【全設問詳解】大学入学共通テスト「世界史B」(2023年1月14日実施)

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  • 共通テストに見る歴史教育を通して育成する能力の変容
    • 令和時代の歴史教育では読解力リテラシーと知識活用能力の育成が明確に求められている。大学入試が変わらなければ歴史学習は変わらないと批判され続けてきたので、共通テストは明確に出題傾向を変え、資料読解をメインとするものに舵を切った。
    • それでも2022年の共通テスト世界史Bは資料読解を装った純粋国語の問題、即ち文章を読みさえすれば解けてしまうものが多いことが指摘されていた。それを踏まえてか2023年の世界史Bは純粋国語の問題は少なくなり、読解力リテラシーに歴史知識を加えて解く問題が増加した。複数の資料をたくさん瞬時に読みこなし、比較参照して、そこから客観的な判断を下すことが求められるようになったのだ。
    • 90年代以前の日本では大量の情報をインプットし、求められる出題に応じて知識が出せれば良かった。それ故、『詳説世界史』を聖典とし山川用語集を全て覚え、出題パターンを分析するというのが一般的な歴史学習であった。だが今ではもうそれが成り立たなくなったのである。

  • 複数資料の比較参照
    • 現在は同じ歴史事象であっても、様々な語られ方をすることを当然のものとする必要がある。複数の資料を読み解き、何が問題の焦点となっていて、著述者はどのような立場で、どのような意図をもって、どんなことを伝えるためにその資料を書いたのかを分析できなければならない。

  • 歴史知識って必要ないの?いいえ、必要です。
    • 歴史知識というのはそういった資料を読み解くためのツールとしての役割を果たすことになる。だがそれは知識軽視にはならない。今までは知識は知っているだけで良くそれだけで評価された。だがその知識を使って考えることが求められているのだ。知識が無ければ考える前提にすら辿り着けず、資料を読み解くところにもいけない。

  • じゃあ、結局どういう勉強すればいいの?
    • だから普段から同じ社会問題を違う立場で論じる複数の文章を読み解く練習をしておかねばならない。それは左派系の新聞(朝日・毎日)と右派系の新聞(日経・読売)の国際欄を読み比べるなどして身に付く。教科書だって1社のものを聖典として丸暗記するというのはお門違いであり、複数の教科書を読み比べしておくことが重要だ。受験業界で『詳説世界史』に加えて社会経済史が詳しい東京書籍とグローバルヒストリーを意識して著述される帝国書院を読めと言われる所以である。

【設問一覧】

第1問 女性史

A 婦人参政権

問1【1】ロシア史
問2【2】第一次世界大戦
  • 正文判定③
    • ①【誤】WWⅠでオスマン帝国は協商国(連合国)ではなく同盟国側。オスマン帝国は第一次バルカン戦争の敗北以後、ドイツに接近していた。
    • ②【誤】フランスがドイツの進撃を阻んだのはマルヌの戦い。これによりシュリーフェンプランが挫折した。タンネンベルクの戦いは独将軍ヒンデンブルがロシアに圧勝した。
    • ③【正】WWⅠにおいてイギリスは大量のインド軍兵士を前線に送った。そのため1917年インド相モンタギューは戦争協力を条件に自治を約束した。だが戦後、1919年のインド統治法は自治とはほど遠い内容であり、ローラット法が制定されたこともあり、アムリットサル事件が勃発し、反英闘争が激化していくことになる。
    • ④【誤】レーニンが発表したのは「平和に関する布告」で全交戦国に無併合・無償金・民族自決の原則による講和を呼びかけた。「十四ヶ条の平和原則」は米大統領ウィルソンが「平和に関する布告」に対抗して出したもの。
問3【3】NZ,イギリス、アメリカにおける婦人参政権
  • 正文判定②(渡部のみ正しい)

