ノートにとった講座の内容を整理しておくこととする。
- 講義概要
【目次】
一般的な風穴の概要
- 定義
- 略史
- 江戸中期:漬物保存(長野稲核村)の記録
- 幕末:蚕種貯蔵(長野稲核の風穴本元)の記録
- 明治中期:蚕種貯蔵風穴が各地で利用される
- 明治末期:蚕種を預かって貯蔵する風穴業又は風穴蚕種業が全国展開
- 大正中期:冷蔵庫の普及等で蚕種の委託先が多様化
- 昭和初期:風穴業の廃業が加速する
- その後
- 各地の営林署管内の風穴を種子保存(発芽抑制)で再利用
- 戦後には種子保存用風穴が新造(コンクリ造等)されたことも。
- 長野・稲核の風穴本元では現在でも樹木の種苗の貯蔵を実施。
- 果実保存での活用(小諸の氷風穴、佐久の入沢風穴、秋田県大館の長走風穴など)
- 現在
- 日本各地の風穴(スライドを見せられる)
- 荒船風穴、星尾風穴、氷風穴、稲核風穴、檜原風穴、富岳風穴、富士風穴
荒船風穴
- 自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種貯蔵施設
- 技術革新・技術交流
- 自然に吹き出す冷気を利用した最大規模の蚕種貯蔵所
- 養蚕多回数化に貢献した近代蚕種貯蔵施設の代表例
- 富岡製糸場が進めた蚕の優良品種の開発とその普及に重要な役割を果たした場
- 評価ポイント
- 明治時代、生糸増産が求められる中、自然の冷風を利用した蚕種貯蔵技術を用いて、安定した夏秋期の養蚕を可能にした。日本最大規模の蚕種貯蔵量を持った蚕種貯蔵施設であり、鉄道、電信、郵便などの近代的制度を活用して、日本全国からの蚕種貯蔵に対応し、日本の繭増産に貢献した。
- 【疑問点】日本全国というが具体的にどのエリアからなのか。鉄道・電信・郵便の活用というが、荒船風穴という山奥で道路も狭い場所にどうやって輸送・運搬していたのか。
- 明治時代、生糸増産が求められる中、自然の冷風を利用した蚕種貯蔵技術を用いて、安定した夏秋期の養蚕を可能にした。日本最大規模の蚕種貯蔵量を持った蚕種貯蔵施設であり、鉄道、電信、郵便などの近代的制度を活用して、日本全国からの蚕種貯蔵に対応し、日本の繭増産に貢献した。
- 略史
- 1902(明治35) 庭屋千寿、高山社蚕業学校に入学
- 1904(明治37) 庭場千寿、荒船風穴付近の調査を開始。高山社庭屋分教場が開設される。
- 1905(明治38) 1風穴完成、荒船風穴開業(蚕種貯蔵能力10万枚)
- 1907(明治40) 高山社、この頃から荒船風穴に蚕種貯蔵を委託
- 1908(明治41) 2号風穴完成(蚕種貯蔵能力70万枚)
- 1910(明治43) 田島弥平、この頃から荒船風穴に蚕種貯蔵を委託
- 1915(大正4) 3号風穴が稼働(蚕種貯蔵能力110万枚)
- 1917(大正6) 富岡製糸場、この頃から荒船風穴に蚕種貯蔵を委託
- 1919(大正8) 春秋館(荒船風穴の事務所)に氷室を備えた蚕種貯蔵庫をつくる
- 昭和初期 機械式冷蔵庫が普及し平地での蚕種貯蔵が隆盛となる
- 1935(昭和10) この頃、蚕種貯蔵所としての役目を終える
- 1939(昭和14) 蚕種貯蔵数が0となる。
- 荒船風穴を利用した養蚕多回数化
- 一化性…卵が蚕になり繭を取り、次の卵を越冬させる
- 二化性…上記過程を1年で2回する
- 多化性…上記過程を1年で複数回する
- 養蚕貯蔵能力で見る風穴トップ10
- 求められた年間を通じた原料繭の供給
- ①19世紀後半~の課題:生糸の増産に伴い、原料繭の増産も要求された
- 質の良い繭が得られる一化性蚕を使った場合、安定した養蚕は年一回
- ②夏秋期の養蚕を実現するために、蚕種が孵化する時期を調節する蚕種の冷蔵保存が工夫された。
- 自然の冷気が得られる場所に作った蚕種の貯蔵所「風穴」へ注目
- ③日本各地に風穴が造られた
- ①19世紀後半~の課題:生糸の増産に伴い、原料繭の増産も要求された
- 蚕種貯蔵の広告
- 各地から蚕種の委託を受けるために広告を出した。後、蚕種製造家も広告を出すようになる。
- 風穴以外の冷蔵施設
- 氷室、雪圍、冷蔵庫、風穴雪圍
世界ではどうなのか
風穴のような施設を利用した蚕種貯蔵は、ヨーロッパではアルプス山中で一部事例がある。中国では記録が無い。
- イタリア
- 中国
- 各省の特徴
- 一般的な蚕種貯蔵法
- 湿度性と通気性…温度、湿度とともに適切な環境を維持。また腐敗やカビのリスクが高まる可能性があるため、通気性のある袋や容器を使用して、空気の流れを確保することも重要視。直射日光によって熱せられると被害を受けるため、貯蔵場所を直射日光の当たらない場所にした。
- 適切な容器の使用…蚕種を保管する容器は蚕種が潰れたり損傷したりしないようなものを使用。また、容器内の蚕種同士が擦れたり密集したりしないように注意した。蚕種を貯蔵している間に、腐敗や虫害の兆候を確認するために定期的に点検した。
- 季節に応じた管理…蚕種の保存は季節によって管理が異なった。夏季には冷却装置を使用して蚕種の温度を適切に保ち、冬季には暖房を使用して寒さから保護した。
- 繭の需要に対し
- 伝統的産地や新興地域での養蚕による国内供給
- 蚕種の長期貯蔵場所として風穴の利用は普及しなかった
歴史的意義
- 歴史的意義
- 風穴を利用した養蚕の多回数化は日本の特徴と考えることができる。
- 疑問点など
- 講義では「鉄道、電信、郵便などの近代的制度を活用して、日本全国からの蚕種貯蔵に対応し、日本の繭増産に貢献した」と説明された。だが「具体的にどのエリアから委託されたのか」、「荒船風穴は交通の便が悪く道幅も狭い山奥にあるがどのように輸送・運搬したのか」、「鉄道、電信、郵便などの近代的制度がどのように活用されたのか」などの説明は無かった(具体的な話は委託募集の広告くらい)。「荒船風穴」というマクロ的な視点よりも日本各地の風穴や世界(イタリア、中国)の事例が主となっており、荒船風穴の具体的な内容に欠けた。日本各地や世界と比較して荒船風穴の歴史的意義を示したかったのだろうが、荒船風穴自体の話をもう少し聞きたかったものだ(※群馬県立歴史博物館の企画展講演会は質疑応答も無ければアンケートもなく一方的に講演するだけでフィードバックが無い)。