【ノート】群馬県立歴史博物館 第110回企画展講演会(3)「荒船風穴と養蚕多回数化」

ノートにとった講座の内容を整理しておくこととする。

  • 講義概要
    • 日本の養蚕は古代より年一回春季に行うのが一般的であった。だが明治時代になり生糸増産が求められ夏秋期にも養蚕を行う必要性が生じた。それゆえ冷涼な施設で蚕の卵を貯蔵し孵化の時期を調節する工夫を試みるようになった。蚕種の冷蔵保存をする施設として自然の冷気が得られる「風穴」が全国各地に作られるようになる。荒船風穴もその一種であるが、蚕種貯蔵能力は国内最大規模で110万枚を誇った。また富岡製糸場田島弥平旧宅、高山社と技術交流し、連携していた。

【目次】

第110回企画展講演会(3)「荒船風穴と養蚕多回数化」

一般的な風穴の概要

  • 定義
    • 一般には、天然の冷風が吹きだす穴またはその現象
      • ※各地にある。群馬県にはたくさんの風穴があった。
    • 世界遺産「荒船風穴」は蚕種貯蔵風穴
      • タイプ①山の斜面から吹きだす冷風を石積みと建屋で閉じ込めたもの
      • タイプ②天然の洞穴を利用したもの
  • 略史
    • 江戸中期:漬物保存(長野稲核村)の記録
    • 幕末:蚕種貯蔵(長野稲核の風穴本元)の記録
    • 明治中期:蚕種貯蔵風穴が各地で利用される
    • 明治末期:蚕種を預かって貯蔵する風穴業又は風穴蚕種業が全国展開
    • 大正中期:冷蔵庫の普及等で蚕種の委託先が多様化
    • 昭和初期:風穴業の廃業が加速する
    • その後
      • 各地の営林署管内の風穴を種子保存(発芽抑制)で再利用
      • 戦後には種子保存用風穴が新造(コンクリ造等)されたことも。
      • 長野・稲核の風穴本元では現在でも樹木の種苗の貯蔵を実施。
      • 果実保存での活用(小諸の氷風穴、佐久の入沢風穴、秋田県大館の長走風穴など)
    • 現在
      • 観光活用:文化財や公園、クールスポットとして見学
      • 貯蔵活用:販売用の酒類や漬物、農産物等を保存。家庭用の種苗、野菜、漬物、果実等を保存
      • 蚕種保存:九州大学が蚕種の保存実験。九州大学は蚕種の保有数世界一
  • 日本各地の風穴(スライドを見せられる)
    • 荒船風穴、星尾風穴、氷風穴、稲核風穴、檜原風穴、富岳風穴、富士風穴

荒船風穴

  • 自然の冷気を利用した日本最大規模の蚕種貯蔵施設
    • 「日本の養蚕は古代から年一回春季に行うのが一般的であった。しかし、19世紀後期には夏季でも低温の出る風穴と呼ばれる場所に、蚕の卵を貯蔵して孵化の時期を調節する試みが始まり、年に複数回の養蚕が可能になり、春から秋にかけて断続的に繭が生産されるようになった。荒船風穴は、蚕種貯蔵能力110万枚を誇る国内最大規模の蚕種貯蔵施設である。(中略)荒船風穴は国内40道府県(推薦書作成時の数、現在は43)をはじめ朝鮮半島からの蚕種を貯蔵し、養蚕の多回数化を支え、夏・秋の繭生産量の増加に貢献した」(世界遺産登録推薦書)
  • 技術革新・技術交流
    • 自然に吹き出す冷気を利用した最大規模の蚕種貯蔵所
    • 養蚕多回数化に貢献した近代蚕種貯蔵施設の代表例
    • 富岡製糸場が進めた蚕の優良品種の開発とその普及に重要な役割を果たした場
  • 評価ポイント
    • 明治時代、生糸増産が求められる中、自然の冷風を利用した蚕種貯蔵技術を用いて、安定した夏秋期の養蚕を可能にした。日本最大規模の蚕種貯蔵量を持った蚕種貯蔵施設であり、鉄道、電信、郵便などの近代的制度を活用して、日本全国からの蚕種貯蔵に対応し、日本の繭増産に貢献した。
      • 【疑問点】日本全国というが具体的にどのエリアからなのか。鉄道・電信・郵便の活用というが、荒船風穴という山奥で道路も狭い場所にどうやって輸送・運搬していたのか。
  • 略史
    • 1902(明治35) 庭屋千寿、高山社蚕業学校に入学
    • 1904(明治37) 庭場千寿、荒船風穴付近の調査を開始。高山社庭屋分教場が開設される。
    • 1905(明治38) 1風穴完成、荒船風穴開業(蚕種貯蔵能力10万枚)
    • 1907(明治40) 高山社、この頃から荒船風穴に蚕種貯蔵を委託
    • 1908(明治41) 2号風穴完成(蚕種貯蔵能力70万枚)
    • 1910(明治43) 田島弥平、この頃から荒船風穴に蚕種貯蔵を委託
    • 1915(大正4) 3号風穴が稼働(蚕種貯蔵能力110万枚)
    • 1917(大正6) 富岡製糸場、この頃から荒船風穴に蚕種貯蔵を委託
    • 1919(大正8) 春秋館(荒船風穴の事務所)に氷室を備えた蚕種貯蔵庫をつくる
    • 昭和初期 機械式冷蔵庫が普及し平地での蚕種貯蔵が隆盛となる
    • 1935(昭和10) この頃、蚕種貯蔵所としての役目を終える
    • 1939(昭和14) 蚕種貯蔵数が0となる。
  • 荒船風穴を利用した養蚕多回数化
    • 一化性…卵が蚕になり繭を取り、次の卵を越冬させる
    • 二化性…上記過程を1年で2回する
    • 多化性…上記過程を1年で複数回する
  • 養蚕貯蔵能力で見る風穴トップ10
    • 1 荒船風穴 群馬県 1,100,000枚
    • 2 富士風穴 山梨県 1,000,000枚
    • 3 富岳風穴 山梨県 590,000枚
    • 4 小諸風穴 長野県 442,475枚
    • 5 天城風穴 静岡県 400,000枚
    • 6 氷室穴 長野県 268,000枚
    • 7 富士龍宮風穴 山梨県 200,000枚
    • 8 紅ヶ岳風穴 奈良県 150,000枚
    • 9 風穴本元 長野県 143,000枚
    • 10 大船山風穴 大分県 120,000枚
    • 10 高千穂祖母風穴 120,000枚
  • 求められた年間を通じた原料繭の供給
    • ①19世紀後半~の課題:生糸の増産に伴い、原料繭の増産も要求された
      • 質の良い繭が得られる一化性蚕を使った場合、安定した養蚕は年一回
    • ②夏秋期の養蚕を実現するために、蚕種が孵化する時期を調節する蚕種の冷蔵保存が工夫された。
      • 自然の冷気が得られる場所に作った蚕種の貯蔵所「風穴」へ注目
    • ③日本各地に風穴が造られた
  • 蚕種貯蔵の広告
    • 各地から蚕種の委託を受けるために広告を出した。後、蚕種製造家も広告を出すようになる。
  • 風穴以外の冷蔵施設
    • 氷室、雪圍、冷蔵庫、風穴雪圍

