テキスト読解のメタ的思考と解釈論の設問が加わっただけで殆どセンター国語と変わりませんでした。
評論・小説・古文・漢文とテキストそのものは従来通りの構成で「実用的文章」など出ませんでした。
ここでは共通テスト国語を解いた上で、その問題文の概要と新傾向の設問を紹介していきます。
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【目次】
- 「国語」の試験とは、出題者の意図を、問題文と設問を通して、解答者が読み解く作業
- 私の受験国語の講義を受講している生徒たちには口をすっぱくして言っていることですが、国語の試験問題とは著者/作者のイイタイコトを読解することが目的ではありません。受験国語の風物詩として書き手本人が降臨して試験問題にケチをつける様子が毎年見られますが、これは一種の様式美でありネタです。受験国語とはテキストの書き手の意図などとは関係なく、「出題者」がテキストをどのように読解し、何を答えさせようとしているのかを読み解く作業です。
第1問【評論】香川雅信『江戸の妖怪革命』
- 【テキスト概要】日本人の妖怪観の変遷に関する評論文
- フーコーのアルケオロジーの手法を援用して、日本における妖怪に対する認識の変容を解き明かすことを目的とした文章です。妖怪観の変遷に関する内容は平易に書かれているので、フーコーのアルケオロジーの手法を読み解けるかどうかが攻略ポイントとなってきます。フーコーを知らなくても本文内に方法論がきちんと書いてありますので問題はありません。高校倫理でフーコーやった人たちは余裕だったと思います。認識と思考を可能にするためには「知の枠組み」というものがあって、それは時代とともに変容するということを押さえられればOK。この方法論をもとに各時代における妖怪の捉え方を追っていくことになります。
- 妖怪観の変遷は次の通り。中世は形而上学的存在からの警告、近世はフィクショナルな存在としての人間の娯楽の題材、近代になると(以前とは異なる形ではあるが)リアリティの中に回帰するという流れです。いかにもフーコーの思想を援用した捉え方といえるのが、近代における妖怪認識と言えるでしょう。近代になるとまたもや妖怪がリアルになるという再認識に面白みがあります。一般的には近代は合理的思考による啓蒙の時代ととらえられていますが、これとは逆に、近代にこそ人間そのものに根本的な疑義がつきつけられるようになるというギミックです。近代的自我の確立の一方で、その「私」というものは実は曖昧なものであるという論調。
- 【新傾向設問】メタ的思考と解釈論
- 文章の構造そのものを問う問題はこれまでにもあったので全く新しいとは言えませんが、文章を把握する上での読解の過程を図解化して構造的に把握させようとした所に新しい問題傾向が見られました。自分がどのように思考しているかという思考そのものを思考するというメタ認知的な問題ですね。高校生がレポートや小論文を書かされる時に最初にならう方法論【問題提起→先行研究/方法論→論証→結論】というお作法なので容易だったかと思われます。
- もう一つの新傾向の設問としては解釈論が挙げられるでしょう。これも特に真新しいというわけでもなく、要旨把握能力を援用できるかを問われているだけでした。すなわち、本文内において近代的自我である「私」が実は絶対的なものではないということを押さえられているかどうか。その事例としてドッペルゲンガーの話が引き合いにだされているだけに過ぎないわけです。
- 以上のように、新傾向の問題といっても本質的にはそんなに変わりませんでした。具体例と抽象化を行き来しながら、結論を述べるといういつものセンター国語と同じパターンです。
第2問【小説】加能作次郎「羽織と時計」
- 【テキスト概要】恩恵的債務を主題とした人間関係を巡る小説
