住友陽文「大衆ナショナリズムとデモクラシー」歴史学研究会・日本史研究会『日本史講座9 近代の転換』東京大学出版会 2005年 29-56頁

一 はじめに

  • デモクラシーとナショナリズムの相互補完の関係
    • 両義性が成り立つのはなぜか?
      • because. 近代=「欲望の解放」が悪徳ではないという前提において自由意志が支配する世界=自らに向けられるあらゆる強制も自らの自発性に由来することが自覚されなければならない世界 →"承認された世界"を創出するために、一定の共同体の意志を代表する機関が必要 →国民代表会議の存在が必要(自らの自発性を共同の強制に変えることができるから) →∴"承認"(デモクラシー)と"共同の強制"(ナショナリズム)は不即不離の関係にある
    • ナショナリズム;国家を利益団体たる国民共同体として描こうとする「欲望」 、デモクラシー;それに形式を与える規律と統合の役割
  • 本章の目的
    • 近代の原理に対する懐疑が生まれ、近代の原理が著しく相対化されてゆく事態を描く
      • これまでの認識:閉ざされていた政治参加の枠が日露戦争後には拡大して大衆化し、藩閥官僚制の時代かやがて民衆と議会に基礎を置いた大衆参加型の体制へと移行する ←明治憲法体制が「大正デモクラシー」の体制より明らかに矛盾に満ちたものと考えられていたから(※しかし、政治参加枠の拡大も矛盾に満ちたもの)
    • 問題設定
      • ナショナリズムとデモクラシーの不即不離の関係が近代日本においていかなるかたちで現れ、それがいかなる矛盾を経て新たな展開をみせるのか
      • そのような事態の先にいかなるかたちで国体観念やいわゆる天皇イデオロギーが関わってゆくのか
      • 設定理由;ナショナリズムとは、大衆レベルで愛国心や「正しい」国体観念が内面化されることと同義ではないから

二 国民代表制と議会政治の相剋

  • 「全国の衆民を代表する者」
    • 1890年に開設された帝国議会は厳しく制限された選挙制度。 しかし代議士は選挙区や有権者の代理ではなく「全国の衆民を代表する者」とされた(伊藤博文憲法義解』) ←国民代表を選出することは、国家全体の利益とは何かを諒解する者にしかなしえない行為とされたから
      • 衆議院議員選挙法において選挙権要件を直接国税15円以としたのは、実質的には政治参加が直接国税納付という国家義務に見合う権利であったから
      • 選挙権を行使するということは、国民の権利というよりも「憲法上の自由を培養して平和に之を享用するは実に忠良なる臣民の責務」(1890年2月山県有朋内相演説、『内務省史』第4巻)
      • 「忠良」なる臣民たらんとすることをより要請されたのは、相当の土地などの財産を有する地域エリート
    • 市町村制の原理
      • 名誉職就任が軽からざる臣民の義務とされて、市町村の「盛衰ニ利害ノ関係を有セサル無智無産ノ小民」に公民権は付与されなかった(「市制町村制理由」)
      • 政治主体とは国家利益に対する責任主体であり、それは地域社会の利害関係者でもあるという理屈 ←直接国税納税者なかんずく地租納税者=土地所有者にこだわった理由
  • あるべき国民とは
    • 明治憲法体制においては、あるべき国民とは責任ある政治主体であり、国家義務をまっとうする献身的な臣民 
    • 地域経済・産業育成の担い手である地方名望家や都市ブルジョワジーに特権的に選挙権を付与するのも、彼らの臣民としての献身性を期待したから
    • 議会の秩序は、そのような献身的な臣民によって馴致されるはず
  • 現実の議会
    • 選挙区の利益代表の集合体 ←「輿論の府」である議会の実体が地租負担者の具体的意志の総和であり、明治政府の少数専制を乗り越えようとすれば、議会が多数の象徴となる必要性があったから
    • 多数の民意が調達できれば、"政治が我が意によって変革可能である"という信念にこそ支えられるもの →具体的な民意が組織され、その数量的規模が大きくなれば、その運動に最大限の正当性が付与されることになる
  • 19世紀型代議政治
    • 具体的委任関係によって多数派形成がなされる
      • ex.地価修正運動:選挙区内の郡―町村―大字といった行政区画を単位に地租負担者の民意が調達され、利益代表たる代議士に請願成就の委任がなされる ←そこでみられる委任的原理の系譜は、民権結社からさらには18-19世紀の国訴を支えた郡中議定にまでさかのぼることができる
    • 議会に調達されてくる民意
      • 地域社会における対面的な範囲の「伝統的」関係性のなかで作られる
      • 地租軽減の信託を受けた地域代表たる代議士が組織された票によって選出された →19世紀型代議政治における民意は既得権益者の「利慾」という具体的で可視的な意志の集積
  • 衆議院議員選挙法のみ直し
    • 19世紀型議会政治:「一国全体」の「利益」を実現するうえで障害となる →帝国水準の行政を実現するためには、直接国税納税者の「利慾」を標準にするのではなく、サービスを受ける側の「利慾」を標準にする行政を確立することの必要性が自覚 →19世紀型代議政治からの脱皮 →選挙区の信託を受けた代表者ではなく、国民利益の実現を標榜する国民代表を議会に送り込むために衆議院議員選挙法の改正を試みる
    • 自己の政治への「自由意志」
      • 既得権益の保持者である地方名望家や都市ブルジョワジーによって組織された集票構造こそ選挙人の「自由意志」を阻害するものであり、愛国心こそが「不自然な多数」によって構築された作為的な政治世界から自由になるための精神にほかならない
    • 「自由」というものにもとづいた政治主体のゆくえ
      • 1900年に伊藤博文が選挙区の請託から自立した国民代表をめざして、立憲政友会を結成するが、現実には自由党(→憲政党)以来の選挙区代理の集合体としての体質から事実上脱することはできなかった