B 前近代中国における女性観

問4【4】平城に都が置かれていた時代
  • 語句挿入②
    • ①【誤】西晋を滅ぼした匈奴前趙であり、その都は平陽。前超は八王の乱の混乱に乗じて劉淵により304年に建国された。
    • ②【正】386年鮮卑の拓跋部が台頭し拓跋珪北魏を建国し都を平城とした。その後、439年の太武帝の時に華北を統一した。
    • ③【誤】六朝とは建康(建業)を都にした三国時代の呉・東晋南朝4王朝(宋・斉・梁・陳)。平城ではない。
    • ④【誤】隋の都は大興城(長安付近)。隋を開いた楊堅(文帝)が、漢以来の長安の近郊に建造した。
問5【5】則天武后と唐代における北方の状況
  • 文挿入①
    • ①【正】唐の建国者は高祖(李淵)。北周・隋と同じ拓跋部出身であり東突厥の支援のもと長安に入り618年唐を建国した。
    • ②【誤】科挙は北方民族の官吏登用制度ではない。科挙の創始は隋の文帝(楊堅)。九品中正制を廃止し科挙を創始したことで、政治の担い手が貴族から科挙官僚に移った。
    • ③【誤】則天武后は隋ではなく唐代の人物であるし、江南は長江の下流域であり北方ではない。隋の大運河は、江南の経済地帯と北方の政治・軍事の中心地を結んだ水路。文帝・煬帝の2代にわたって建設に励むが、工事の負担は隋の滅亡を早めた。
    • ④【誤】則天武后北魏ではなく唐代の人物。北魏の第六代皇帝である孝文帝は平城から洛陽に遷都し漢化政策を推進した。
問6【6】魏晋南北朝以降の儒学

第2問 世界史における君主の地位の継承

A フランス王家

問1【7】ヴァロワ朝からブルボン朝へ【純粋国語】
  • 純粋国語②
    • ①【誤】右ではなく左。本文の小林の1つ目の台詞で左の図柄がクレシーの戦いの図版で見たことがあると述べられている。
    • ②【正】本文の先生の2つ目の台詞において左の図柄(ユリの図柄)はアンリ4世が以前の王朝と繋がっていることを明確に表しているとある。家系図を見るとアンリ4世ルイ9世と繋がっている。ルイ9世カペー朝の王である。したがって左の図柄はアンリ4世カペー朝とつながりがあることを示している。
    • ③【誤】左の図柄はカペー朝とのつながりであることは上記で述べた。右の図柄はアンリ4世の母方の家系のものとある。家系図を見ると母方はナバラ王家でありイングランド王家ではない。よってイングランド王家との結合とは考えられない。
    • ④【誤】家系図を見るとジャンヌ=ダルブレ(1572年までナバラ女王)とあるので、ナバラ家は母方から継承したものだと分かる。
問2【8】プロテスタント
問3【9】フランス政治史

