- 前回までのあらすじ
現在の疑問点など
- 海軍省海軍軍事普及部の役割
- 進水式も海軍記念日も博覧会も海軍の協力なしでは実行できないはずである。当時海軍では大正12年(1923)年5月に海軍軍事普及委員会が設けられ、1932年には満洲事変・上海事変の影響により海軍省海軍軍事普及部が設置された(http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=10176444&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1)。海軍の普及・啓発を目的としている以上、呉市でのイベントにも何らかの関わりがあったはずであり、それを調べる必要がある。
- 呉海軍人事部は鎮守府と並んで右隣りにあり、高等官をのぞく一切の人事万般を取扱い、特に海軍軍事普及班が常置されており、軍港見学の相談相手になって、親切に一切の案内を担当していた(呉市史6巻-1章呉鎮守府-第1節軍縮期の呉海軍-第4項「非常時」・「準戦時」の時代)。
文献サーベイ
読んだ文献のレジュメ
- 戦前期軍港都市呉観光
- 軍転法研究
- 上杉和央「連続と断絶の都市像-もう一つの「平和」都市・呉」(『複数の「ヒロシマ」 記憶の戦後史とメディアの力学』、青弓社、2012年、103-138頁) - 雑録
- 上杉和央「軍港都市<呉>から平和産業港湾都市<呉>へ」(坂根嘉弘編『西の軍隊と軍港都市: 中国・四国 (地域のなかの軍隊 5)』、吉川弘文館、104-130頁) - 雑録
- 林美和「呉市における戦後復興と旧軍港都市転換法」(河西英通編『軍港都市研究Ⅲ 呉編』、清文堂出版、2014年、309-332頁) - 雑録
- 【レジュメ】髙橋香織「軍港都市・呉の戦後史―旧軍港市転換法と自衛隊誘致を中心に―」、『北陸史学』67号、55-77頁、2018 - 雑録
これから読む文献
- 帝国海軍の啓発普及事業