【感想】大沢おふだ「二人だけで」を読んだ

妹の友達である二つ結びの少女に疲れを癒される話。
日常に忙殺され疲弊していく毎日。気力は唯々削がれていく。
人生に意味など無く、感情を失い、ただ生きるだけの屍と化す。
そんな虚無感に駆られる生活を支えてくれるのは自分を認めてくれる存在。
顔をわしゃわしゃされ手をふにふにされる描写では泣いた。

炉利バブミを内包しつつも年相応の寂しさが垣間見られる時期

  • 甘やかされ甘やかす共依存的な関係
    • 一昔前、所謂炉利バブミが流行りました。疲弊した男を炉利がバブミにより無条件肯定する話です。薄い本では伊東ライフ先生が炉利バブミモノをよく出していた記憶があります(第六駆逐隊の雷やヴェールヌイなど)。本作はそういった炉利バブミの亜種であり、少女による癒しが十二分に描かれています。日常に疲弊し、精魂尽きた男に対して、顔をわしゃわしゃし、手をふにふにして生きる気力を与えるのです。この「顔わしゃ」と「手ふに」の描写は、そのコマだけでも破壊力抜群で、見る価値があります。おススメ!
    • しかしながら、この作品の魅力は一方通行のバブミだけではありません。共依存というか甘やかされつつも甘やかすという関係性が示されるのです。現在流行りの類似した表現としては、ウマ娘スーパークリークとかが挙げられるでしょうか。トレーナーさんを甘やかすスーパークリークが逆に甘やかされているように感じるという例のアレね。本作はさらにストレートで、日常に忙殺され連絡無精であった男に、自分の事が忘れられてしまったかのようで怖かったと膝の上で寂しさを漏らす所がグッとくる展開になっています。「私のこともうわすれられちゃったかなって、ほんのちょっと怖かったかなぁ」のコマは必見です。そんな少女に対して竿役の男は如何に自分が少女によって救われているかを説くのですが、それを聞いた時に顔を赤らめ目を見張る表情がいい味を出しています。このように炉利バブミを内包しつつも、年相応の寂しさが垣間見えるところに本作の素晴らしさがあります。

f:id:r20115:20211118054636p:plain:w450
f:id:r20115:20211118054640p:plain:w450
f:id:r20115:20211118054644p:plain:w450
f:id:r20115:20211118054648p:plain:w450