1.大和について
- 【大和クイズ】 大和は米国人に知られていたのか
- 日本人の大半にとって大和は知られておらず、戦後知られるようになった
- 『RECOGNITION JOURANAL』レコグニション(雑誌)の資料的価値
- 大和が新着ニュースとして載っている 1944年5月号 この雑誌は海軍関係者なら気軽に手にすることができる
- 新着ニュースで大和と武蔵を紹介 大きさは実際より大きく報道されている
- クイズの答え
- 米国側には結構知られていた。
- 米軍の日本海軍に対する評価
- 1944年9月号
- 大和はそれ以前の艦よりも整然としている ゴチャゴチャしていない
- 1945年2月号
- 日本の艦艇一覧
- 赤城や加賀が載っていない→沈没が確認されているから
- トラック・マリアナで偵察機が確認している(航空写真1944年10月24日)
- 米軍は前後対称なのだが、大和はバランスが悪い
- 16インチ砲という情報(嘘情報)が載っている
- 大和型戦艦を米国がどのように捉えて来たかが分かる
- アメリカは新しい情報を掴もうとしていた → 呉軍港も同じような状況だった
2.呉について
2-1.呉に関する情報収集
- たくさんの地図も作っていた
- なぜ地図を持っていたのか? 呉軍港は情報統制していたのではないので、地図はあった。
- 外交の中であらかためどが立っている 1940年代の情報をせっせと確認していく作業をする
2-2.戦争開始後
- 攻撃目標リストを着々と作っていく
- どのような種類のどのような名前の工場地があるのかを紹介
- 地域の情報のリスト化マップ化がすすめられ、ブックレットが出来上がる
2-3.1945年
- 呉で大きな空襲 3月19日
- 呉軍港に停泊している艦艇を狙った空襲であった
- 米国は空襲する飛行機にカメラを形態している。
- バンカーヒルの艦載機が動画を撮影している
- 3月19日に呉に大和はいるか?→いない
- 呉湾の外、広島湾の外側に停泊していた 大和も発見されて空襲を受ける
- 日本側への攻撃が米空母接近可能により激しくなる
- 偵察機が飛ばせる 双発とか大きな写真機とか持ったのを飛ばせる
- 呉空襲の後の3月28日に呉を大きく撮った写真が写されるようになる
- 3月28日の航空写真に大和が映っている 情報バッチリ → 次の空襲は広海軍工廠への空襲(1945年5月5日)
- 動画を発見するには
- 動画はネットで公開されているが当該場面を発見するのは難しい 長いガンカメラの映像の断片の中の一部をずっと見て探す
- 6月22日の空襲では艦艇がどこに泊まっているかバレてる
- 呉海軍工廠への空襲は6月のみ 結果的に造船部は空襲の対象になっていない
- それは何故か?→米軍は建物をリスト化し、空襲で潰せたかどうかをチェックしている
- ドックは計画には含まれていなかった → 戦後の利用が意図されていた?(それは分からない)
- 明らかに攻撃はしませんとしていたものがある。それはどこか?
- 「海軍兵学校」(not listed as a target)
- 空襲の成否の分析も行われて残っている
- 建物もどこが壊れており、どこが使えるのか→占領軍の資産、復興の資産となる
- 戦後の英連邦軍の占領の資料はまた別の話
- 生き残った艦艇
- 葛城 航空母艦 映像が残る
- 鳳翔の映像も残る
- 1945年 海軍は11月に解散 それまでは海軍は継続されている状況
- 鳳翔は復員作業で大いに活躍し最後は解体される
3.質疑応答
3-1.海軍兵学校が空襲のターゲット外になったのは何故か?
3-3.米軍資料はいつから公開されているのか
- 今なおどんどん公開している。今日無くても明日公開されているというぐらいのアップロード状況