第10話「心と体」 の感想

嗚呼、無常にも性欲はとどまることをしらない。まさにあんりみてっど・性欲・わーくすですよ。女をとっかえひっかえしてセクロスすることをもはや隠そうともしない伊藤氏の漢っぷりにヒロインたちは次々と狂っていく。純愛だの何だのってのは所詮幻想でしかないことを意識させられるね。ホモ=サピエンスという生物学的な観点からみれば伊藤氏ほど優秀な個体はそうそうないであろう。女性が孕んでいる十月十日の間に男性は性欲を抑えることなんて無理じゃない。種の保存でいえばその期間は効率的に無駄無駄無駄。現代倫理をぶちこわせ。


レイプ強姦強制猥褻罪をされながらも未だに伊藤氏を思慕するコトノハさま。彼女のむちむちとしたカラダをキープして肉慾の捌け口にしたい伊藤氏は優しくすることを忘れない。だが、伊藤氏をしてセカイだけに目を向かせしむという理想を掲げる偽善者刹那は、自分の独占欲とごっちゃにしながらも、ついに伊藤氏の口から直接コトノハ様に「要らないよ」宣告を引き出させる。これまで伊藤氏から直接の拒絶がなかったことを支えとしてきたコトノハさまは遂に精神崩壊を迎える。

そして乙女はついにセフレ以下の性奴隷へと成り下がる。伊藤氏は全ての女の膣に精液を注げれば満足なのだが、それぞれのヒロインが独占慾を突きつけてくるので、思うまま女体を貪ることが出来ないと乙女に吐露する。それをチャンスと狙った乙女は「私ならいつでもどこでもしたいときに性欲の捌け口にしていいわ、私は誠さまの性ドレイですぅ〜御主人様。」云々といって好きな男に尽くし、子種を子宮に注ぎ込まれる本能的な自己陶酔に酔いしれる。だが、文化祭のセフレ志願映像が流出してしまい公開処刑に。その映像をセカイに見られ、女の修羅場へ。

さらに、刹那までも伊藤氏に貞操を捧げる。刹那はセカイのため、嗚呼セカイのため、セカイのためといいながら、何だかんだいっても伊藤氏ラブラブふぉーえばー。フランスへ行く心残りに青春時代の一生の思い出として、伊藤氏の子を孕むことを望んでいた。伊藤氏の目がセカイだけに向けばいいと願いつつも刹那の淡い幸せは、自分は伊藤氏と接点がないまま青春に墓標を立てるということになる。せめてもの救いとして伊藤氏にはじめてをもらうことを選んだとしても不思議はないだろう(あれよ)。おもむろに扇情的なポーズを取り伊藤氏の肉慾を扇ぐのであった。


次々とオンナを食い物にしていく伊藤氏に対し、己の規制の価値観を揺さぶられていくヒロインたち。乙女と伊藤氏の公開性行為映像を見せ付けられたセカイ、伊藤氏に捨てられ第三者に強姦されたコトノハさま。セカイは乙女の情事を見て初めてコトノハ様の辛さを知る一方で、自分が乙女と同じことをしてしまったのだという背徳感に迫られる。そしてついに、発狂したコトノハさまに出会ったしまった。オンナとオンナの修羅場が今、始まる。もう、和姦乱交5Pでいんじゃね?