三 愛国心ナショナリズム

  • 愛国心ナショナリズムによる挫折
    • 本格的な対外戦争を初めて経験した社会に政治主体を構築するための準拠精神たる愛国心の発露を期待 →挫折
      • 原因:国家を巨大な利益団体とみなして自分はその正統的受益主体であると自覚し、国家からの生活保障を要求していく精神、つまりナショナリズムの昂揚
    • ex.日露戦争 ←国民的一体性が強固に保持されていたかのように見えていたのは実は単なる「千種万種の私情」にすぎないものであったと暴露される大きな契機
      • 日露戦争の祝捷パレードはあたかも一大国民的縮図 →野放図になりがちであっため、参加に厳格な資格;名誉職もしくは公民権を有する →「公衆ノ出入」禁止 →「歓喜の情」を発露させて祝捷の場で国民的一体性を実感しつつあった国民を非「市民」、すなわち単なる「無秩序」な群衆として排除していった
  • 日比谷焼き討ち事件:有産者層中心の公民的社会と国民的一体化を阻害する政府への反逆の意味を含んだ国民化に向けての作法
    • 群衆は非「市民」ではあったが、主観的には非「国民」ではなかった →群衆の「公憤」を代表する者が急速に政治社会のなかに要請されるようになった
      • ※この「公憤」というヨロンは、その主体が群衆であるという匿名性の強いもの →不可視で不定形なヨロン=「世論(せいろん)」が登場
      • 日露戦争=国家的奢侈 →講和反対を唱え自らにも応分の「恩賞」を要求する「世論」は、国家的奢侈が生む国家幻想が作り出したものであり、国民はそのような国家幻想を食いつぶす主体として立ち現れる
  • 日清・日露戦争はを契機に立ち現れた国民とは、政治に対する責任主体ではなく、国益を消費してゆく主体 →ナショナリズムは愛国的な献身主体ではなく、消費者としての自己形成に向けての欲望に胚胎する精神の謂。

四 代表論のゆらぎ

  • 輿論と世論の剥離
    • 日比谷焼き討ち事件から第一次護憲運動の時期;議会の輿論(議会内の多数意志)から「世論」が剥離してゆく過程 →そもそも議会の意志と「世論」が一致しないのは当然 →かつては、民意とは有産者の多数意思であり議会がそのような民意を代表していたに過ぎなかったため、一致していたと思われていた
    • 日露戦後;有産者の意思こそが民意であるとの自明性は消滅 →20世紀の政治社会に消費者代表という新たな争点
      • 片山潜;都市人口の膨張がもたらした都市問題を解決して都市社会を改良するにあたって、都市をあらゆる国民生活に必要な行政サービスを提供する法人団体として捉え、都市住民を法人の株を所有する株主と位置づける →地方公共団体が提供する行政サービスなしには都市生活が維持しえないことへの認識の表れ∧逆に地方公共団体が直接納税者だけでなく、「水道の水を使用する人口」や「汚物掃除の代価を支払う大多数」の負担によって存立していることへの認識の表れ
    • 世紀転換期の国民社会は、勤労の結果としての富を有するものが必ずしも社会代表たりえないとの社会認識が形成されてゆく時代 →勤労者や消費者がそのものとして代表されることが要請される時代の到来
  • 政治社会の構築をめぐるイデオロギー対立
    • 吉野作造
      • 民本主義;代議制の立て直しを通して議会制デモクラシーを追求するという特質をもつ →日露戦後の「世論」の登場により代表論が相対化されつつある状況への対抗原理として位置づけられる
      • 社会を多元的に代表すべきという論を許さず、代表する者と代表される者とが二元的に区別され明示されるエリート代表論を堅持 →代表者たる「優者」の専門能力が、委任者たる「劣者」の同意を得て政治的正当性を獲得することができるのが代議制 →高度な政治教育の発達を絶対条件としないという点で、大衆化社会に適合的
    • 上杉慎吉
      • 代表論のゆらぎや有機体論的社会認識を受けて現れ、代議制そのものを相対化する政治思想
      • 国民代表論自体が虚構、政党が国民代表たりうるという考え方をしりぞける →多数の意思は代表されえないため国民社会の意思を唯一表象しうるのは天皇である
      • 人類社会は「無限の欲望」を有し、そのため生存競争は尽きることはない →そのような社会において各個人が安心を得るためにこそ「無限絶対」なる存在への確信が必要 
      • 国家構想に主権の完全なる主体として天皇が位置づけられることの内在的要因;ホッブズ的自然状態に似た社会認識
    • 室伏高信
      • 吉野作造の代議制論を機軸とするエリート主義的デモクラシー論を論破しようとする
      • デモクラシー陣営から、多数決によって積み上げられた民意は国民の意思の代表とはいえないとして国民代表制を虚構の名のもとで否定
      • 民共同体の意思を体現するのは、「国民の心の価値の体現であり、その民族の歴史における徳的価値の表徴」である「日本の皇室」
  • 代議制を支える国民代表論をめぐるイデオロギー対立のなかで、日露戦後から第一次世界大戦にかけてエリートによる政治的代表論が相対化されることと平行して、天皇が「国民文化」の「表徴」として位置づけられ、事実上の国民社会の代表として地位を得ようとしていた

