物事を妹との勝負事してしかとらえられず本質と向き合えないため成長限界に至る早熟系少女の話。
花海咲季はアイドルを競技として捉え、妹に勝つための手段としてしか認識することができなかった。
そこにはファンや観客の姿など存在せず、どこまで行っても妹との勝負しか眼中にないのである。
咲季は妹を溺愛していたが、超早熟型の自分が晩成タイプの妹に追い抜かれることをいつも怖れていたのだ。
妹との関係性をシナリオのテーマの主軸に据えてしまったため、アイドル要素は希薄化してしまった。
アイマス的セカイ系とも言うべき脚本であり、最後まで咲季は妹コンプレックスを払拭できなかった。
花海咲季のキャラクター表現とフラグ生成過程



- 逃げ出した先にアイドル
- 花海咲季は入試トップで入学した期待の逸材。既に能力は完成されており、セルフマネジメントもバッチリで、鍛錬に余念が無かった。彼女は超早熟であるため、プラトーに入るのも早く、成長限界を迎えたとして見切りをつけるのが早かった。こうしてどの分野でも途中で投げ出しては新しい物へと移ってきたのである。その理由は彼女の妹の存在があった。咲季の妹佑芽は典型的な晩成タイプなのだが一度コツを掴むとメキメキと実力を伸ばし、最終的にはアッサリと姉を凌駕するのだ。咲季は自分のアイデンティティを「お姉ちゃん」であることに求めてきたため、妹に負けたら自我が崩壊する。それ故、妹に追いつかれ追い抜かれたら負ける前に別の分野へと逃げたのである。当該分野が好きなのではなくあくまでも妹との勝負の手段であるため、プラトーを粘り強く耐え、ブレイクスルーに至るまでの根気など持ち合わせていなかったのだ。
- 観客の存在は希薄であり、アイドル論とも向き合わない
- アイドルは最終的に咲季が逃げてきた所であり、妹との最終決戦をする競技の場であると考えていた。そのため咲季シナリオでは、彼女の焦燥感や妹との関係性がメインに据えられることになる。それはそれで少女の心情描写を描くもので大変結構なのだが、アイドルそのものに向き合わないまま、脚本が終わってしまった。咲季シナリオでは、観衆やファンが不在なのである。てっきり咲季が自分は観客を見ていないことに気付きそれがブレイクスルーをさせるきっかけになるのだと思っていた。だが最後まで咲季はアイドルを妹と勝負するための競技として見なすことが出来なかった。それ故あまり内容としても深まらなかった。
- 学マス的セカイ系
- 一昔前、セカイ系というものが流行った。これは舞台装置は所与のものであり究極的に言えばどうでもよく、二人の人間関係(及びその周辺)のみをテーマに据えるものであった。学マス咲季シナリオも、アイドルとしての掘り下げはあまりなく、佑芽との関係性に始終したため、セカイ系の亜種に感じられてしまった。もう少し何故アイドルでなければダメなのか、アイドルの勝ち負けって何?といったことを扱って欲しかった。これまでプラトーを突破できず負ける前に逃げ出してしまった咲季。プロデューサーは最後にトップアイドルになれば良いという育成方針。で、あるならば佑芽に負けさせて「お姉ちゃんアイデンティティ」を崩壊させ、そこからアイドルとは何かについて向き合ういセカイ系を乗り越えるという展開が求められていたのではないだろうか。








