雑録

【史料】『大阪朝日新聞』(広島版B、1935年)における国防と産業博関連記事の整理

※作業中
とりあえず時系列順に翻刻した後、整理と分類を行う方針。

「全呉をあげて満洲色に彩る 四月、大視察団を迎え親善の催し色々」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月12日、5頁)

満洲国では協和会会員約90名と国務院総務庁情報所総務課長以下約100名の何れも同国上層階級者が4月それぞれ日本視察団を組織して来訪することになりこれを機会に呉市の国防と産業博覧会並に呉工廠を見学するが同国の呉博満洲館への出品は既報決定以外にジオラマ、宣伝用の絵ハガキ、印刷物などでこの視察を機会に呉市において(4月13日の予定)満洲国デーを開き当日は日満交歓会、満洲国政府各部提供の満洲事情宣伝映画をもつて場内並に市内映画館で宣伝活写会を催ほか満洲童子団の訪日旅程に呉、横浜、熊本の三都市博覧会見学を組入れ各地において各種学生と日満交歓をなし親善の実を挙げる計画である。

 

「愈よ廿七日 絢爛な蓋開け 呉国防と産業博」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月12日、5頁)

呉市国防と産業博覧会の開式はいよいよ27日午前10時から二河公園の第一会場内において朝野の名士3千余名を招いて盛大に挙行することになつた。定刻3発の花火を合図に参列一同着席、事務長長月方助役の経過報告、会長渡辺市長の式辞、名誉総裁浅野侯、総裁鈴木知事のそれぞれ告示があつて大臣、来賓並に協賛会長三宅呉商工会議所会頭および出品中総代の各祝辞の後祝電披露があつて閉式、午後花火3発の合図で祝宴を開き引続き会場を見学する。

 

「ようこそ!吾らが浮城陣 潜水艦先頭にけふぞ堂々入港 一年振りだ!第二艦隊 歓迎の渦まく呉へ」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年3月13日、5頁)

米内提督統率の第二艦隊はいよいよ13日午前7時、野村少将麾下第二潜水戦隊旗艦由良以下各潜水戦隊の呉入港をトツプに同9時には第四戦隊旗艦鳥海および摩耶、第六戦隊、第二水雷戦隊および第二航空戦隊赤城以下の各艦舳艪相啣んで20万呉市民の歓迎裡に1ヶ年振りで呉軍港に入港する。呉鎮守府では目下基本演習中で藤田長官が天龍に乗艦豊後水道に出動中なので同日谷本参謀長が長官代理として鳥海に第二艦隊司令長官を訪問歓迎の挨拶を述べるはずであるが、これより先第四戦隊愛宕のみは同艦隊各艦より一足先に12日正午に呉に入港した。

 

「歓迎・第二艦隊水兵さんで大賑 堂々軍港を圧して入港 海の精鋭三十余隻」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月14日、13頁)

米内中将の率いる聯合艦隊第二艦隊の精鋭三十余隻呉入港の13日、呉地方は絶好の歓迎日和に恵まれ大博覧会期を目睫に控えて市内各戸では朝まだきより国旗を掲げ全市を挙げて歓迎の喜びにひたり一年振りの艦隊入港に市内到るところ紺のセーラー服に彩られ和やかな海軍色に喜びの入港第一日は過ぎた。
 
先づ午前7時野村少将の率いる第二潜水戦隊旗艦由良以下漢潜水艦9隻は先づそのトツプを切つて静かに呉湾内にその雄姿を横たえれば続いて7時半第二水雷戦隊、同8時第六戦隊青葉、衣笠、古鷹、第四戦隊摩耶、ついで第二航空戦隊、航空母艦赤城以下駆逐隊、9時司令長官搭乗の第四戦隊旗艦鳥海は中将旗を翻しつつ入港したのを殿として海の艨艟三十余隻は予定の浮標に繋留、基本演習で天龍以下各予備艦がそれぞれ出港中のため一抹の寂寥をただよわせていた軍港内はこれら浮城の勢揃いで心強い限りであつたが
 
