雑録

【史料】「国防と産業博」関連記事の収集(2-A)『呉新聞』(1935年1月~2月)

※作業中。時系列順一覧。
旧字、歴史的仮名遣いなどは適宜改めた。

【目次】

1月

「昨年中の工廠見学者 8万7千人を突破す」(『呉新聞』1935年、1月11日、3頁)

海軍工廠の昨年における見学者数は総務部の統計によると左の通りであつた。

見学者総計8万7千823名で昭和8年度に比較して1万8422人の減、これは4月の特命検闇による見学禁止などによつて減少を見た原因によるが最高は5月の1万3712人で8年に比較して931人の増加、最少の月は1月1544人で278名の増加を見せている。

 

「呉博宣伝幻燈画」(『呉新聞』1935年、1月13日、3頁)

国防と産業博宣伝部では、新春に入り一段と緊張した宣伝陣を張り、あらゆる機能を動員して掉尾の宣伝に遺憾なきを期しているが、今回の博覧会が、今回の博覧会が普通一般の博覧会の如く、単に人集めのお祭騒ぎでなく、華府条約廃止後の海国日本の国防思想の普及徹底を期するという崇高かつ重大なる使命をもつて生れ出たものだけに、宣伝方法においてもあくまで勇壮活発なる非常時気分横溢せる意匠によつて呼びかけており、正月を期して県下映画常設館の好意によつて上映される国防と産業博宣伝幻灯図の如きも、日の丸、飛行機、軍艦などを配した勇壮なるもののみである

  

「全国民に普く 力強い国防観念 呉鎮の統計にあらわれた 昨年度の普及状況」(『呉新聞』1935年、1月27日、1頁)

国際危局を控えて呉海軍軍事普及部では映画、講演、各種の博覧会などを通じて一般国民の軍事知識普及鼓吹につとめ、殊に軍縮問題について帝国の正々堂々の主張はあらゆる機能を動員して国論の喚起統一に文字通り寧日なき努力を払って、その成果正に見るべきものあるが、今般呉鎮軍事普及部で昭和9年度(自昭和8年12月至同9年11月30日)の軍事普及統計をとつたところ左の通り躍進目覚ましきものがあつた。
 
(1)軍事講演聴講者数
 男264532名、女99505名、合計364037名。前年度に比し増10998名
(2)活動写真観覧者数
 男305240名、女173088名、合計478328名。前年度より減175472名。
(3)軍港および軍艦観覧者数
 男202612名、女85373名。前年より40658名増。
(4)艦船便乗者数
 男15816名、女10534名、合計26359名。昨年より6813名増。
(5)艦、団体内に宿泊者
 男693名。昨年より590名増
(6)ラヂオ放送回数
 9回。前年より増5回。
(7)新聞雑誌に寄稿せし数
 新聞社10社に6回、地方団体25ヶ所へ11回、合計17回。前年より6回増。
(8)軍事普及の目的で印刷したる冊子図表
 (イ)冊子4種2万500部。
 (ロ)案内書その他14種4万8300部
 (ハ)図表2種500部
(9)軍楽隊演奏(41回)聴衆者数
 222960名、昨年より38932名減
(10)部隊に下附したる兵器需品などの件数
 無償203件、有償35件、合計238件。昨年に比し86件増。
(11)資料を貸与、提出したる博覧会
 入場者数2041917名、実施回数35箇所。昨年に比し9箇所減。
(12)その他軍事普及に関するもの
 (イ)新聞記者に対する軍事講演 34回
 (ロ)映画貸与数 部内22回232巻、部隊62回635巻、合計84回。昨年より39回減。
 (ハ)軍事講習会実施回数 青訓主事ならびに指導員講習32回(船上27回、陸上5回)参会員数1297名
 (ニ)部外に配布したる冊子数38971部(海軍省ならびに当部印刷のもの)

 

「"国防と産業"博の両会場工事進捗す すでに八分通りを終り 非常時気分を旺溢」(『呉新聞』1935年、1月30日)

国防と産業博では開期を目前に控え、第一、第二両会場像建築工事を急いでいるが、両会場とも予定通り着々工事進捗し大体八分通りの建築を終つている。29日は博覧会顧問沢原俊雄氏もわざわざ両会場の工事視察を行うなど、文字通り挙市的気分濃厚に描き出され1935、6年度の国際的危機突破という崇高にして偉大な大目的のために開催する同博覧会は、いまや蕾を含み、開花準備に余念のない桜花とともに弥生その絢爛を競うかの如く万端の準備に全精魂を打ち込まれている。二河公園におけるしつとりとした雄大なる感じを与える第一会場、川原石海軍用地に続々として屹立し、黒潮渦巻く太平洋の波濤をそくそくと感受しているような第二会場の緊張、いづれ軍港都市だけにみられる非常時気分の旺溢振りである。博覧会会場工芸部について博覧会会場各館の工程を調べてみると
 
先づ第一会場正門突きあたりの産業本館が8分通り、左側の郷土産業館が9分通り、右側の軍需工業館が9分通り、演芸館が4分通りといつたところ。さらに公園の池を囲んで建設を急がれている観光館が8分、音楽堂が同じく8分、拓殖館が3分、梅林中の教育ならびに体育館、農林水産館が各7分通りの工事をすすめている。第二会場は博覧会の華とうたわれる海軍館、陸軍館、航空館がいづれも8分通り、過去幾多の聖戦に活躍尽瘁した帝国豪将雄卒の記念遺品を網羅される戦役記念館が9分通り、突端のラジオ館が7分通り、水族館は整地工事といつた情況である。
 
工事竣工予定は第一会場各館の整備を見るのが2月15日、第二会場は2月20日とされている。

 

2月

「海に眼覚めた滋賀県の青年 優秀青訓48名が熱心に呉海軍見学」(『呉新聞』1935年、2月2日、2頁)

最近海軍協会支部の設立、青訓主事の海軍講習などと従来の伝統を破つて一躍海軍県に近づきつつある滋賀県では、近年県下青訓生徒中優秀なるもの48名を選抜して県費補助により軍港見学を行つていたが、本年度選抜青訓生徒48名は去月31日午前5時58分着列車で来呉、人事部前田機関特務大尉の案内で午前中軍艦伊勢、呉工廠、第11潜水隊を見学し鎮守府で班目大佐の軍事講話を聴講し、午後は海兵団を見学、あはせて同県出身現役軍人の慰問を行つて同夜は下士官兵集会所に一泊、1日午前7時海路宮島に向つたが、同地から帰県の途についた。
 
右について班目大佐は語る。
管下府県中地理的に海に遠く、かつ歴史的にも海事に暗く、もつとも無関心であつた滋賀県人が県当局、海軍当局の努力により近年躍進的に海に眼覚め、海軍協会支部の設立、軍事講演、軍港見学などにより日一日と国防の認識を深めていることは国防の見地から喜ばしく頼もしい限りである、今回来呉した選抜青訓生徒48名は、さすがは県当局が優秀の折紙をつけただけあつていづれも立派な若者で、中に八人の海軍志願者があつたことは欣快に耐えぬ、諸種の状況から本年度志願兵徴募においても同県が優秀の成績をあげることは疑いのないところで海軍としても骨折甲斐のあつたことをよろこんでいる次第だ