五 国家利益の大衆化と国民社会の再編

  • 臣民的献身の強制とナショナル・アイデンティティの自覚
    • 日露戦争では、国家は国民に向かって臣民の献身的義務を愛国心の発揚の名のもとに引き出そうとした →逆に国家が献身義務を果たした臣民に対して国民としての利益を保障しなければならない根拠を与えることになった →国家による強制的な臣民化を通じてナショナル・アイデンティティが自覚化された
    • 戦争は国民としての利益要求の主体を輩出するという意味において国家にとって諸刃の剣
    • 日露戦争以後、国民の生活保障を地方自治体が担うべきだとする世論の強大化 →地方自治体の最も重要な役割は「市民の和楽」、すなわち国民生活物心両面の慰安の保障
    • 国民社会を所有・財産というカテゴリーで認識するのではなく多元的な原理で構成される社会として認識し、その国民生活全般の保障を行政課題 =国民社会をnot既得権保有者の社会としてみる視点 but消費者の社会として見る視点 =個人の生産能力に個人の生産能力に制限があるにもかかわらず、その個人の欲望はあらゆる生産を前提として成り立つ総合的消費単位である事実の発見と同義
  • 人間の綜合的消費単位としての家族
    • 家族とは行政権力による広義の社会保障が不可欠の前提として初めて成り立つユニット
    • 家族論の争点:生活難を訴える中流家庭の家計をいかに節約しながら豊かで文化的な家庭生活を可能にするかということ →主婦が市場にでかけて買い物をするということ
      • 国家主導の科学技術政策・防犯事業・社会事業は必ずしも国民生活のスタイルを大胆に変えたわけではないが、女中と御用聞きに依存する虚栄心を排して主婦みずから買い物をする大衆文化を創出させるためには、それらの国家事業が緊要であるという世論は形成されつつあった 
      • 家族を再生・維持・継承してゆくためにこそ、強大な行政権を有する国家という団体が特権化
  • 国民の主体形成
    • 国民が家族形成に関心をもち始め、それに対して国家や地方自治体が国民の生活保障を可能とするサービスを行う →国民の行政国家への依存度を高め、国家に対する顧客意識を増幅させる →国民は行政サービスを受益する主体としての側面を強め、政治理念の選択権を掌握する責任主体ではもはやなくなる
    • 国民は<献身・奉仕・犠牲>をモットーとする愛国心という臣民的規範を回避、<欲望・要求・依存>をモットーとするナショナリズムを受容し、消費者という国民の主体形成をめざす →第一次世界大戦後の大都市を中心とする生活改善運動はそのような国民の主体形成をめざすもの