この日渡辺呉市長、若山市会副議長、胡署長、町口憲兵分隊長、遠藤町総代連合会長ら午前9時旗艦鳥海に米内長官を訪問して清酒を贈呈しまた10時谷本鎮守府参謀長以下各幕僚は同期間を訪問視意を表した。
 
かくて兵員は4日間の休養に訓練の翼を休め17日午後1時再び呉を出港、18日午後5時折柄の満潮時を利用して関門海峡を一気に航破、油谷湾に集合しそれより約20日間同湾を中心に各種単独訓練を行つて4月6日一旦佐世保に入港、兵員の休養を行つた上再び戦技に移り同月21日ごろ縮毛湾において解散して第一期訓練を終りそれぞれ各所属港に帰港して約1ケ月間の休養を与えられることになつた。

 

「久し振りの陸の香に胸躍る 呉市は沸き返える」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月14日、13頁)

13日に呉に入港した第二艦隊各艦は去月3日各所属港を抜錨。同5日佐伯湾に集合して第一期訓練開始以来非常時突破を目指して専ら訓練に従事したために寄港地への上陸も出港以来26日目に鹿児島に上陸したのみで今回の呉港帰港は2回目にあたりそれだけに乗組員は呉の土地の香りを一しほ喜び、懐ろもまづたんまりといつた形、入港第1日午後はそれぞれ半舷上陸をし呉鎮基本演習で上陸禁止のため寂れかえつた呉港街はこれら半舷兵5千余名の漫歩いたるところ海兵三々五々の姿で市内各商店、飲食店、カフェ、遊郭などはそれぞれ艦隊歓迎の大看板を掲げ各業者は2割から3割の割引をし。また市内二重橋、亀山橋、元裁判所の三ヶ所に設けられた無料休憩所では婦人会員や女子青年団員の茶菓の接待で市内は軍民のあたたかい情景がくり広げられ夜に入るや一層喜びと賑わいの交錯に沸きかえつた。

 

「水兵さんが氾濫 半舷上陸で足並も軽く 艦隊入港の呉軍港」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月15日、5頁)

連合艦隊第二艦隊呉入港の第24日はきのうに増した麗かな春陽に戸ごとに掲げられた国旗も春風にハタめいて海の勇士の入港を喜ぶがごとく前日に代つて半舷上陸を許された5千余名の兵員は正午から第一上陸場から第二門を潜つて市中へ市中へと足並も軽く本通中通などの目抜の通りをはじめ二河公園の博覧会第一会場付近は海兵の笑いと喜びの和やかな情景だ。市内数ヶ所の無料休憩所で婦人会員などの茶菓の接待に微笑む憲兵さんの姿も好ましいが一方正午から開かれた八千代座の呉商工会議所主催艦隊歓迎演芸大会場は立錐の余地なき盛況でワルツの舞踊に大レビュー等々目に笑い耳に楽しみの半日を過ごし夜の軍港街へ送り出される歓喜は尽きない。なほ呉鎮守府当局はじめ呉憲兵隊では13日午後から夜にわたり上陸兵で賑う市内の警戒に当つたがみだらな泥酔兵や喧嘩などは1件もなく非常時意識の反映をいづれも喜んでいる。
群悪態遠藤 呉入港の第二艦隊では呉市の挙市的歓迎に副うべく16日午後6時から東本通小学校講堂において同艦隊軍楽隊の演習会を開催することになり市民一般の来聴を歓迎している。

 

「見学者を制限 呉工廠」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月15日、5頁)

呉市の博覧会見物に多数の人が入込みそれを機会に呉工廠を始め海軍部内を見学せんとする人々も多数あることを予想されるので呉鎮守府ではこれが取締につき去る9日部内関係者を集めて協議したが大体の方針として海軍知識普及のためにも見学希望者には出来得る限り便宜を計ることにしているが呉工廠は目下仕事が輻湊し能率の上にも関係するところがあるので、したがつて見学者も制限を受け大体1日に1000名乃至1500名限り許可する方針である。またこれら見学者に備えている軍港案内所も現在の人達では到底応じ切れないので2、30名増員して万全を期するはずである。

 