B ファーティマ朝カリフ

問4【10】イベリア半島史【空欄補充前提】
問5【11】カリフ
問6【12】ファーティマ朝

第3問 世界史に対する疑問や議論

A フランス革命

問1【13】ブルボン朝復古王政 ルイ18世(位1814~24)
問2【14】ハイティとセントヘレナの位置【地図】

B 科挙

問3【15】朱子学【空欄補充前提】
  • 空欄補充+正文判定③
    • 【ウ】は宋代の新しい学問なので朱子学
    • ①【誤】科挙が創設されたのは宋ではなく隋。宋の科挙は太祖趙匡胤の時に殿試が追加された。殿試は皇帝自ら試験官となり宮中でおこなう最終試験であり科挙官僚に忠誠を誓わせた。
    • ②【誤】金の支配下儒教・仏教・道教の三教の調和を唱えたのは王重陽が始めた全真教。
    • ③【正】南宋の首都は臨安。朱熹宋学を大成した。学問方法としては格物致知を取り、大義名分論を実践した。経典は四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)を重視。
    • ④【誤】王守仁(王陽明)は陽明学朱子学の客観的な性即理に対して、主観的な心即理の立場をとり、前者が理論に始終しがちなのに対して、その実践をあわせて主張した。
問4【16】17世紀明末における書院を拠点とした争い
  • 空欄補充④
    • ①【誤】黄巾の乱後漢末期。184年太平道張角黄巾の乱を起こす。前220年、曹操の子;曹丕により後漢は滅亡、三国時代へ突入した。
    • ②【誤】岳飛と秦檜の対立は南宋岳飛は宋の再建をめざし高宗に仕え淮河を境に金を凌ぎ、主戦派の中心として活動するが敗れる。秦檜は和平派の中心として活動、1142年に紹興の和議を成立させたが、南宋が臣下の礼をとらざるをえなかったので激しく非難され、売国奴とされた。
    • ③【誤】土木の変は1449年なので15世紀。正統帝が親征を行うがオイラトの指導者エセン=ハンに敗れ土木堡で捕虜となる。明軍は壊滅したが、正統帝は無条件で解放された。
    • ④【正】万暦帝の時代(位1572~1620)、東林党(顧憲成が開いた東林書院出身の正義派)と非東林党(宦官に買収された官僚)が政争で対立した。
問5【17】人材登用制度【資料読み取り+歴史知識】
  • 正文組み合わせ①
    • 中国における科挙以前の人材登用制度
      • あ【正】郷挙里選の説明。正しい。優秀な人材を地方で選び地方長官が中央に推薦する政策だが、豪族の子弟が多く推薦され官僚となる弊害が生じた。
      • い【誤】九品中正の結果、貴族の高官独占が抑制されたのではなく、逆に進んだ。はじめは個人の才徳に基づいていたが、中正官と有力豪族が癒着し、豪族が中央官界に進出。豪族は貴族化し「上品に寒門なく下品に勢族なし」とされ門閥貴族の形成が進んだ。
    • 朝鮮・日本での人材登用制度
      • X【正】純粋国語の問題。下から2番目、先生の台詞を読めば分かる。朝鮮の知識人が日本の世襲制度を批判していたことが書かれている。
      • Y【誤】純粋国語の問題。下から4番目、先生の台詞を読めば分かる。周代の封建制を否定していたのではなく肯定していたことが書かれている。

C 中国文化史

問6【18】明・清文化史
  • 空欄補充と王朝の業績の組み合わせ④
    • 空欄【オ】18世紀の中国とあるので清王朝を選ぶ。
      • 『四書大全』は明の永楽帝の大編纂事業。
      • 『四庫全書』は古来の書籍をすべて集めた叢書で乾隆帝が編纂させた。
      • 中書省の廃止」は明の創始者朱元璋(洪武帝)の業績。中書省とその長官である丞相を廃止し、六部などの中央官庁や地方官を皇帝に直属させた。
      • 「辮髪の強制」は清王朝満洲人統治の一環として漢人に満人と同じ髪形をさせた。
問7【19】漢・唐文化史【純粋国語】
  • 資料読み取り①
    • 漢書』芸文誌について本文の上から7番目の台詞(内藤の4番目の台詞)に「五経が含まれていますね」と書いてある。『詩経』は五経のうちの一つなので含まれる。『資治通鑑』は君主の統治に資することを目的に書かれた編年体の通史であり著者は宋代の司馬光なので『漢書』には含まれない。よって掲載されるのは『詩経』のみ。答えは①となる。
問8【20】中国文化史【資料読み取り+歴史知識】
  • 資料読み取り+正文判定③
    • ①【誤】上から10番目の台詞(教授の5番目の台詞)に当時(1世紀)は史部という分類自体存在しませんでしたと書かれている。
    • ②【誤】本格的な木版印刷は8世紀後半の唐代で広く行われるようになった。3世紀~6世紀は不適切。
    • ③【正】上から4番目と5番目の台詞を読み取る。7世紀編纂の書籍目録の史部は『史記』、『漢書』、『後漢書』、『三国志』であり全て紀伝体の歴史書とある。
    • ④【誤】冒頭から18世紀の中国で編纂された歴史書について四部分類の話をしている。18世紀までには四部分類が用いられなくなったというのは読み取れない。