世界ではどうなのか

風穴のような施設を利用した蚕種貯蔵は、ヨーロッパではアルプス山中で一部事例がある。中国では記録が無い。

  • イタリア
    • 「伊国にも風穴あり」佐々木忠次郎(大日本蚕糸会報236号:明治44年9月)
    • 繭の需要に対し
      • 国内産の繭で対応してきたが微粒子病を受けて繭不足に
      • 国外から乾繭を輸入し、その量は増えていった
      • 蚕種の長期貯蔵場所として風穴の利用は普及しなかった
  • 中国
    • 各省の特徴
      • 浙江省江蘇省安徽省→大部分は春蚕。農家の主業のひとつ。養蚕が終わると農事は繁忙期で夏秋飼育は物の数ではない。夏蚕には冷蔵法や人工孵化法の利用を見ない
      • 四川省山東省・湖北省→春蚕の一期、蚕種規模は副業
      • 広東省→多化性の蚕が養蚕の主力、専業で年7、8回
    • 一般的な蚕種貯蔵法
      • 湿度性と通気性…温度、湿度とともに適切な環境を維持。また腐敗やカビのリスクが高まる可能性があるため、通気性のある袋や容器を使用して、空気の流れを確保することも重要視。直射日光によって熱せられると被害を受けるため、貯蔵場所を直射日光の当たらない場所にした。
      • 適切な容器の使用…蚕種を保管する容器は蚕種が潰れたり損傷したりしないようなものを使用。また、容器内の蚕種同士が擦れたり密集したりしないように注意した。蚕種を貯蔵している間に、腐敗や虫害の兆候を確認するために定期的に点検した。
      • 季節に応じた管理…蚕種の保存は季節によって管理が異なった。夏季には冷却装置を使用して蚕種の温度を適切に保ち、冬季には暖房を使用して寒さから保護した。
    • 繭の需要に対し
      • 伝統的産地や新興地域での養蚕による国内供給
      • 蚕種の長期貯蔵場所として風穴の利用は普及しなかった

歴史的意義

  • 歴史的意義
    • 風穴を利用した養蚕の多回数化は日本の特徴と考えることができる。
  • 疑問点など
    • 講義では「鉄道、電信、郵便などの近代的制度を活用して、日本全国からの蚕種貯蔵に対応し、日本の繭増産に貢献した」と説明された。だが「具体的にどのエリアから委託されたのか」、「荒船風穴は交通の便が悪く道幅も狭い山奥にあるがどのように輸送・運搬したのか」、「鉄道、電信、郵便などの近代的制度がどのように活用されたのか」などの説明は無かった(具体的な話は委託募集の広告くらい)。「荒船風穴」というマクロ的な視点よりも日本各地の風穴や世界(イタリア、中国)の事例が主となっており、荒船風穴の具体的な内容に欠けた。日本各地や世界と比較して荒船風穴の歴史的意義を示したかったのだろうが、荒船風穴自体の話をもう少し聞きたかったものだ(※群馬県立歴史博物館の企画展講演会は質疑応答も無ければアンケートもなく一方的に講演するだけでフィードバックが無い)。

講義終了後、荒船風穴まで行ってきたのだが、見学時間が16時まででありアウト

牧場側入り口と体験館
16時を過ぎていたので閉まっていた……