「西からも手を伸ばし『最後の握手』へ残るは僅か16キロ余」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月21日、13頁)

呉線のうち東から伸びた鉄路は内海町まで届いたが、この24日から西からも初めて呉を起点に広工廠の広まで僅か6キロ8ながら手を伸ばす。三呉全線のうち残るは16キロ余、いよいよ最後の握手の場面も近づいてきたわけである。
 
呉線の呉駅は終点としての存在であつた。それが広まで伸びる。ちよつと勝手も違つてくる。それに国防と産業博も近づき毎日数万のお客を呑吐しようというのだから、きょうこのごろ呉線も念入りにお化粧を施し、フオームを継ぎ足すやら室の模様替をするやら忙しいことである。ご覧の通り貧弱にして旧式ながら陸橋も出来た。鉄路開通記念の一つである。
 
呉駅を出て呉トンネルにさしかかるちよつと手前、海軍第一門の通路と上下に交叉して列車は走る。車中から見れば右は海軍構内、左は呉の繁華街本通筋を眼下に見る(そんなでもないが)市民はここを高架と称す。成程と思つているうちにもう汽車はトンネル内に入るのである。

 

「わが海軍の至宝を集む 空前の出品揃ひ 輝く呉博の誇り」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月21日、13頁)

呉国防と産業博覧会の中心をなす第二会場の国防部については去る5日来呉海軍の手で着々準備を進めているがかねて呉鎮守府から出品すべきもののうち海軍省の認可を要するものについては本省へ申請中であつたが20日伊号第21号潜水艦、同第22潜水艦の両模型を除くほか全部申請通り許可する旨入電があつた。同博覧会については海軍当局も時局柄海軍知識普及に絶好の機会として全幅的の好意を寄せてをり右出品物中には今回新たに作製したもの。いわゆる門外不出にしてかつて一般に御目見えしなかつたものなど多数あり総数300点を超ゆるほどで質的にも量的にもかかる出品が約束されたことは恐らく呉海軍空前のことで博覧会を一層意義づけることとなつた。

 

「輝く産業日本と豪華我が軍国の全貌 粋を集め装ひ凝らす二会場 あす・呉博ひらく」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月26日、5頁)

昭和10年の非常時突破を意義づける呉市の国防と産業博覧会はいよいよ明日27日午前10時から第一会場内で行われる開会式と共に花花しくその絢爛、豪華の絵巻を繰り広げることとなり二河公園の第一会場、川原石海軍埋立地の第二会場とも装いを凝らして東洋一を誇る軍港街に賑々しくデビューせんとしこれがため去来する外客に備えるため本会、協賛会を始め門鉄、広島運輸事務所、呉駅など各代表者は一同に会して既に観光客誘致に万遺漏なきを期し大阪商船会社もこれに和して旅客輸送サーヴィスに奉仕的努力を捧げ呉市内博覧会場内沿道各町ではそれぞれボンボリ、飾り花など花やかに軒並みを賑わし今や開場を待つばかりとなつた。第一会場は正門を潜れば中央に我が国産業の精華を一堂に集めて大観せんとする産業本館を主体とし呉市の生産向上を期する郷土産業館を始めとし満洲、台湾、朝鮮の各特設館、目を転ずれば門外不出の宝物に一驚を禁じ得ない本願寺館、リンゲンス冒険曲技、一般余興等産業の殿堂は一堂に会し、一方第二会場には海軍省、呉鎮守府の絶大なる後援による近代海戦の最新式科学兵器、軍需品等世界を驚倒せしめる我が海軍の偉観をそのままの海軍館を始めとし陸軍館、水族館、軍事記念館等会場の正面を埋め各種の売店に続いて目も醒めるばかりのラジオ電器館、国防戦史パノラマ館が海岸にその純白な装いを輝かして非常時国防博の名を遺憾なく発揮しているが当日第一会場では朝野の名士3千余名を招待して盛大なる開会式を行い月形事務総長の経過報告、渡辺会長の式辞に次いで名誉総長浅野侯の告示、総裁鈴木県知事の告示、各来賓の祝辞に次いで陸海軍、商工各大臣をはじめ地方有志の祝電を披露して45日間にわたる大博覧会の前途を祝福することになつている。

