スランプに陥っても訓練することしか知らない真面目系ウマ娘が「遊ぶ」事の大切さを知る話。
主役となるのはスぺとダスカ。不調が続き結果が出せずついには本来の走りすら忘れてしまう。
2人はそれぞれの母親からレクリエーション休暇を助言されるがそれを「遊び」だと認識し反発する。
それを見かねたのがマルゼンスキー。2人をリフレッシュさせるためバブリーランドへと誘う。
そこはバブル崩壊前の80年代末期~90年代初頭の残照をウリとするアミューズメント施設であった。
マルゼンとスぺはそこで新しい水着を披露するが、何故かダスカの水着モデルは無かった…何故!?
「遊ぶ」ことに罪悪感を抱く典型的日本人にレクリエーションの重要性を説く
- 遊びはただの無為な時間ではなく悪いものではないということ
- 典型的な日本人の価値観ですと遊ぶことは悪いこととされがちです。そのためウマ娘の中でもクソ真面目系のスぺとダスカは遊ぶことに罪悪感を抱いています。それ故、二人ともスランプを克服する手段として訓練を重ねること以外思い浮かばないのでした。そんな二人に対してそれぞれの母親がリフレッシュ休暇を取りレクリエーションを行うことを提案して水着を送ってきます。しかし思春期の少女にとって親からアレコレ言われると逆に反発してしまいがち。二人とも遊びに行くことを拒否するのでした。それを見かねたのがバブル期の象徴であるマルゼンスキー。スぺとダスカをプールもある総合アミューズメント施設バブリーランドへと誘うのです。当初、マルゼンスキーの誘いに乗ったのはスぺ(withチケゾー)だけでしたが、途中でダスカも合流します。そこで二人は様々な葛藤をしながら、遊びに対する罪悪感を払拭し、価値観の転換を図るのでした。
- バブル期の残照
- 走ることの楽しさと母親との和解
- みんなでフィーバーした後、〆は砂浜のビーチで海遊び。皆で鬼ごっこをすることになり、この中でスぺもダスカも走ることの楽しさを思い出しスランプを克服していきます。走ることの始原的楽しさを思い出したのです。シナリオパターンとしてスランプに陥った時に初志を思い出すというのはありがちですが、まさかその表現方法がバブル時代の残照とは珍しいかもしれません。スぺとダスカは会話の中で、母親から遊ぶことをすすめられたのに素直に受け止められなかったキモチを分かち合います。そしてバブリーランドからの帰宅後、母親に電話し和解タイムとなるのでした。なぜダスカは水着の1枚絵が用意されているのにずっと体操服だったのか!?水着の3Dモデルが無かったことは永遠の謎となった。
水着ナリタタイシンの存在しない記憶です#ウマ娘 pic.twitter.com/MqWDOirlOc
— オダワラハコネ🚑C101 (金)め19a「VISTA」 (@odawarahakone) 2021年7月31日