群馬県立歴史博物館 第105回企画展「アイヌのくらし―時代・地域・さまざまな姿」(2022.1.15~2022.3.6)

展示構成は北海道を各沿岸部に分け各地のアイヌ工芸を配置する形式。まずはじめに一点物の「イラクサ繊維製衣服」を提示し「アイヌ工芸」の特徴を見せた後、日本海沿岸→オホーツク海沿岸→交易→北千島・樺太→太平洋沿岸→群馬と続けていく。群馬とアイヌは何の関係性があるのか?その問いに応えるものとして挙げられるのが「削りかけ」の技法。この技法はユーラシア大陸から東南アジアまでの一帯に分布し儀礼品(一部実用品)に使用される。「削りかけ」の技法を共通点として群馬の「ケズリバナ」とアイヌの「イナウ」を対比させることにより、何の関係性も無さそうな群馬とアイヌを繋げている。

個人的に印象に残っている展示はattus(アットゥㇱ)。アイヌの衣服であるアットゥㇱが日本人社会にも受容され、漁場の労働着や都市住民の雨具に用いられるようになり、近代に入ってからも使われ続けていたことが、アイヌ社会から和人への文化流入の代表例として紹介されていた。『ゴールデンカムイ』で人斬り用一郎が漁労場でアットゥㇱを着ていた際に、なぜ和人なのにアイヌの衣服を着ているんだと季節労働者に絡まれた際に、同僚からすぐに乾くと擁護されていたのを思い出した。

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ここではパンフレットにおける各章の紹介をメモしておく。(写真は1点撮り不可)

第1章 北海道 日本海沿岸の人びと

豊富な水産資源に恵まれたこの地域では、19世紀前半から多くの和人が流入し、圧倒的な少数者となったアイヌ民族は過酷な労働環境や持ち込まれた伝染病の流行によって深刻な大打撃を被った。近世のうちに人口の大半が消滅し、資料がほとんど残されていない地域も少なくない。また近代以降には、小樽や札幌、旭川等の都市開発による大きな影響も受けた。ここでは、海岸線を南から北へと進みながら人びとの歩みをたどっていく。

第2章 北海道 オホーツク海沿岸の人びと

近世までは人口のほとんどをアイヌ民族が占めていたこの地域でも、和人による開発が急速に進む北の利尻、東の国後という大漁場に隣接し、人びとの暮らしは和人社会との切り離し難い関係のもとに成り立つようになっていた。近代以降に多数の和人移住者が流入するようになると、まもなく水産資源の枯渇が深刻化するなど困難にも見舞われ、離散に追い込まれた集落もあった。ここでは宗谷岬周辺と知床・斜里を中心に、海岸線を南下しつつ人びとの姿を紹介していく。

第3章 アイヌ社会と和人社会の「交易」

近年、アイヌ民族はしばしば「交易の民」と称されるようになっており、アイヌ社会に蓄積された豊富な漆器や刀剣類といった和製品、ロシア沿海州~サハリン経由でもたらされた絹織物に高い注目が集まっている。ここでは主に19~20世紀の事例を取り上げ、和人社会からアイヌ社会にもたらされた「モノ」と、アイヌ社会から和人社会に移出された「モノ」の実例を通じて「交易」の実態に迫る。

第4章 北千島と樺太の人びと

カムチャッカ半島にほど近い千島列島北部を中心に住んだ千島アイヌの人びとと、樺太南部に住んだ樺太アイヌの人びとは、隣接する諸民族との交流を通じ、北海道アイヌとは大きく異なる地域色豊かな文化を育んできた。しかし19世紀移行、日本とロシアという二つの国家の間で極めて過酷な歴史の中を歩むことを余儀なくなされた。とりわけ、現在、千島アイヌの子孫であることを公表する者が一人もいないという事実は、国家が一つの民族集団を離散に追い込んだ事例として記憶されなければならない。北千島と樺太、それぞれの人びとの歩みをたどる。

第5章 北海道太平洋岸の人びと

近世までの和人の進出が低調だったこの地域では、アイヌ民族は他地域で見られたような大規模な人口減少を経験せず、文化的にも高い自立性を維持した状態で近代を迎えることとなった。近代以降は資源の枯渇による飢餓、移住者による土地の搾取や官命による強制移住等の数多くの苦難にも直面してきた。ここでは、西の胆振噴火湾沿岸から辞高を経て東の十勝・釧路へと海岸線をたどりながら、人びとの歩みをたどる。

第6章 群馬のケズリバナとアイヌのイナウ

北海道と群馬県で巡回される本展では、削りかけの技法を用いて作られるアイヌ民族のイナウとよく似た群馬県のケズリバナを紹介したい。削りかけはユーラシア大陸から東南アジアまでの一帯に分布し、儀礼品または一部実用品として使用されてきた。
「百姓の正月」、「農の正月」ともよばれる小正月を飾るケズリバナは群馬県下で広く制作される。その造形は新年に訪れる神の依り代として幣束や花をはじめ、稲穂・蚕・朝日などを特徴的に表現し、豊かな稔りへの願いが込められている。