 

「絢爛・花と競う 近代文化の誇り 廿一万市民待望の日来る きょう栄えある開会式」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月27日、5頁)

21万呉市民の待望の国防と産業大博覧会の日はいよいよ来た。陽春に輝く今27日午前10時二河公園第一会場内は開会式の会場に紅白の幔幕を張り巡らしこの光栄ある挙式を待つて集う人々の胸には喜びと感激は尽きず数十万の外客を呑吐せんとする呉駅は三呉線呉、広間の開通とともに各施設の増設も成り協賛会肝煎りの案内所は同駅前に設けられた歓迎大アーチと唯喜びの良きコントラストをなし団体見学者の申込みも既に10万を突破し市内各旅館業者は勿論寺院学校をも動員してその収容に万遺漏なきを期し市内接客従業婦の外客サーヴィスは至れり尽せり唯々人の足の運びを第一会場へ、第二会場へと招いている。
 
かくて第一会場は27日当日は開会式の都合で一般入場を午後1時、第二会場を午前10時からとそれぞれ決定しているが第2日の28日からは両会場共一般入場は午前8時から午後5時まで、夜間入場は花に喜ぶ4月3日から同17日まで午後6時から4時間で夜桜客の人の出足に場内外は一入の歓楽境と化すであろう。場内各余興場の会場時間を調べていると協賛会経営の演芸館が28日から午前11時から午後1時までと午後2時から同4時までの2回公演のほか世界的曲技リンゲンス、海女館、教育パノラマ館、子供の国等開場と同時に適宜の時間にその演技を公開し一方第二会場は呼び物の水雷爆破、魚雷発射に一驚を禁じ得ないが、その公開時は水雷爆破(平日)午前10時半、午後2時半、同4時半の3回、(日曜祭日)午前10時半、正午、午後2時半、同4時半の4回、魚雷発射(平日)午前10時、午後2時、同4時の3回、(日曜祭日)午前10時、同11時半、午後2時、同4時の4回と約束され、更に地方人に取つて最も珍らしい軍艦矢矧の拝観については毎日午前9時から午後3時半までとし午後2時半陸発が最終で拝観場所は中甲板以上とされ艦内は靴、草履とし下駄の使用は遠慮されたいと。

 

「軍港の春を飾る 国防と産業の絵巻 非常時に直面し人気沸く 呉博きのう幕開け」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月28日、5頁)

春光うらら、二河公園の桜花も今まさに笑みかけんとしている。野に街に一陽来復、行楽の絶好シーズンを迎えて呉市主催国防と産業博覧会は27日の盛んな開会式をもつてその豪華絢爛なる幕を切つて落した。この日は恰も我帝国が国際連盟の羈絆より全く離脱しいわゆる自主独往、東洋平和の盟主として邁進せんとする意義深き日で「国防と産業」の名を冠して開かれたるこの博覧会の目的も実に非常時局に処する国民の覚悟を促すものにほかならず、東洋一の軍港を擁するこの地に開会したるはまことに時と所宜しきを得たものというべきであろう。殊に第二会場の心臓をなす海軍館は地元だけに海軍側も力瘤を入れ、その出品物は空前のものといわれ現勢はもちろん既往にわたる我が光揮ある帝国海軍の縮図を見る如き感がある。桜花に魁けて咲く「国防と産業博」35、36年の危局面に起つ国民の見のがしてはならぬ催しの一つであろう。

 

「花に魁けこの賑い 知名の士、四千名を集めて きのう盛んな開会式」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月28日、5頁)

呉市国防と産業大博覧会開会式当日の27日呉地方には陽春にはやや薄ら寒いが照らず降らずの絶好なる開会日和にめぐまれ市内の各街に交叉して掲げられた祝賀の大国旗はまたこよなき喜びの表象である。市街は隈なく紅白の幔幕や雪洞の飾物などをはじめ、戸毎にひらめく協賛旗も非常時に魁けた軍港呉の春に相応しく、第一、第二会場からは祝賀の花火が終日間断なく打揚げられてこの歓びの第一日を祝福した。かくて第一会場内野外劇場前の開会式場はテントを張めぐらし、祝宴場も整然と整えられて定刻に至るを待つや午前10時轟然と春空に轟く花火三発を合図に一同着席すれば居並ぶ来賓として
 
