雑録

【史料】呉市主催「国防と産業大博覧会」における軍艦拝観(矢矧、呂号第五十三潜水艦、伊勢、榛名)

1935年、呉市で「国防と産業大博覧会」が実施された。そこでは3月27から5月10日まで初代「矢矧」と「呂号第五十三潜水艦」が展示され、実際に乗船して観覧することができた。また、期間中には連合艦隊(第一艦隊)が入港し、4月26日と4月27日には戦艦「伊勢」・「榛名」が開放され、見学を許されたのである。
 ここでは『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』(呉市役所、1936年)における軍艦拝観に関する記述をまとめておくこととする(旧字などは改めた)。

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軍港見学

 非常時局に直面する我国防と産業の全貌を展示し、国民の国防と産業に対する再認識を強化する本会の趣旨は、全日本国民に多大な感動を与え開会近づくにつれ予約来観の申込陸続として殺到、殊に国防に関する総ゆる資料を網羅した第二会場は本博の呼物となり、非常時の折柄国民の国防に対する関心が如何に深刻であるかを如実に示すものがあつた、更に是等の人々は殆んど海軍部内の諸施設、軍艦等の見学希望をスケジュールに組んでゐるのに鑑み、本会では予め海軍当局に請願を行ひ、海軍見学希望者にはそれぞれ見学手続き、或は船舶による入港団体に対する軍港入港許可等海軍に対する諸願届を斡旋することとし、海軍当局の破格の好意により軍艦矢矧及び呂号第五十三潜水艦を会期中開放して一般入場者の観覧に資するといふ前例のない便宜を図られたのを始め、海軍部内施設も訓練その他諸作業に支障を来さぬ限り左記軍港観覧実施要項に基いて

鎮守府、海兵団、海軍病院、軍需部、呉工廠、広工廠、航空隊、潜水学校、下士官兵集会所

を開放、見学者には一々案内係を派遣して詳細説明されることとなり、来会者は斉しく我海軍の偉容に驚愕すると共に感謝の意を表し、国防と産業博の意図も十分達成することができた。また江田島に於ける海軍兵学校に於ても、生徒の教育訓練に支障を来さぬ程度に於て来会者の希望を満たされることとなつたので、この博覧会を好機とする来呉者はわが非常時海軍のすばらしい現勢に接することが許された。(『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』呉市役所、1936年、254頁)

初代「矢矧」

武勲輝く軍艦「矢矧」

 軍艦の特別観覧施設については本会がその挙催の趣意を非常時博におくところからも最も意を用ひ主として本会主事国防部主任森武海軍中佐によつて呉鎮守府はじめ軍事普及部主任斑目大佐の斡旋尽力によつて交渉をすすめられ〔……〕特別拝観の請願を提出した〔……〕恰も呉軍港は非常時の折柄、優秀な軍艦はすべて現役艦船として就役中であるため、本会が希望した最新鋭艦をといふことは到底時節柄許されないので海軍側としても大いに考慮を重ねられた結果已むなく軍艦矢矧を特に指定されることとなり、同艦は既に廃艦期に近く艦内もすべて消然の状態にあつたにも不拘絶大な犠牲を払はれ一部の改装とエンヂンの装置等を加へられ多大の経費をこれに費して、特に第二会場外へ繋留替の上、会場内から直接市の通船にて拝観を差許されることとなつた、同艦はその艦齢に於て新式にあらざる憾みはあるも、幸い今次対支事変の第一武勲艦として感激あらたな軍艦であり海軍に於ては特に当時の武勲をしのぶ兵装そのままに復元し、以て精神的な感動を与へ艦内隈なくその面影を偲ぶこととなつた。このことは非常時として、まことに海軍側最大限の敬意を寄せられたもので実に軍港だからこそ許された破格の恩典であつた。(『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』呉市役所、1936年、256頁)

