橋本進吉の国語教育における文法観

現在の中学校国語教科書において採用されている橋本文法。様々な学説から活用系や語幹の取り出し、活用語尾について批判がなされている。では、橋本進吉自身はそのような欠陥に気づいてなかったのだろうか。結論を先に述べれば、橋本進吉自身も国語教育における文法の欠陥に気づいていたものの、無理に合理化するよりも伝統に従うことが良いと考えていた。

国語教育に於ける文法の欠陥

国語教育で取り扱う言語は、現代の国語としては標準語及び各種の文語であり、過去の国語としては各時代の文語である。これ等の諸言語の一つ一つにそれぞれの文法があつて、それらが互いに違っているのであるが、標準語と口語文とは大体に於いて一致するところが多く、文語文と過去の国語とも似たところが多いために、普通は国語文法と文語文法とに分けて、之を説いている。しかし微細な点に於いては、口語文と標準語との間にもちがひがあって、口語文は時として文語式の形がまじえ用いられる。又、現代の文語文法は、古代の口語文の文法が基礎となつているのであるから、大綱にいては、古代語の文法と一致しても、やはり互いに違った点があるのであり、その上過去の言語は現代による変化があって文法も時代的に違っている。そういうものを一緒にして口語文法または文語文法として説くのが普通であるために、そこに幾分の混雑と無理が出来るのはやむをえない。その上、口語文法と文語文法とを同じ組織で説こうとするためにも、また無理が生じることがある。例えば、口語の動詞形容詞では、終止形と連体形では何時も同じ形でそれを分ける必要はないのであるが、文語文では形を異にするものがある為に、これを分けるなどその例である。