内務大臣代理鈴木本県知事、商工大臣代理山本商工事務官、藤田呉鎮守府司令長官、第五師団長代理三浦参謀長、満洲国実業部大臣代理石坂商工事務官、前総裁湯澤兵庫県知事、本願寺執行長代理上原枢密部長その他柴広島県会議長代理、岡田広島市長代理、山縣広島商工会議所会頭、水野呉市会議長、三宅呉商工会議所会頭ほか陸海軍高官地方の名士など4千余名が粛然と参列、かくて一同起立裡に呉海軍軍楽隊の吹奏裡に式が始まり中山協賛会副会長の開会の挨拶についで月形事務総長の経過報告、渡辺会長の式辞、名誉総裁代理の告辞、鈴木総裁の告辞に次いで内務商工両大臣代理の祝辞があり、呉鎮守府長官、第五師団長代理、満洲国実業部大臣代理、兵庫県知事、東本願寺執行長代理、門司鉄道局長代理、協賛会長、出品人総代その他来賓多数の祝辞があつてのち大蔵大臣ほか各府県道庁などの120通の祝電を披露し、足利協賛会長の閉式の挨拶があつて式を終り
 
花火三発を合図に盛大なる祝宴が開かれ呉検芸者のサーヴィスに一同花やかな同博の門出を祝し博覧会の万歳を三唱して11時半終了、これより来賓各位は同博各部長の案内で我国産業の精華を集めた産業本館を始め第一会場内各艦並に第二会場各艦をそれぞれ視察して45日間にわたる同博の第1日を意義あらしめた。なほこの日本社では左の如き祝辞を贈つてその成功を祝した。
 
呉市国防と産業博覧会の開会式を祝し御盛会を祝す
大阪朝日新聞社長 
上野精一

 

「華麗な構成美にまづ眼を奪う 完備するのはニ、三日後 会場一巡記」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月28日、5頁)

栄えある開会式を無事終了した呉市国防と産業博覧会の二河公園における第一会場は午後1時から一般の入場を開始しその壮麗豪華を誇る近代文化の一大殿堂は広く一般にくり展げられた。
 
【第一会場】
まづ正門を潜つて純白眼のさめるばかりの噴水塔を廻つて数十尺の塔屋に輝く産業本館に入れば3府25県12市のほか北海道樺太、南洋漁業全日本の特産品を網羅し出品陳列を全く終り同館の左右にはいづれも五百坪にあまる郷土産業館、軍需工業館がいづれも新興都市呉の優良生産品と驚異的軍需工業品がこれまた滞りなく出品を了し協賛会経営の演芸館は早くも鳴物賑かに呉券芸妓総出演、羽田歌劇など各種新作演芸に歓楽の曲を奏でている。
 
一方華美艶麗な極彩色を誇る朝鮮館は建物だけで内部は整はないが他の満洲館、台湾館、体育館、農林水産館、観光館、拓殖館などはいづれも完成。世界的極美リンゲンスも準備全く成つて初日第一番午後2時半その妙技を公開して観覧者の肝を冷やしたが子供の国はまだ8分通りの出来ばえといつたところ。

また猟奇的な海女館は開場までになほ1両日を要するであろう。場外各売店はところどころ開店した程度で全部出揃うまでに数日を有するだらうが場外各興行物は殆ど完成。

【第二会場】
呼物の海軍館は9分通り完成、陸軍館、航空館、軍事記念館などは全部完成している。ラジオ電器館はまだ内部がごたごたして開店はしたが商売にはならぬといつたところ。世界一周館は目下工事中総じて9分方の竣工程度といえるが立つべき塔が立つておらず周囲の板囲いがむき出しにされているのは場末の興行場めいていて淋しい総体的外観内容とも揃うのは4月に入つてからであろう。