軍艦矢矧観覧実施ニ関スル件

一、観覧ハ海軍観覧規定並ニ呉軍港観覧規定ニ拠ルノ外左記ニ依ル
二、期間自3月27日至5月10日間毎日午前9時ヨリ午後3時半マデトシ午後2時半陸発ヲ以テ毎日ノ最終トス 但シ天候其他ニ依リ中止スルコトアルベシ
三、呉市指定ノ船舟ニ依リ中止スルコトアルベシ
四、観覧場所ヲ中甲板以上トス観覧順路ハ之ヲ標示シ混雑ヲ防止ス
五、舷梯使用区分
  左舷梯乗艦者用
  右舷梯退艦者用
六、案内者ハ矢矧乗員トシ案内者ナクシテ艦内ヲ徘徊セザルコト
七、呉市所定ノ海上輸送船ノ舷梯達着其他保安整理ハ呉市ニ於テ行フコト
八、呉市所定ノ海上輸送船ハ乗退艦者ノ輸送ヲ円満ニ実施シ、一時ニ多数観覧者ヲ艦内ニ残留セシメザルコト、且ツ観覧者終止時刻迄ニハ全部退艦者ノ輸送ヲ完了スル如クスルコト
九、海上輸送船ハ出入港艦船ノ航路ヲ妨害セザルコト
十、艦内ニ於テ所定以外禁煙ノコト
十一、用便ハ陸上便所ヲ利用スルコト
十二、艦内ハ靴、草履トシ下駄ヲ用ヒザルコト
十三、携帯物件ハ陸上ニテ「一時預リ」所ニテ預ケ危険混雑ヲ防止スルコト

軍艦「矢矧」拝観

 本会開催の主目的たる国防知識の普及、特に海軍認識の強化を期する上に於て、実際の海軍諸施設の見学と共に最も効果的なる軍艦の見学に就ては、時恰も非常時局に直面し警備、訓練、整備等のため殆んどの軍艦は使役されて居り、本会開催当時の見学艦は巡洋艦加古に指定されてゐたが、同艦も亦呉警備戦隊に編入され常に諸訓練、演習のため出動してゐるので、海軍当局に於ても特別の詮議により、世界大戦の際我武勲を世界に発揚した記念館矢矧を第二会場沖海面に繋留して、会期中の見学艦に指定され軍艦矢矧観覧実施要項により拝観を許されたため、本会に於ては第二会場より直接出入し得る川原石港に浮船を設置、桟橋を架設し、呉市商工連合会の事業として直接海運業組合の手により一切の責任を附し〔……〕3月27日から5月10日まで毎日午前9時より午後4時まで実施せしめたが、この間降雨、或は風浪高く作業困難を感じ、或は4月上旬第一艦隊入港による諸船舶の往来頻繁を極めた事等もあつたが、輸送作業を中止の已むなきに至つたのは僅か一日だけで、作業員の熟練は頗る順調に進み、見学時間僅少、海上の交通は極度に輻輳せるにも拘はらず一日最大よく5千7百余名の観覧者を輸送し、然も会期中無事故故に終始し得たのは、この種輸送作業に於ける驚異的記録であり、実務者の労を多とするものである。然して第二会場よりの軍艦矢矧見学者輸送は輸送船十隻(1隻収容人員120名)、輸送実務時間7時間(午前9時より午後4時まで)、輸送回数20回(但し定期)で、輸送総人員は実に10万8694名に達した。(『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』呉市役所、1936年、602頁)

