二 国民代表制と議会政治の相剋
- 「全国の衆民を代表する者」
- あるべき国民とは
- 現実の議会
- 19世紀型代議政治
三 愛国心とナショナリズム
- 愛国心のナショナリズムによる挫折
- 日比谷焼き討ち事件:有産者層中心の公民的社会と国民的一体化を阻害する政府への反逆の意味を含んだ国民化に向けての作法
四 代表論のゆらぎ
- 輿論と世論の剥離
- 政治社会の構築をめぐるイデオロギー対立
五 国家利益の大衆化と国民社会の再編
- 臣民的献身の強制とナショナル・アイデンティティの自覚
- 日露戦争では、国家は国民に向かって臣民の献身的義務を愛国心の発揚の名のもとに引き出そうとした →逆に国家が献身義務を果たした臣民に対して国民としての利益を保障しなければならない根拠を与えることになった →国家による強制的な臣民化を通じてナショナル・アイデンティティが自覚化された
- 戦争は国民としての利益要求の主体を輩出するという意味において国家にとって諸刃の剣
- 日露戦争以後、国民の生活保障を地方自治体が担うべきだとする世論の強大化 →地方自治体の最も重要な役割は「市民の和楽」、すなわち国民生活物心両面の慰安の保障
- 国民社会を所有・財産というカテゴリーで認識するのではなく多元的な原理で構成される社会として認識し、その国民生活全般の保障を行政課題 =国民社会をnot既得権保有者の社会としてみる視点 but消費者の社会として見る視点 =個人の生産能力に個人の生産能力に制限があるにもかかわらず、その個人の欲望はあらゆる生産を前提として成り立つ総合的消費単位である事実の発見と同義
- 人間の綜合的消費単位としての家族
六 消費者民主制の形成
- 普通選挙制
- 代議制の枠組みにありながらも、多元的代表論のパースペクティヴを内包していたのが普選。
- 普選への移行の要因
- 市財政に占める租税収入の割合が市営事業などの展開によって相対的に減退、市の財政負担者は地方有産者ではなく、行政に対する消費者たる市営事業の利用者へとシフト →市は有産者だけでなく広汎な消費者の負担を不可欠にして成り立つ構造を持ち始める
- 納税者以外には選挙権を付与しないという理由は合理性を持たなくなる →同時に国民というものが、行政が提供するサービスを欠いては存立しえない消費者を意味するようになる
- ∴国民の政治意識の活性化(普選運動)ゆえ普選が必然化されたというよりも、地方自治体が「団体成員たる住民の消費的需要を充足すべき機能を有する」にいたったという実体ゆえ普選が必然化 →男子普選実施以降投票率は低下の一途、国民の政治離れがますます問題化 →こうして、消費者民主制としての普通選挙制は成立
- 消費者民主制
- 普通選挙制の成立 →制度的な政治参加の拡大であり、政治参加へ向けて国民の主体性が発揮されたわけではない
- 国民と政治との隔絶を前提に、国民の生活上のニーズを行政に訴えるという構造をいかにつくるかという意図 →国民を代表する政治機関に民意を全権委任するのではなく、国民のニーズをありのままに代弁する地域組織に育成を模索するもの
- デモクラシーは、民意の調達というものによって"政治が我が意によって変革可能である"との信念の成立のことを意味するのではなく、政治が我が意を超えた存在であることを前提に、そこからいかに我が利を得ることができるか、そのための技術となる。
七 国民の市民化
- 大衆ナショナリズム
- 都市的でモダンな国民生活への欲望が高まることは、確かにその欲望を満たしてくれるべき国家への所属意識=ナショナル・アイデンティティを増幅させ、その欲望を満足させてくれる限りでの、公権力としての国家の存在意義を承認し、戦時などでは国民はこのような国家と一体化する泡沫的リアリティをもった
- いかに消費者としての国民のニーズを行政が掌握するかという課題となり代議制は相対化 →政治離れはするが、モダンな生活への欲望だけは旺盛になる国民が増大 →立憲制の文脈からも、 国民化(「客分のままの国民」)という文脈からも見直されるべき国民の在り方 →新たに国民概念の更新が要請
- 市民化運動
- 都市住民の愛市心と公共観念を涵養しようとする試み
- 社会的要請 1)都市の人口的・空間的膨張が大都市なみ行政サービスを欲する人の急増であると同時に、「市の土地に何等の愛着心有せざる」都市住民の増大であるという危機意識社会的に醸成されたこと
- 大都市が文化的な教養・娯楽施設の整備に勢力を注ぐ理由;消費生活たる「余暇活動」を利用して都市住民の「知能徳操の啓発善導」を行い、文化的施設を擁する地方自治体に対する愛市心を養成する、すなわち「住民を市民化する」ため
- 社会的要請 2)地方自治体が都市計画を推進して土地利用の活性化をめざすためにも、土地所有者の所有権万能観念と既得権の論理を超克することが求められた
- 土地所有者に社会の公益を発見させて「個人の社会化」を図ることが必要 →さらに地方自治体が土地利用者=消費者の論理を代表してみせるということが重要
- 「市民」概念と「国民」
- 市民化運動で提示された「市民」概念=自己限定の倫理意識を内面化させた「あるべき国民」の姿を表現していた(この「市民」は都市住民とも、制度的な存在である公民とも、ましてやブルジョワジーという意味での市民とも、異なる概念で提示される)
- これまで生成してきた「国民」=大衆ナショナリズムの増幅によって欲望を無限に膨張させることを許された、自己限定の倫理意識を欠如をさせた行政国家の消費主体として位置づけられるもの
- 市民化運動=このような「国民」概念を止揚して行政国家に対するクライアント観念としての過剰な大衆ナショナリズムを抑制し、地方自治体に向けられる<献身・奉仕・犠牲>の責任観念を喚起しつつ「あるべき国民」たる市民を育成するための規範形成をめざす文化運動
- 国体の崇高さへの敬愛の念の強調
- 「新しい国体論」 ←立憲君主的解釈を経た
- 「作為的<自然>」としての国体観
- 日本における国家は社会組織の中心である天皇が主権者となって創造した点に特徴 →天皇なければ社会はなく、主権者と国土と国民は三位一体 →主権者の政治理念は「国民愛重主義」であり、日本の国体の特殊性(黒坂勝美『国体新論』) →「個人の社会化」が格別なことでなく、日本の風土と歴史の中で自然に陶冶されてきた民族性であることを国民個々に自覚させることをねらう
- 「皇祖」の崇高性を言うことが「日本的デモクラシー」の"品質"を保証する機能を果たす →「皇室」「皇祖」の崇高性への忠誠は、民意重視と国民の生存権保障という国家理念への忠誠と同義 →∴「参政権を享有する人民」の「皇室」「皇祖」への忠誠観念の喚起が、即自的に政治参加への主体的責任観念の喚起を意味する →天皇制イデオロギーと従来呼ばれてきた国体観念は、「政治的自由の主体」を創造するためにこそ、存在理由があった