 

「花は吃驚仰天!霙交りの雨が降る 街は祝賀花火で景気づけ 呉博たより」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月29日、5頁)

喜びの開会式に27日花々しく蓋を開けた呉市国防と産業博覧会第二日の28日呉地方は綻びんとする桜の花に背いて気温低下し朝来春雨とは思いもよらぬ霙まじりの雨が降り頻り怨みの雨をかこつて一抹の寂しさを禁じ得なかつたがそれでも祝賀の花火は間断なく打ち揚げられ午前8時の開場を待つて雨にもめげず三々五々場内を見学する観客の姿も博覧会に景気を添える情景であつた。
 
第一日の27日第一会場は開会式の都合で午後1時、第二会場は午前10時、それぞれ一般入場を開始したが、両会場とも前売券入場者を別として愛媛県松前町出荷組合員130名、三田尻小学校生徒180名をはじめとして1会場3団体、2会場4団体、その他個人入場者を合わせて両会場合計3500名に達し幸先よき同博の門出を喜びあつた。

 

「雪崩れるお客 初日から増収で大喜 転手古ひの呉駅」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月29日、5頁)

呉市の国防博へ、産業博へと三呉線を通じて呉駅から送り出される観光客は第一日の27日から夥しい数で同駅前に設けられた協賛会案内所もてんてこ舞いの喜び。案内に接待に大童になつているが27日の同駅における乗降客を調べて見ると日ごろより増加しまづ乗客では合計5955名で昨年の同日より1019名の増。降車客はさすがに博覧会見物客の流れで賑い、合計9899名で4588名の増。旅客収入では3395円で557円、小荷物発着では1819円で220円のいづれも増加を見、駅員もほくほく喜んでいる。
 
なほ同駅では同博覧会の混雑に備えるため28日午後1時から駅構内自動車業者ならびに人力車業者を集めて毛利駅長から諸般の注意を与え、親切丁寧をモツトーに暴利取締、秩序の統一、諸車置場の一致などにつき万全を期することになつた

 

「絶好の行楽日和に雑踏する人の波 地方団体もぞろぞろ入込む 呉博・殆んど完成」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月30日、5頁)

呉市国防と産業博覧会第二日の28日は冬を思わす寒気に終日雨に祟られ景気を気遣われていたところ予期に反して団体客や一般個人入場者達が第一、第二両会場に傘の行列を作つて続々押しかけ第一会場は普通団体3、小学校生徒4団体、第二会場は普通団体1小学校7と他の一般入場者を合せて5千余名に上り、第一日の27日より1500余名の増加を来したが同博第3日の29日もやや肌寒を感じたが雲の間に間に陽春の陽ざしを見せ日中は絶好な行楽日和に市内各町のデコレーシヨンも全く成り、地方から入込む団体客が市内を右往左往するのも喜ばしい情景で、第一、第二両会場とも非常な人出て各館出品陳列も殆ど完成、各興行物を賑わすジンタの音も場の内外から歓楽の楽を奏でて同博の賑わいも漸く本格的に入らんとする。
 
なお呉線では31日の日曜日当日は団体客の激増に備えて上り下り各一本の臨時列車を増設するほか、各車両をそれぞれ増結して旅客運輸の円滑をはかることとなつた。

 

「賑う軍港街の春宵を通り抜く 徳島から60人招き 呼び物 武者をどり」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、3月31日、5頁)

呉市国防と産業博覧会を機会に軍港街を踊りの歓楽境化せんとする協賛会肝煎りの徳島の阿波踊り取り入れた武者踊りはいよいよ用意万端を整え31日から4月3、7、9、12、14、17、21、25、29、5月3日の11日を徳島県人60名一行と別に呉券芸者、女給らが揃いの長襦袢に鼓、笛、太鼓、三味の鳴物も賑やかにデビユーすることになつたが同踊りは毎日午後8時花火3発を合図に商工会議所前に集合、本通1丁目から13丁目に出て朝日遊郭内を廻つて蔵本通に出で更に二重橋から神田町、稲荷町を経て第一会場へと繰込むはずで夜の軍港街はまた一段と賑いを呈することであろう。

