現在教育現場で使用されている国語教科書を見てみると、全ての教科書における記述が橋本文法のみで画一化されている。これは平成12年に全ての教科書において橋本文法が採用されたことによる。学習指導要領で文法を規定しているのは「言語事項」であるが、この「言語事項」が新しい学習指導要領から「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」に変更される。この「伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項」は、神話を教えたり、古典を暗誦させたり、日本人としての意識を統合することを要請している。この観点から見てみると、学校文法は、橋本文法(伝統的・通時的)により、文法を画一化(機能的・共時的)して国民統合の一翼を担っているといえよう。
何故、このような国家主義的な新保守主義に陥ってしまっているかというと、裏には新自由主義によるグローバル化がある。新自由主義による規制緩和・国際化は、非正規雇用を生み出し外国人労働者を流入させ国民の帰属意識を希薄化させる。つまりは教育が、格差社会を固定する見えない暴力を再生産し、国民の不満をそらし、再統合させ、隠蔽を行っているのである。ちなみに国語科の場合では、究極的な目標が「国語を尊重する態度を育てる」である。ではなぜ「国語」がこのようにナショナリズムの装置なるのであろうか。それは「国語」が元々国民国家における統合の装置としての機能を有していたからだといえる。ここでは橋本文法が現代においてどのように国民統合の装置として使われ、ネオナショナリズムの装置になっているかについて調べようと思う。
参考文献メモ
橋本進吉の国語思想
国語ナショナリズム
- イ・ヨンスク『「国語」という思想』岩波書店 1996
- イ・ヨンスク「「国語」と言語的公共性」三浦信孝,糟谷啓介編『言語帝国主義とは何か』藤原書店 2000 所収
- 亀井孝他『日本語の歴史. 6 』平凡社 1965
- 京極興一『「国語」とは何か』東宛社 改訂版1996
- 駒込武『植民地帝国日本の文化統合』 岩波書店 1996.3
- 長志珠絵『近代日本と国語ナショナリズム』吉川弘文館 1998.
- 小森陽一『日本語の近代』 岩波書店 2000
- 安田敏朗『帝国日本の言語編制』 世織書房 1997
- 安田敏朗『近代日本言語史再考 : 帝国化する「日本語」と「言語問題」』三元社 2000
- 安田敏朗『脱「日本語」への視座 』 三元社 2003
- 安田敏朗『統合原理としての国語 』 三元社 2006
国語教育・日本語教育・文法教育
- 教科研東京国語部会言語教育研究サークル『文法教育』麦書房1963
- 市川孝『国語教育のための文章論概説』 教育出版 1978
- 野田尚史「日本語教育と文法」 多和田眞一郎編『講座・日本語教育学 ; 第6巻』 スリーエーネットワーク2006 所収
- 中村春作「日本文化をどうとらえるか」 水島裕雅編『講座・日本語教育学 ; 第1巻』スリーエーネットワーク 2005 所収
- 中村春作「日本語教育と国語教育」水島裕雅編『講座・日本語教育学 ; 第1巻』スリーエーネットワーク 2005 所収
- 安田敏朗「植民地教育と文化の問題」水島裕雅編『講座・日本語教育学 ; 第1巻』スリーエーネットワーク 2005 所収