「呂号第五十三潜水艦」

奇襲潜艦「呂号第五十三号」

 また更に見学潜水艦として呂号第五十三号潜水艦を第二会場岸壁に繋留、特に入場者は自由に桟橋を利用して艦内を巡覧せしめられることになつた。これは実に本会のみに許された空前絶後のもので潜艦の開放観覧の如きは、かつて前例のないことであり、まことに本会の光栄であつた。
同艦は我奇襲戦術に最適の精鋭で、大正9年7月3日三菱神戸造船所で進水、同10年三月竣工と共に我艦籍に入り、呂五一―呂五六潜水艦の姉妹艦として
  長サ70米59、幅7米16、吃水3.69、排水量893トン、速力17ノット
  兵装―8センチ砲1、発射管4
を有し、かつては列強の脅威の的となつたものである。特に本会の乞ひを容れられ第二会場軍事作業実演場付近岸壁に繋留されると同時に、頑強なる桟橋を後部甲板に架し、見学者は自由に出入、後部機関室から、中央指令室、前部水雷室まで拝観し、前部ハッチを登れば防潜網破壊用鋏、或は水中聴音器、8センチ砲あり、甲板中央部には司令塔、潜望鏡があり、更に上甲板及び水に接する鋼板の各種潜水用設備実に学ぶべき数々があり、同艦だけでも非常時国防読本の数十頁を飾るに充分である、随つて拝観者は開場の午前8時から午後4時まで、全開期を通じ随時許されることとなつた。尚同潜水艦の構造、性能等については、陸岸に同艦横断面(各室説明)要目表を掲載した大額を設け、拝観者に容易に同艦の構造、性能が判るやうにしたが、更に同艦各部説明は左記の如く説明札を作製し、各必要箇所に掲揚して、実物による知識を広めた。
  上甲板…水中聴音器、救命浮橋、司令塔、ピープホール、望遠鏡、無線電信線、高角砲
  下甲板…各室名称(無線電信室、二次電池室、水雷室等々)
     兵器機械名称(発射管、水中信号器、潜望鏡、影羅針儀、ヂャイロコンパス、酸素製造機、深度計、上昇、下降舵等)
(『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』呉市役所、1936年、258-259頁)

潜水艦拝観

 潜水艦の拝観は特に呂号第五十三潜水艦を第二会場軍事作業場附近海面に横付とされ自由に拝観が許されたので、一般観覧者は競ふて、この世界列強を恐怖せしめてゐる我が海軍の寵児である潜水艦を見学した。潜艦の見学は特別の場合の外は絶対に許されぬもので、これを自由解放同様、特別の便宜を与えられたといふことは全く呉鎮守府の軍事普及の立場から出た好意によるもので、岸壁繋留といふことも海軍として多大の犠牲を払はれたものであつた、従つて拝観者も何をおいても先づ潜艦といふ状態であつた。観覧者数の統計は別に採る方法がなかつたが、第二会場の入場者は殆んど洩れなく拝観した。
(『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』呉市役所、1936年、604頁)

戦艦「伊勢」・「榛名」

第一艦隊歓迎

 本博覧会が会期を通じ最も光栄とし、最も誇りとするものの一つは実に我帝国第一艦隊の呉入港であつた、この事は博覧会首脳部に於て既にその企画に際し要路へ請願されてゐたものではあつたが、わが艦隊の行動は請願その他の事情により左右され得べきものではなかつた、然るに海軍当局の絶大なる好意と、同情ある理解によつて恰も会期中呉入港が実現したのであつた、すでに待望久し、第一艦隊の艟艨は威風堂々艏艫相ふくんで、4月24日呉軍港へ入港した、市博覧会関係者一同はもとより全市をあげて艦隊歓迎の熱誠にもえた。〔……〕この艦隊入港を機会として、わが海軍の威容に接せんとする観衆は、近県各地より押しかけ一般観覧者も殺到を極め第二会場の海岸地帯の如きは拝観の群衆を以て人山を築いた(『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』呉市役所、1936年、578頁)

戦艦伊勢・榛名特別拝観

 4月24日久方振りで入港した連合艦隊(第一艦隊)では、本会の企図に絶大な後援を賜はり、25・26の両日は同艦隊軍楽隊を第一会場に派遣して盛大な軍楽演奏会を開催、来会者の絶讃を博したが、同艦隊では更に4月26日午後1時より4時まで 4月27日午前9時より4時までの日時で同艦隊所属戦艦伊勢及び榛名の両艦を博覧会来観者並一般希望者に解放、見学を許されることになつたので、本会に於ては軍艦矢矧見学者渡船桟橋を併用して来観者の輸送事務に当り、博覧会入場券所持なき者は更に本会専用桟橋付近の市有荷揚場に上陸せしめたが、第二会場よりの見学者は26・27日の両日を通じて3250余名に達し、軍艦矢矧見学の6102名(2日間)を加へる時には実に9350余名を輸送したわけであり、ここにも国民の海軍に対する関心が如実に示されている。尚見学を許可された両艦はいづれも、第一艦隊第一戦隊に属する超弩弓戦艦で、我国防の第一線を護る精鋭無比の主力艦である〔……〕(『呉市主催 国防と産業大博覧会誌』呉市役所、1936年、605頁)