 

「きょうから夜間開場 呉博の催し」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、4月3日、13頁)

呉市の国防と産業博覧会が漸く本格的賑わいに入つたが、今3日から16日まで夜間開場(入場料10銭、子供半額)を行うことになつている。午後6時から同10時まで第一会場内に観光館、野外劇場、演芸館、子供の国の4つを公開するはずで場内は昼を欺く電飾ネオンなどで飾り立てられており場内の桜も漸く咲き誇らんとしているので見物がてらの入場者も殺到するものと見られている

 

「人の大雪崩だ!身動きならぬ呉博 絶好の快晴に恵まれた3日夜間開場も始まる」(『大阪朝日新聞』広島版B、1935年、4月5日、5頁)

呉市国防と産業博覧会最初の旗日3日は7分咲きの桜とともに絶好の快晴にめぐまれて各地から押寄せた団体は汽車に船に自動車に徒歩に人、人、人の大雪崩だ。香川、愛媛、高知の四国路から遠く西は大分、宮崎、東は大阪方面から更に山陰の裏日本から呉博めがけて集まつた観覧者は5万人を突破し、団体客だけでも第一会場45、第二会場13、合計約60団体を受付け、各館とも身動きも出来ず悲鳴を上げる有様で、ことに夜間開場も同日からはじまり午後から崩れかけた天候で夜寒にも拘わらず50万人の入場を算え、海軍側では殺到する観覧者のため特に軍港案内所の現役案内兵を呉駅前に増員、呉博団体係でも川原石波止場の案内人を増員するする(ママ)など上々吉の喜びに軍港街を挙げて非常な賑いであつた。

 

「近く台湾デー 呉博で催す」(『大阪朝日新聞』1935年、4月6日、5頁)

呉博第一会場内では近く台湾デーを催すべく目下計画中であるが今秋台北で台湾大博覧会が開かれるので資料蒐集を兼ね国防博視察のため台湾博覧会の総務部長(台湾総督府商工課長)須田一二三氏は加藤技師とともに4日朝来呉。第一、第二両会場を視察し5日午後呉駅発上京した。

 

「吾らが海軍をカメラに「海国大日本」」(『大阪朝日新聞』1935年、4月6日、5頁)

海軍省後援の映画「海国大日本」に出演のためJOトーキーの阿部監督ほか俳優岡譲二、江川宇礼雄、高木永ニその他一行36名は5日海軍兵学校生徒の生活状態その他を撮影したが、6日は午前10時半から呉軍港にて天龍の登舷礼式、午後は第十四潜水隊の呉入港の模様をカメラに納めるはず

 

「きょうは書入れ さくらも八分咲き 呉博は大賑いか」(『大阪朝日新聞』1935年、4月7日、13頁)

呉博覧会は開会既に旬日を過ぎ桜もまさに八分咲きここ3、4日が見ごろで6日は絶好の快晴にめぐまれて入場者約1万2千人を算したが今7日の日曜日は小雨模様という呉鎮守府観測所の話ではあるが夥しい人出も想像に難くなく同博団体係で受付けた団体申込者だけでも1730名で、申込みせず入り込む地方団体客は約3倍に上ると見られ家族づれで一人歩きに7日はまた日ごろに増した一段の賑わいを呈するであろう。

 

「護国の英霊の卅周年慰霊祭 来る五月一日から呉海軍の記念催し」(『大阪朝日新聞』1935年、4月7日、13頁)

日露戦役30周年を迎え我が海軍では記念日たる5月27日を中心に講演映画のほか各種催しにより記念日を祝福するとともに一面海軍思想の普及をはかるべく計画中であるがこれにさきだち呉鎮守府では管下二府15県下の海軍将士の中護国の鬼と化した勇士のため5月1日盛大な30周年慰霊祭を執行し、また2、3、4の3日間にわたつては管下の在郷軍人会海軍部の部長を集め軍事講演、同兵事官会議を開いて志願者募集、その他徴募事務につき協議するはずで更に同月9日から3日間全国女子青年団指導員の軍事講習を開く予定でこの種の催しは我が国最初のしかも大がかりなものであるが都市青年団員に我が海軍の正確な知識を付与せんとする企てで当局では具体的の計画を進めている。

