E.コールドウェル『タバコ・ロード』(岩波文庫)

第一次世界大戦後、急速に近代工業に転換を強いられた南部の農業問題が題材。
ジョージア州の荒廃した一地方における「プア・ホワイト」が近代産業主義の圧迫に悲惨な敗北を舐めながら、しかも見込みのない異常な、それ故に悲劇的な希望をもって土地に執着する姿を、ユーモアと性描写を交えて描いている。

◆主な登場人物

  • ジーター:主人公。先祖伝来の土地に縛られ旧式農業に固執する
  • エーダ:ジーターの妻。複数の男と関係を持っていた。
  • デュード:風来坊。ジーターの死後、残された土地に執着する人物。
  • エリー=メイ:兎口であるために独り者。パールに逃げられたラヴとくっつく。
  • パール:エーダといきずりの男の娘。ラヴと結婚するも都会に憧れ逃走。
  • ベッシー=ライス:修道女。年端もいかないデュードとフォードを出しに結婚する。
  • ラヴ:石炭夫。都会に憧れるパールに逃げられてしまう。

◆感想
旧式な慣習に囚われる姿を描いているがその点に興味を惹かれた。この作品では意味のない"焼畑"を「プア・ホワイト」たちは先祖代々がやっていたからという理由のみで行っている。この"焼畑"は寧ろ生産においてマイナスになってしまっているのだが、それでもやめようとしない農民の無知を表しているらしい。だが、第三者的な立場でみれば意味のない焼畑であったとしても「プア・ホワイト」たちには意味のあるものだったのであろう。近代産業の効率化のなかで流されざるを得ない慣習というものには少し寂しさを感じる。


最近流行の妖怪マンガでは、伝統や慣習を軽んじた都会民や農村共同体の中で崩れ行く行事などが描かれている。それは決して"昔は良かった"という懐古主義的なものではく、時代の変遷の寂寥を表している。近代産業的な立場から見れば、日本の伝統行事や慣習も非効率なものであろう。例えそれに意味があったとしても流されざるをえない。それは仕方がないことだ。


「変化というものは哀しいのでなく、変わらなければならないことが寂しいだけなんだ」と国崎行人さんはいっております。