- 主人公は会社の同僚が病気になった際に一定程度の世話をしたのですが、過分なお返しを貰ってしまいます。また転職に際してもこれまた不相応な記念品を貰ってしまいます。こうしたことから同僚に対していわゆる恩恵的債務を感じるようになり、それがきっかけとなり疎遠になってしまうという展開です。主人公は同僚の妻から恩義を責められるかもしれないと恐怖します。自分の想像にしか過ぎない引け目を自分で勝手に感じてしまい関係性の崩壊に至ってしまうというのがテキストのおもしろポイントです。主人公の人間関係に対する面倒くさい思考過程を追えるかが読解のポイントになってきます。
- 【新傾向設問】文学作品の批評文・一つの作品に対する否定的評価と肯定的評価の二面性・多義的な解釈を複数把握する
- これまでのセンターの問題は、「出題者が作者のイイタイコトをどのように捉えているか」を受験生が読み解くという作業が求められていました。出題者の読解など多様な解釈のうちの一つに過ぎず、それを推測する能力が受験生には試されていたのです。しかし、今回から、文学作品は多様に解釈していいということを全面的に押し出してきました。それが文学作品に対する批評文の読解です。設問においては作品に対する否定的な批評文が提示されます。そこではなぜこのレビュワーは作品を否定的に解釈したのかを受験生は答えるのです。また否定的な批評文に対し、作品を肯定する立場での読解方法を選ぶ設問も用意されています。このように解釈の多様性を問う問題が新傾向のパターンとして出題されました。多義的な解釈の中から出題者が行った解釈を選ぶというパターンから、多義的な解釈を複数把握するという方法に変化したということができるでしょう。
第3問【古文】『栄花物語』における藤原長家の妻が死亡した後の場面
- 【テキスト概要】妻を亡くしてから間もない感情と、時間が経過して亡妻を思い返した時の心情
- 【新傾向設問】一つの和歌に対する返歌がテクストごとに異なることに対する解釈と鑑賞
- 新傾向の問題としては和歌の複数解釈が注目されます。実はこれ、和歌の解釈というよりも解説文に対する読解なので、いわゆる現古融合問題に近くなっています。東宮の若君の御乳母の小弁の和歌に対する中納言長家の返歌が『栄花物語』と『千載和歌集』で異なるが、それぞれどのように解釈できるかというものです。
- 「悲しさを かつは思ひも 慰めよ 誰もつひには とまるべき世か」というお悔やみの和歌に対して、『千載和歌集』ではひとまず同意を示すものの、『栄花物語』では世の無常のことなど今は考えられないと否定します。同じ和歌に対する返答がテクストごとに異なっているところがおもしろポイントです。そして設問の解説文に『栄花物語』では和歌のやり取りを経て「長家が内省を深めていく様子が描かれている」とあるので、和歌の解釈ができなくても問題が解けてしまいます。
第4問【漢文】欧陽脩『欧陽文忠公集』及び『韓非子』における馬車の操術に関する部分
- 【テキスト概要】馬車の操術に関する漢詩と漢文
- 【新傾向設問】漢詩と漢文の二つの問題文を踏まえて解答する作業
- 漢詩パートで単なる馬の個体性能だけでなく操縦手と心を通わせることが大事であるということを押さえた上で漢文パートを解くという構造です。用語補充もすぐ解けます。漢文パートでは問5と問6が連動しているので、単なる日本語の問題と化しています。問6が解ければ、問5の漢文解釈も解けてしまうという仕様になっています。漢詩パートで馬の個体性能だけでなく人馬は一体ということをおさえられていれば、「馬と一体となって走ることも大切」ということから選択肢③が正解だと分かります。そしてその選択肢には「他のことに気をとられていては、馬を自在に走らせる御者にはなれない」とあります。これを読んだうえで問5を見て、「気を取られている」選択肢を選べば⑤の「あなたは私に後れると追いつくことだけを考え、前に出るといつ追いつかれるかと心配ばかりしていました」が正解となることが分かります。何も考えずに解くと馬の個体性能だけに目が行き③を選んじゃいそうになりますがブラフです。フツーに漢文「今君後即欲逮臣、先即恐逮于臣」と選択肢を照らし合わせれば解けますので、確認することを忘れないようにしましょう。