 

「七万を突破 呉博の雑踏」(『大阪朝日新聞』1935年、4月9日、13頁)

呉博覧会開会第2日目の日曜7日は薄ら寒い数日来の天候も全く吹き飛ばされた形で本格的の朗春に観測所の天気予報を見事に裏切つて上々の快晴、正に満開の桜に誘われて出るわでるわ人の波、同博覧会第一、第二両会場の入場者は合計7万を突破し会場内はいたるところ花と博覧会観賞の喜びの二重奏が奏でられ開会以来レコード破りの人出に全市をあげて軍港の春を謳歌した。

 

「童心の堅き握手に結ぶ親善の契り 友邦満洲童子団を迎えて 呉で盛んな交歓会」(『大阪朝日新聞』1935年、4月10日、5頁)

満洲童子団一行24名は12日午前10時22分着列車で来呉。呉鎮守府工廠、海兵団などを訪問して挨拶を述べて後博覧会第一、第二両会場を見学、午後6時10分から常盤軒で開かれる歓迎晩餐会に臨むがこの友邦童子団を迎えて呉市では同日午後3時半から二河公園の第一会場内音楽堂において歓迎交歓会を開くことになつた。まづ呉市連合少年団副団長三宅清人の開会の辞ののち国家合唱、日満国旗掲揚式がありつづいて日本連合少年団連盟理事の挨拶、呉連合少年団長渡辺市長の歓迎の辞、同連合少年団健児代表の歓迎の辞に対し満洲童子団連盟理事ならびに同童子団健児代表のそれぞれ謝辞があつてのち日満健児代表の握手により両国童子親善の契りを結んで国旗降下式を行うて意義深き行事を終るはずである。

 

満洲童子団 今日来県 広島、呉を訪問し厳島に一泊休養」(『大阪朝日新聞』1935年、4月12日、13頁)

満洲童子訪日団団長以下21名は12日午前5時35分広島駅着来県、駅頭で市内少年団代表の歓迎をうけて交歓、その案内で桜花こぼれる比治山公園招魂社、第五師団司令部などを訪問の上同9時31分同駅発、呉に向い軍港を見学し博覧会を見物して同志少年団と交歓、午後7時46分呉駅発、同夜は厳島に一泊、13日神社参拝、観光休養の上、同夜9時海路別府に向う予定である。

 

「日満代表の堅き握手 呉で盛大な交歓会」(『大阪朝日新聞』1935年、4月13日、5頁)

満洲童子団一行24名は日本訪問の途魏団長引率の下に12日午前10時23分呉駅着列車でいづれもスマートなボーイ・スカウト姿で呉の地に第一歩を印した。駅頭には月形助役、小田教育課長、三宅呉連合少年団副団長を始め同少年団健児などの出向えを受けて先づ呉海軍工廠を見学後、藤田呉鎮守府司令長官を訪問して挨拶をなしそれより呉博覧会第二会場を見学、午後3時半から二河公園の第一会場内音楽堂の歓迎交歓会に臨んだが当日は一般入場者もこれに参列して非常な盛況を極め、日満健児代表の固き握手に親善の麗しい契りを結び意義深き行事を終了した。

 

「今年初めて 天童子礼賛舞 呉工廠鎮魂祭」(『大阪朝日新聞』1935年、4月18日、5頁)

呉工廠では来る21日の呉デーに当り呉市国防と産業博覧会第一会場内招魂碑前で午前8時半から仏式により本年度同工廠殉職者招魂祭を執行すること既報の通りであるが、当日の次第は
 
先づ昨年度中の殉職者の合祀式が執行され次いで招魂祭に参るが同祭は時局柄特に盛大に行う事になり本年初めて荘重な音楽に合わせて天童子が礼賛舞をまうことになり松下工廠長祭文朗読、焼香、導師講演、廠長の遺族に対する挨拶があつて終了する予定である。