第4問 資料

A 貨幣

問1【21】ビザンツ帝国史・ウマイヤ朝史【資料読み取り+歴史知識】
問2【22】ウマイヤ朝史【資料読み取り+歴史知識】
  • 資料読み取り+正文判定②
    • 佐々木【正】:純粋国語。一番下の先生の台詞参照。ウマイヤ朝は各地の言語を行政に用いることを認めていたが、行政を用いる言語をアラビア語に変更するなどの統治政策が行われるようになった。
    • 鈴木【正】:資料読み取り+歴史知識。上から4番目の台詞(佐々木の一番初めの台詞)参照。貨幣2にはアラビア語の銘文が刻まれ十字架が改変されていることが書かれている。設問の鈴木のメモを読むとコーランの言語で刻まれた銘文とあるので、コーランアラビア語で書かれていることが分かれば正文だと判定できる。
    • 広田【誤】:歴史知識。ヴァンダル王国を滅ぼしたユスティニアヌスは6世紀のビザンツ皇帝。ソリドゥス金貨を発行開始はローマ帝国コンスタンティヌス帝。

B 古代ギリシア

問3【23】ギリシア・ローマ史
  • 資料読み取り+空欄補充⑤
    • 空欄【ア】:上から2番目の台詞において資料1、資料2の著者は共に五賢帝の時代(1世紀末から2世紀後期)に活躍したとある。上から4番目の台詞にはヘラクレイデスはアリストテレス(前384年~前322年)の下で学んでいたとある。マラトンの戦いは紀元前490年。よってマラトンの戦いにより近い時代に生きていたのは資料1、2の著者たちよりもヘラクレイデス。
    • 空欄【イ】:「マラトンの戦いに時代が近い人物が信頼できるとしたら」という仮定に答えればよい。上記空欄【ア】で資料1、資料2の著者よりもヘラクレイデスの方がマラトンの戦いにより近い時代に生きていたことが明らかになっているの。そのためヘラクレイデスの証言が信頼できることになり、ヘラクレイデスは使者の名前をテルシッポスとしているので、答えはテルシッポスとなる。
問4【24】ペルシャ戦争【空欄補充前提】
問5【25】ギリシア・ローマ文化史【資料読み取り+歴史知識】

C 中世ヨーロッパ史

問6【26】アングロサクソンジュート族【資料読み取り+資料解釈】
問7【27】ブリテン島におけるカトリックの布教【純粋国語】
  • 時系列整序②
    • 具遺体的な年代が分からなくとも、資料1はアングロサクソンジュート族がブリテン島にやってきた時、資料2の時点ではもう既にラテン語がある(カトリック布教後)、資料3はアングル人に対するキリスト教の布教の話なので、資料1→資料3→資料2と分かる。純粋国語の問題である。
問8【28】キリスト教の社会的影響
  • 正文判定②
    • ①【誤】クローヴィスの改宗は対ノルマン人ではなく対ローマ人対策。クローヴィスの改宗によりガリア各地で司教として地域社会を支配していたローマ人貴族層の支持を取り付けることができた。
    • ②【正】ジョン=ボールはワット=タイラーの乱の思想的指導者。名言「アダムが耕しイヴが紡いだとき、誰が領主であったか」
    • ③【誤】統一法はテューダー朝エリザベス1世イギリス国教会の祈禱や礼拝の統一はかる。メアリ1世時のカトリック復帰による混乱をおさめ、国教会が確立した。コンスタンティヌス帝はキリスト教を統治に利用するためミラノ勅令で公認し、ニケーア公会議で教義を統一。
    • ④【誤】第1回十字軍はウルバヌス2世が提唱。ボニファティウス8世は聖職課税問題において仏王フィリップ4世にアナーニ事件で屈服。教皇庁はローマから南フランスのアヴィニョンに移転した。

