長野方業と長尾顕景の抗争を巡る3点の書状を読み解く史料紹介的な講座内容。
書状の読解が講座の目的であり、講師が史料原文を読み下し現代語訳と解説を行うというもの。
長野方業の戦国史的な位置付け、箕輪城の歴史的意義などは特に扱われなかった。
政治史的な史料価値は無いとのことだが戦国コミュニケーション的には重要であるとのこと。
(「戦国コミュニケーション」という概念についての定義などは論じられていない)
以下、講座の内容をまとめておく。
- 講座概要
- 箕輪城主・長野方業と厩橋城主・長野賢忠の所領は、総社長尾氏を挟むように位置していたため、日常的に長野VS長尾の対立があったと推測されている。大永4年(1524)、長野方業は総社長尾氏を滅ぼすため、長尾顕景に従っていた徳雲軒性福を内通させる。だが裏切りは露呈し性福は処刑された。今回の講座では、この事件を巡る3種の書状を読むことが主眼とされ、パワポに写された書状の原文を講師が読み下して現代語訳と解説を行うというスタイルが取られた。
- なお講座で扱われた書状の順番は時系列順ではない。①総社の長尾顕景から越後の長尾為景宛ての書状(1524年12月16日付け):性福を処刑した顕景が越後の為景に長野氏と戦うための兵力足軽200人を軍事要請したもの、②長野方業から性福宛ての書状(1524年11月17日付け):性福に対し長尾氏所領の処置を長野方業が保障したもの、③性福から長野方業宛ての書状(1524年12月2日付け)の写し:長尾顕景居城(蒼海城)を攻める際の注意点。
- これらの史料は「滅亡の危機に対する焦燥感と支援を求める切実さ」、「裏切りの際の誓約」、「攻城戦の実態」を知ることができるので貴重だとのこと。
はじめに
- 本講座の目的
- 長野方業は大永年間の箕輪城の城主。方業は総社の長尾顕景を滅ぼそうと企て、顕景に従う徳雲軒性福を内通させた。これに関する書状をもとに戦国期の策略と裏切り、攻城戦の様子を読み解く。
【史料1】総社の長尾顕景から越後の長尾為景宛ての書状(1524年12月16日付け)
- 大意
- 戦国コミュニケーション的意義
- 「これほど滅亡の危機に対する焦燥感と支援を求める切実さが伝わってくる内容の文書は珍しい。そのきっかけとなったのが顕景のもとに内通者徳雲軒性福を仕立てるという長野方業の策略」(配布されたレジュメより)
【史料2】長野方業から性福宛ての書状(1524年11月17日付け)
- 大意
- 戦国コミュニケーション的意義
- 「裏切りの際にはそのことを誓約した起請文が交わされ、権益の処置について取り決めがなされたことが読み取れる」(配布されたレジュメより)
【史料3】性福から長野方業宛ての書状(1524年12月2日付け)
- 大意
- もし方業が顕景の居城・蒼海城を攻めたら、その夜に軍勢に命令して欲しい事項を性福が列挙したもの。八条からなる。戦国時代の夜襲の攻城戦の注意点や命令しなければ普通は起こり得ることが読み取れる。①略奪の禁止、②城主(顕景)を打ち取った際の味方同士の節度の維持、③味方同士の喧嘩の禁止、④性福側の命令に従う事(命令系統の混乱を防ぐ)、⑤合言葉(味方かどうかの判別)、⑥略奪などを意図せず放火の命令を十分にすること、⑦厩橋長尾賢忠の軍勢に急ぎ東口に放火させること、⑧西南の放火は性福側と同時にすること、そうしないと性福側の曲輪へ敵が押し寄せてしまう。
- 戦国コミュニケーション的意義
- 「戦国期における攻城戦の様子が生き生きと蘇る史料。攻城戦で起こりえる略奪や味方同士での争い、指揮命令系統の混乱など、攻城戦における被害・混乱状況が読み取れる。」(配布されたレジュメより)
おわりに
- 本講座で取り上げた長野方業に関する書状の戦国コミュニケーション的意義
- 「滅亡の危機に対する焦燥感と支援を求める切実さ」、「裏切りの際の誓約」、「攻城戦の実態」を知ることができる。
- 500年前に確かに生きていた「上州の戦国人」の行動・思考・心性に迫りうるもの。