【感想】学園アイドルマスター「有村麻央」アイドルコミュ1~10話を見た。

幼少期に劇団の男役として活躍するも成長期を経て女性らしくなった自己を受け容れられず苦悩する少女の話。
有村麻央はカッコイイ男装の麗人に憧れ芸能界に入り、子役時代には名を馳せた過去を持っていた。
だがしかし「小さい頃には神様がいて」とはまさにその通りで成長期を経て女らしくなってしまったのだ。
劇団は辞めざるを得ずアイドルとしても鳴かず飛ばずでJK3となり、それでも憧れにしがみついていた。
そんな麻央に対し、Pは憧れのカッコイイとは外見の事なのか?と問い、哲学的にアプローチを始める。
格好良かった過去の自分(正)と可愛くなってしまった今の自分(反)を止揚しカッコカワイイ自分を体現せよ(合)。
これがアイドルマスター弁証法である!!
こうして麻央は否定していたカワイイ自分と向き合い、カワイイの中にカッコイイがあることを見い出していく。

有村麻央のキャラクター表現とフラグ生成過程

アイマス弁証法
  • 第二次性徴により失わてしまったものを求めて
    • 有村麻央は劇団の男役に憧れ男装麗人を目指してきた女の子。幼少期はそのボーイッシュな雰囲気により自分の理想のカッコイイを体現し高い評価を受けてきた。だが第二次性徴により次第に女らしい身体つきになっていき、ついには男役を演じられなくなってしまう。劇団も退団せざるを得なかった。だが麻央はカッコイイの呪縛に囚われ、女の身体つきを受け容れる事が出来ず、アイドルとして燻ぶっていたのである。これまでに麻央に近づいた人々は頭ごなしにカッコイイを否定し麻央にカワイイを求めてきた。それ故、より一層麻央は反発してしまったのである。プロデューサーは麻央が憧れるカッコイイを肯定する所から始める。

  • カッコイイとは何か
    • 麻央シナリオで重要なのはカッコイイの定義。麻央は理想の自分を求めるあまり、王子様キャラを演じることだけに目が行きがちになっていた。それがデバフとなり本来の能力を発揮できずにいたのだ。そんな麻央に対しプロデューサーは「カッコイイとは何か」を問うていく哲学的展開となる。麻央は煩悶しながらも今一度自分と向き合いカッコイイとは何かについて考えていく。カッコイイとは外見に左右されるものなのか?カッコイイとは自分を否定することなのか?プロデューサーは麻央をしてカワイイの中にもカッコイイがあることを気づかせていく。麻央がカワイイことは紛れもない事実である。だからこそ麻央はカワイイ自分を否定しようと必死であった。だが自分を肯定出来ず否定し続けることはカッコイイと言えるだろうか(反語)。こうして麻央はこれまで否定して来た自分の中のカワイイと向き合うことになる。

  • 学園アイドルマスター弁証法
    • 幼少期に体現したボーイッシュなカッコイイ自分(テーゼ)。第二次性徴により女性らしい身体つきになってしまったカワイイ自分(アンチテーゼ)。この相対立する麻央の苦悩をプロデューサーが止揚(アウフヘーベン)し、麻央はカッコカワイイ自分を見い出すのである(ジンテーゼ)。これが学園アイドルマスター弁証法である。こうしてこれまで無理やり男性麗人を演じることにコダワリ続けていたために見えていなかったものが、次々と見えるようになっていったのである。とりわけ自分の理想を観客に押し付けるだけであり、聴衆に楽しんで貰うのを忘れていたことに気付けたのは大きかった。カッコイイとは決して外見などではなく、立ち居振る舞いや所作に現れる。カワイイ麻央は自分の中にあるカッコイイを見い出すことができた。こうしてこれまで否定して来た女らしい身体つきや、顔の可愛さを受け容れることに成功し、自分のことを肯定できるようになった。
プロデューサーによりメス顔にされていく元ボーイッシュ少女

理想の自分を押し付けるだけで観客の事が見えてなかった麻央

カワイイを受容することができたため自分を自分で肯定出来た麻央

学マス感想まとめ