ノートにとった講演会の内容を整理しておく。
- 講義要約
- 幕末維新期に生糸は主要輸出品となったが、品質不良により買取価格が低かった。そのため品質を向上させる必要があり、高山社は養蚕改良に取り組み「清温育」という飼育方法を確立する。
- 高山社は蚕種販売と養蚕教授で大いに栄えたが、高山社の「清温育」は厳格な飼育管理が必要であった。それ故、丈夫で品質の良く厳格な管理を必要としない「一代交雑種」が実用化され、蚕種統一運動が起こると高山社は衰退していくことになる。明治44年には国立原蚕種製造所が設立され、国家が養蚕の主導権を握るようになる。高山社が経営していた蚕業学校も低迷し昭和2年に廃校となった。
- 高山社の歴史的意義は、明治期において民間で養蚕改良をしなければならなかった時期に、技術革新を行い、それを広めたことである。
【目次】
はじめに
企画展では養蚕改良の変遷を①桑、②飼育、③蚕種の視点で扱った。今回の講演では「高山社」を中心として養蚕改良について話す。
※高山社は、蚕の飼育法として「清温育」を確立し、伝習所を設立して技術普及に努めた。
1.養蚕改良について
- 養蚕改良
- 繭をうまく作る丈夫な蚕を作ることを目指す。
- 養蚕改良の3つのカテゴリ
- ①蚕種(糸質・収繭量・飼いやすさ)、②飼育(安定性・効率性・生産性)、③桑(飼育需要と供給)
2.江戸時代の養蚕業発展を技術面から支えたのが、養蚕指導書
江戸期幕府が生産を奨励、奥州、信州、上州で盛んとなる。講演者曰く、冷涼で温暖育しやすいとのこと。
- 馬場九重『養蚕手鏡』正徳2年(1712)
- 蚕の失敗を防ぐには気候変化に注意することを促す
- 吉田芝渓『養蚕須知』寛政6年(1794)
- 独自の理論は少ないが、飼育法の手引書として一般化に効果があった。
- 上垣守国『養蚕秘録』享和2年(1802)
- 当時の養蚕を体系的に網羅した養蚕書
3.幕末から明治の動向と日本の蚕種・養蚕
4.幕末から明治初期の輸出品としての生糸
- 主要輸出品であったが低価格
- 品質が悪い、糸の太さが一定でない、多すぎる蚕種
- 器械製糸は富岡以外アウト
- 〇 富岡製糸 ブリュナーフランス式
- × 前橋製糸 ミューラーイタリア式
- × 小野組築地製糸
- × 工部省葵町製糸
- なんとかして生糸の値段を上げたい!
- 繰糸器具・座繰器の改良
- 組合製糸 南三社(碓氷社、甘楽社、下仁田社)
6.養蚕改良高山社と高山長五郎
7.甲種私立高山社蚕業学校と町田菊次郎
8.高山社の特徴:授業員派遣制度・分教場制度
- 授業員派遣制度
- 優秀な卒業生を社員として囲い込む→授業員として全国に派遣、養蚕技術普及を行う。
- 分教場制度
- 有力養蚕家を分教場指定し、別科養蚕実習場とする。
- 女子教育も盛ん。富岡製糸の女子教育と異なり実学・技術重視。