次の演習のネタ集め用メモ「戦前期軍港都市呉への帝国民の訪問」(軍港都市観光・進水式・海軍記念日・博覧会・海軍省海軍軍事普及部)

  • 前回までのあらすじ
    • 4月冒頭の演習の授業では、旧軍港都市呉の文化遺産を活用したコンテンツツーリズムについて報告した。5月の演習では戦前期の呉に焦点を当てて研究を進め報告することとなった。現在行われている旧軍港都市呉への訪問と過去の帝国民の軍港都市呉への訪問を対比させる感じ?

ネタ出し

  • 戦前期呉への人の移動とコンテンツ
    • 戦前期において呉へと人が向かう原動力となったものは何か。パッと思いつくものとしては、進水式海軍記念日・博覧会などがある。観艦式は呉ではやっていない。
  • 進水式
    • 進水式については、呉は鎮守府だけでなく海軍工廠もあったので、前身の呉海軍造船廠時代も含めると135隻の艦船が進水しており、進水式は一大ビッグイベント化していた。非公開だった大和(1940.8.8)の1100人、大淀(1942.4.2)の5000人を除くと、万を超す人びとが呉に来ている。人数が分かる進水式は以下の艦船。
      • 宮古(萬を参して)、安芸(数万)、伊吹(数万)、摂津(7~10万)、扶桑(7~10万)、長門(10万)、赤城(10万)、那智(5~13万)、最上(6万)、蒼龍(10万)、千歳(7~10万)、千代田(8万)。その他人数が分からない進水式としては、対馬・筑波・愛宕がある。
  • 博覧会
    • 戦前において呉で行われた博覧会は二つあり、「国防と産業大博覧会」、「支那事変大博覧会」である。これらは大いに賑わったとされるし、後者「支那事変大博覧会」については殆ど研究で扱われないものなので新規性はあると思う。前者の「国防と産業大博覧会」は当時の史料が残っているので掘り下げられると思う。「国防と産業博」の第二会場は軍事・国防を中心とする会場であり、「呂号第53型潜水艦」が係留されて観覧が可能であったし、沖に留められた軍艦「矢矧」への乗船体験もあった。矢矧は大和特攻で一緒だったし呉に何度も来ているので佐世保生まれだけど呉とも関係がある。

現在の疑問点など

文献サーベイ

読んだ文献のレジュメ

これから読む文献

  • 帝国海軍の啓発普及事業
    • 林美和「海軍軍事普及部の広報活動に関する一考察―海軍省パンフレットを中心に―」(『呉市海事歴史科学館研究紀要』6号、2012)
    • 土田宏成「1930年代における海軍の宣伝と国民的組織整備構想--海軍協会の発達とその活動」(国立歴史民俗博物館研究報告 126, 53-66, 2006-01)
    • 福田理「1930年代前半の海軍宣伝とその効果」防衛学研究 (33), 69-88, 2005-10
    • 林美和「軍港都市呉における海軍受容」年報・日本現代史 (17), 79-106, 2012
    • 中嶋晋平『戦前期海軍のPR活動と世論』思文閣出版 (2021-02-05)