大学入学共通テストを通して、現代で求められる「言語能力」とは何かを読み解く~共通テスト「国語」(2022年1月15日実施)の出題傾向を中心に~

複数資料の参照、思考過程のプロセスの可視化、メタ認知などが一層重視されるようになりました。

個人的に注目すべきポイントだと思う箇所は2つ。一つ目は知識の陳腐化を前提として設問を作ってきたことです。これまでは語彙力や作品の時代背景などの知識は問題を解く上での前提とされ、それを用いて問題を解いていました。しかし近年スマホの普及により知識は調べれば良いものとなり、知識の有無は問われなくなっていきます。寧ろ調べた知識を「どう使うか」の方が社会を生きる上で必要となったのです。このような状況に対応するため、共通テストではあらかじめ語彙を提示し、それを使って問題を解くという行為を求めてきたのです。これは受験国語的に画期的な出来事であると言えるでしょう。

もう一つは古文における一次史料の扱いについて。言語能力の重視と共に、歴史科目における設問が、単なる純粋国語に陥ってしまう(資料を読めば歴史知識が無くても解けてしまう)という問題が発生しました。その一方で、国語の教科において史料の使い方が問われたのが今回の古文です。同じ出来事に対して、「同時代に書かれた日記」と、「それを含む資料を用いて後世に書かれた歴史物語」を比較して考察するという設問が登場したのです。これはまさに現代の情報化社会で必要な能力といえ、「資料の複数参照」に加えて「書き手の視点」にも迫るものであった言えます。この点においても今回の共通テスト「国語」は新たな時代に適応する能力を育成するという気概は感じられました。

大学受験が変らなければ授業は変わらないという問題(一種のイイワケ)が、学校現場にはありましたが、着実に入学試験が変ってきたことを感じさせられました。

【目次】

第1問 評論 一つの主題に対し見解の異なる二つの資料を読み、その特性をまとめる

文章の内容

【文章Ⅰ】檜垣立哉『食べることの哲学』

宮沢賢治の「よだかの星」を参照して「食べる」ことについて考察した文章。文系的。食べるという行為の、他者の命を奪って自分の生命を生きながらえさせるという側面に注目する。自己の生存理由を見いだせない人生において他者の命を奪ってまでして生きる意味はあるのかという哲学的な問いに対し、思いを昇華させるための解決策として自らの変容を説く。

【文章Ⅱ】藤原辰文『食べるとはどういうことか』

人間に食べられた豚肉(あなた)の視点から「食べる」ことについて考察した文章。理系的。食べると言う行為の、栄養と消化と言う側面に着目する。食べることは生命維持や人間の主体性などとは関係が無く、生命の循環であるという見方を提示する。生命を循環のなかで考えることによって、死ぬのに生き続けることの回答を与えている。

設問 問6について

従来、国語の評論文の問題は抽象的な論考の正確な読解が主眼であったが、複数資料を参照した上で考察し、さらにそのプロセスの過程を可視化するメタ認知的側面が求められるようになった。その象徴となっているのがこの問6。同じテーマで見解が異なる二つの文章を読み、その要旨を把握。それぞれの文章が内包する課題に対して、もう一方の文章を根拠に回答を与えている。文章Ⅰの人間が生きるためには他者の生命を奪わずにはいられないことについては、地球全体の生命活動の循環という答えを与える。文章Ⅱの生存理由を循環のプロセスと見なすことについては、それを成り立たせるためには一つ一つの生命が持つ生きる事への衝動が必要であるという見解を示す。

第2問 小説 語彙ツールを用いて文学的知識を参照し、異なる価値観を持つ世代の心情を読解する

文章の内容

黒井千次「庭の男」。定年退職した初老の男性の心情描写が描かれる。男性の自宅の隣家に息子のためのプレハブ小屋が建てられたが、そこに立てかけられている看板を巡って話が展開していく。看板が気になりつつも能動的な行動を起こせないでいたが、ある時偶然、隣家の息子とエンカウント。看板について会話を試みようとするもジジイと吐き捨てられコミュニケーション失敗。バッドコミュニケーション。ついに夜中に隣家へと侵入し看板を調べる。その看板は単に立てかけられているのではなく、念入りに固定されており、何かポリシーがあって設置されていることが判明。ある程度の納得をする。

