【感想】リコリス・リコイル 第13話「Recoil of Lycoris」を見た。

千束生存セカイ系エンド「それが私の全部。世界がどうとか知らんわ」。
ホスピスの少女が自己の死に際して自分と周囲の人間関係を大切にしたという話。
ちさたきを始めとする千束と周囲の関係性に主眼が置かれ後の全ては舞台装置に過ぎない。
最後はおじさん達の活躍により千束は死を免れたし、爆破テロも単なる花火というオチ。
(父親的存在に生かして貰ったのでありその生でさえヒロインが自ら掴み取ったものではない)
死に至る少女を利用してその生き様(実存)を描いたのに結局死なせず主題崩壊というパターン。
近年の作品は死という有限性によるカタストロフを陳腐化させるエンドが多くなった感がある。
ゼロ年代は割とヒロイン死なせていたのでこのマッチポンプ感に2020年代という時代的特徴がある。

ヲタクという萌え豚にちさたきという百合成分を摂取させるためだけにあった作品(なのかもしれない)

セカイ系を語る千束
  • 2020年におけるセカイ系の傾向
    • ラスボス真島戦は結局は千束がセカイ系を語るためためだけの装置だったし、テロ爆破も単なる花火オチだったし、千束の命もヒロイン自ら掴み取ったものではなく父親的存在がもたらしてくれたものであった。結局の所、自分と周囲の人間関係が全てという使い古されたセカイ系に全てが集約された。喫茶リコリコをホスピスとして死に至る少女の実存を描いていったわけだが、結局ヒロインを死なせないことで、彼女が掴み取ったはずのセカイ系による実存も霞んでしまった。それ故、自らのテーマ設定を自ら崩壊させてしまいシナリオのマッチポンプ感が際立つ展開となってしまった。これは本作リコリコだけの問題ではなく2020年前後の作品にしばしば散見される問題である。この「死に逝く少女を用いてセカイ系を描くが結局少女は死ななくてテーマ性が自壊してしまいシナリオのマッチポンプが際立つ問題」(長ぇ)が今後の作品でどのように処理されていくのかという問題提起を成したことに本作の歴史的意義があると言えよう。
  • ちさたき百合成分摂取アニメ
    • 本作の魅力は全てがちさたき。ちさたきにブヒることが出来れば大勝利と言える。たきなだけに注目すれば、仕事での評価を積み上げることだけを自分の存在意義としていた少女が、自分よりも視野の広い少女に新しい世界観を示されることで救済され、それをもたらしてくれた相手に対して情愛を深めていった話ということが出来る。自分の社会的栄誉のために人殺しを行うだけであった殺人マシーンが感情を芽生えさせていくとかエモい展開でしょ。作中ではオッサンたちも千束に人生を救済されており、千束によって人生が狂わされたと表現されていたし。だからこそ千束の内面描写や葛藤がそれほど描かれず神的存在としての傾向が強めだったため、余りシナリオが深まらなかったともいえる。神的存在による一方的な救い。
爆破テロは花火オチ
最終回アイキャッチ
千束生存エンド 沖縄にいた
千束のお家芸たきなをだっこぐるぐる
残された命の使い方
リコリコハワイエンド

リコリス・リコイル感想まとめ


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