが宿っているとする考え。
    • cf2.目的論的自然観…事物はある意図によって変化・発展するというアリストテレスの考え。モノを載せるための机として木材は加工される。
      • ❶木材=机の可能態(潜在的な机)⇒❷机の始動因(加工作業)⇒❸机の現実態(実際に作られた机)⇒❹机の目的因(モノをのせたり書いたりする道具)
(3)心身合一体

心と体を別物と主張してきたデカルトであるが、エリザベート女王に「精神が身体に影響を与えるのはなぜか」と問われ、心と体のつながりについて考え始める。
 ↓
欲望、愛、憎、喜び、悲しみ、驚きなどの「情念」は、身体から起こるものを精神が受容した状態
 ↓
精神が乱れ、行動が束縛される
 ↓
身体と連動した「情念」を統制する必要!!
 ↓
高邁の精神
 ・道徳における理性のはたらきであり、自己を尊重する気高い心、自己自身への誇り(教科書の説明より)。
 ・デカルトによれば、みずからの自由な意志によって情念を支配できる、理性的な自由な精神をさす。デカルトはみずからの自由な意志によって、外部の影響から生まれた受動の作用である情念を制御し、最善と判断したことを実現しようと意志することが、高邁の精神であると説いた(山川の用語集の説明より)。

3-4.デカルト物心二元論に対する挑戦

(1)デカルト物心二元論…物質(身体)と精神(心)を完全に分離し、それぞれ「実体」であるとする。
  • 精神(思惟実体)…「思惟」を本質的性質とする実体。実体とは他のものに依存せず、それ自体で存在するもの。
  • 物質(延長実体)…「延長」を本質的性質とする実体。延長とは他空間に位置を占めること。カタチがあること。
(2)物心二元論に対する経験論からの批判
  • a.物質の存在の否定…バークリー『人知原理論』 「存在するとは知覚されることである」
    • 意識から独立した物質の存在を否定する。知覚されないモノは存在しない。
  • b.精神の存在の否定 ヒューム『人間本性論』
    • 精神、自我は「実体」として存在しない。心そのものは知覚できないので、心は知覚の束に過ぎない。
    • 因果律の否定
      • 因果律というものは自然の中に存在するものではなく、人間が過去の事例をもとに心の習慣として抱くものに過ぎない。
    • 例)「水が沸騰する」→「お湯になる」 
      • 「水が沸騰する」現象と「お湯になる」現象に因果はない。
      • 過去に起こった現象の連鎖が明日も必ず起こるという保障はない。(気圧やそのほかの条件が明日すっかり変わってしまったら同じことは起こらない)
      • 現象Aと現象Bは知覚できるけれども、AとBの因果関係そのものは知覚できない。
(3)物心二元論に対する合理論からの批判 ☆デカルトは精神と物質という2つの実体が存在するとしたが・・・。
  • a.批判その1;実体は神のみ→スピノザの「汎神論」
    • スピノザは、これらはいずれも神の現れに過ぎないとする。この世界に存在するものはすべて神そのもの。
      • ※通常のキリスト教の理解では、神はセカイを創造。セカイ≠神。
  • b.批判その2;実体はモナドライプニッツの「モナド論」
    • 世界は無数のモナド(単子)からなるという多元論。
    • モナドとは世界を構成する実体であり分割不可能なもの。
    • 能動的な活動性を持つ力の中心で、空間的な広がりを持つ物体的な原子(アトム)とは異なる。
    • モナドは外部との交渉を持たない「窓のない」独立した実体であるが、個々のモナドの表象が一致して宇宙の調和的秩序が存在するように、神によってあらかじめ定められている(予定調和)。