第5問 歴史統計

A 近現代東南アジア史

問1【29】イギリス外交史
問2【30】アメリカ史
問3【31】1929年当時の東南アジア各地の経済と貿易
  • 正文判定
    • ①【誤】4地域の対宗主国向けの輸出額の割合の数字を読み取ると以下の通り。インドネシア→オランダ(21.0)、マラヤ→イギリス(14.3)、フィリピン→アメリカ(75.7)、インドシナ→フランス(22.1)。よって一番低いのはマラヤ→イギリスであり、インドネシア→オランダではない。
    • ②【正】インドシナの輸出上位地域を見ると第3位にマラヤが入っているため上位5地域に入っていることが分かる。イギリスは1895年にマレー連合州を結成。マレー半島保護領化して組織した。20世紀にはインドから大量の移民(印僑)を導入し、広大な未開地をゴム・プランテーションとして開発。
    • ③【誤】強制栽培制度はフィリピンではなくインドネシアでオランダにより行われた。
    • ④【誤】インドシナの輸出額最大の地域は香港でありその宗主国はイギリスであって、インドシナと同じ宗主国(フランス)ではない。

B 産業革命

問4【32】イングランドの都市人口と農村人口の変化
  • 図表読解①
    • ①表1の都市人口比率は増加している。農業革命で第二次囲い込みが行われた。新農法とはノーフォーク農法のこと。18世紀前半にイギリス東部のノーフォークで開発された輪作農法であり、農地を四区画に分け、1年ごとに大麦・クローヴァー・小麦・カブの順で植え、4年1巡の四輪作制をとる。従来の三圃制で生まれてしまった休耕地を無くしたところが革新的。
    • ②表1の都市人口比率は増加している。減少していないので不適。
    • ③表2の農村農業人口100人当たりの総人口は上昇しているため図表読解は正しいが、農業調整法は20世紀アメリカのフランクリン=ルーズベルトによるニューディール政策なので不適。
    • ④表2の農村農業人口100人当たりの総人口は上昇している。減少していないので不適。
問5【33】イギリスとアイルランドからアメリカ合衆国への移民
  • 図表読解①
    • ①【正】アイルランドでは1840年代半ばにじゃがいも大飢饉が発生。100万人以上が餓死しアメリカやイギリス本国への移住は増加した。大飢饉が起きた時もイギリスへの小麦輸出は以前と変わらない水準だったため、これ以後、自治権獲得運動高まる。
    • ②【誤】クロムウェルアイルランドを王党派の拠点として征服したのは1649年。17世紀半ばの事であり1850年代中頃ではない。
    • ③【誤】南北戦争1860年代前半の事であり、1870年代の事ではない。
    • ④【誤】1895年のイギリスからの移民は1890年よりも減少しているので誤り。
問6【34】世界初の産業革命が起こった国はイギリス
  • 正文判定②
    • ①【誤】綿製品、茶、アヘンは大西洋三角貿易ではなくアジア三角貿易。大西洋三角貿易は武器と黒人奴隷と砂糖。
    • ②【正】ダービー父子はコークスを開発した。コークスは、石炭を燃料としては良質な鉄を生み出すことができなかったため、ダービー父子により開発された石炭加工燃料。石炭を空気と遮断した状態で燃焼させて、硫黄・コールタールなど不純物を除くことで高温燃焼を可能とした。コークスによる鋼鉄製造で鉄の生産量が急増し、鉄製機械が普及することになる。
    • ③【誤】選挙権拡大運動はラダイト運動ではなくチャーティスト運動。1832年の第1回選挙法改正では労働者に選挙権が与えられなかったため、都市労働者たちが人民憲章を掲げて政治闘争を改正。フランス二月革命の影響を受けて1848年には最高潮の盛り上がりを見せたが、請願は拒否され、停滞した。
    • ④【誤】1833年の工場法は環境問題ではなく児童労働が制限された。