設問 問5について

高校生にしてみれば定年退職した初老男性の心情変化など普通は読み解けないし、読み解きたくもないであろう。ではどうすれば読み解けるのか。……と、いうことで、語彙ツールを使用し文学的知識を参照する方法で思考プロセス提示された。かつての小説の問題であれば、文学的知識を持っていることが前提とされ、それにより問題を解いていた。だがネットの発達により知識など持っていなくとも参照するためのツールを活用できればそれでよくなったため、その思考過程を可視化することが問われるようになった。初老の男性の価値観など持っていなくとも、他の文学的知識から類推すればいいのである。

設問では国語辞典と歳時記を用いて,「案山子」と「雀」の関係性を参照し、そこから看板と「私」(初老男性)の関係性を読み解いていく。案山子は雀に恐怖の対象と認識されれば追い払う効果を持つが、種がバレれば単なる見かけ倒しに過ぎない。これが小説内の「私」にとっての「看板」であり、実際に看板がどういうものかが分かったことにより、看板一つに苛まれていた初老男性の苦悩が解決する。

第3問 古文 同時代の一次史料(「日記」)を基にして後の世に書かれた歴史叙述の特性を考察する

教科横断~国語化する歴史と歴史化する国語~

歴史叙述には一次史料の批判的検討が不可欠であるため、歴史の試験が国語と化してしまう事例がしばしば指摘される(2021共通テストの世界史など)。それを踏まえてか国語の問題で一次史料とそれを基にした歴史物語を出してきた。具体的には後深草院に親しく仕える二条が書いた日記『とはずがたり』(文章Ⅱ)と、それを基にして書かれた歴史物語の『増鏡』(文章Ⅰ)である。内容読解に加えて、一次史料を基にして書かれた歴史物語を読み解く際の注意事項が題材とされている点もポイント。歴史が国語化するように国語もまた歴史化するという多分に教科横断的な問題であった。内容としては妹属性モノであり、異母妹に恋慕する後深草院の場面が扱われている。

問4について 「書き手の意識の違い」にまで踏み込む

歴史教育において生徒に身に着けさせる能力の一つに歴史叙述の「視点」といったものがある。同じ歴史事象を扱うにしても叙述者の立場の違いにより様々な書かれ方がする。(だからといって好き勝手に歴史を書いて良いのではなく、根拠として一次史料を複数参照する必要があるし、その解釈が妥当かどうかを論文投稿や学会発表で精査されねばならない)。この書かれ方の違いそのものが問4では設問の題材となっている。授業中でのやり取りという設定の下で、生徒たちが日記と歴史物語の差異を指摘していき、後世に歴史として書かれた文章の特徴がまとめられるのである。日記ではその場の臨場感や書き手の主観の挿入が特徴として挙げられる。一方で歴史物語は、日記の書き手の主観の削除や日記で書かれていない側面への配慮が指摘され「俯瞰」する立場から出来事の「経緯」が叙述されているとまとめられている。

第4問 漢文 序文を踏まえて七言律詩を鑑賞する問題かと思いきや…

序文の大まかな内容

出典は阮元「揅経室集」。庭園に飛んできた蝶々をめぐる話。都にいたとき借りていた屋敷に庭園があり、そこに飛来してきた蝶々を通して、その時の日々を懐かしく思い出しているというもの。

阮元は董其昌が自ら詩を書いた扇を持っていたが「名園」「蝶夢」の五句があった。1811年の秋に珍しい蝶々が庭園に飛来して扇にとまった。この蝶々は阮元の庭園だけでなく他の満洲族名家:瓜爾佳の庭園にも現れた。その際、客の中に蝶々を箱に入れて阮元の庭園に帰そうとするものがいたが、箱を開けると空っぽだった。1812年の春、蝶々はまた阮元の庭園の台上に現れた。画者は「もし私に近づいたら必ず絵に描いてやろう」といったが、蝶々は袖にとまったのでやや長い間詳しく見ることができ、形や色を把握することができた。蝶々はゆったりと羽をうって去っていった。庭園にはもともと名前がなかったが、董其昌の詩と蝶々の意を庭園に名付けた。秋半ばに阮元は都を出たので庭園も他人のものとなったが思い起こせば夢のようであった。

問題傾向について

読解よりも漢文の基礎知識が問われる問題が多い。実質的に漢詩で問われているのは、詩の形式と句法だけ。内容読解は序文が分かれば解けてしまう。しかも問7は外れ選択肢が杜撰なので、本文を読まなくても答えが分かってしまう。漢文の問題って毎年そういうところあるよね。評論・小説・古文で新傾向の言語能力が問われていたが、漢文は複数種類のテキストの参照が取り入れられているだけであったように思われる。

【参考】これまでの「国語」解説