六 消費者民主制の形成

  • 普通選挙
    • 代議制の枠組みにありながらも、多元的代表論のパースペクティヴを内包していたのが普選。
    • 普選への移行の要因
      • 1)日清戦争以降、国家の行政費用が主要には直接国税収入によって支えられるという構造がくずれ、各種消費税などの間接税が大きな比率を占めるようになったこと
      • 2)地方自治体では事業収入によって財政が支えられる構造が形成されていった
    • 市財政に占める租税収入の割合が市営事業などの展開によって相対的に減退、市の財政負担者は地方有産者ではなく、行政に対する消費者たる市営事業の利用者へとシフト →市は有産者だけでなく広汎な消費者の負担を不可欠にして成り立つ構造を持ち始める  
    • 納税者以外には選挙権を付与しないという理由は合理性を持たなくなる →同時に国民というものが、行政が提供するサービスを欠いては存立しえない消費者を意味するようになる
    • ∴国民の政治意識の活性化(普選運動)ゆえ普選が必然化されたというよりも、地方自治体が「団体成員たる住民の消費的需要を充足すべき機能を有する」にいたったという実体ゆえ普選が必然化 →男子普選実施以降投票率は低下の一途、国民の政治離れがますます問題化 →こうして、消費者民主制としての普通選挙制は成立
  • 消費者民主制
    • 普通選挙制の成立 →制度的な政治参加の拡大であり、政治参加へ向けて国民の主体性が発揮されたわけではない
    • 国民と政治との隔絶を前提に、国民の生活上のニーズを行政に訴えるという構造をいかにつくるかという意図 →国民を代表する政治機関に民意を全権委任するのではなく、国民のニーズをありのままに代弁する地域組織に育成を模索するもの
    • デモクラシーは、民意の調達というものによって"政治が我が意によって変革可能である"との信念の成立のことを意味するのではなく、政治が我が意を超えた存在であることを前提に、そこからいかに我が利を得ることができるか、そのための技術となる。

七 国民の市民化

  • 大衆ナショナリズム
    • 都市的でモダンな国民生活への欲望が高まることは、確かにその欲望を満たしてくれるべき国家への所属意識=ナショナル・アイデンティティを増幅させ、その欲望を満足させてくれる限りでの、公権力としての国家の存在意義を承認し、戦時などでは国民はこのような国家と一体化する泡沫的リアリティをもった
    • いかに消費者としての国民のニーズを行政が掌握するかという課題となり代議制は相対化 →政治離れはするが、モダンな生活への欲望だけは旺盛になる国民が増大 →立憲制の文脈からも、 国民化(「客分のままの国民」)という文脈からも見直されるべき国民の在り方 →新たに国民概念の更新が要請
      • 国民国家論は、どのような回路で民衆が国民化されるかを明らかにするが、なぜ国民は創られねばならないかには答えない →「国民化される」という前提を疑う必要 →牧原は、結局「国民」とは「客分」としてしかあり得ないことを明らかにした=国民化されえない →国民国家論で争点にすべきは、「どのような回路か」ではなく、なぜかくも執拗に国民化に向けての試みの連鎖が絶えないのか
  • 市民化運動
    • 都市住民の愛市心と公共観念を涵養しようとする試み
    • 社会的要請 1)都市の人口的・空間的膨張が大都市なみ行政サービスを欲する人の急増であると同時に、「市の土地に何等の愛着心有せざる」都市住民の増大であるという危機意識社会的に醸成されたこと
      • 大都市が文化的な教養・娯楽施設の整備に勢力を注ぐ理由;消費生活たる「余暇活動」を利用して都市住民の「知能徳操の啓発善導」を行い、文化的施設を擁する地方自治体に対する愛市心を養成する、すなわち「住民を市民化する」ため
    • 社会的要請 2)地方自治体が都市計画を推進して土地利用の活性化をめざすためにも、土地所有者の所有権万能観念と既得権の論理を超克することが求められた
      • 土地所有者に社会の公益を発見させて「個人の社会化」を図ることが必要 →さらに地方自治体が土地利用者=消費者の論理を代表してみせるということが重要
  • 「市民」概念と「国民」
    • 市民化運動で提示された「市民」概念=自己限定の倫理意識を内面化させた「あるべき国民」の姿を表現していた(この「市民」は都市住民とも、制度的な存在である公民とも、ましてやブルジョワジーという意味での市民とも、異なる概念で提示される)
    • これまで生成してきた「国民」=大衆ナショナリズムの増幅によって欲望を無限に膨張させることを許された、自己限定の倫理意識を欠如をさせた行政国家の消費主体として位置づけられるもの
    • 市民化運動=このような「国民」概念を止揚して行政国家に対するクライアント観念としての過剰な大衆ナショナリズムを抑制し、地方自治体に向けられる<献身・奉仕・犠牲>の責任観念を喚起しつつ「あるべき国民」たる市民を育成するための規範形成をめざす文化運動
  • 国体の崇高さへの敬愛の念の強調
    • 地方自治体に対する社会奉仕観念と自己限定の倫理意識を説きながら、消費者の福利保障を高らかに謳う矛盾 →矛盾させないために、市民というものが国体や郷土に根ざしたものであるということを説かねばならない →「個人の社会化」(自己解放の主体が自己限定することは自然なことであり、元来その人格の内面に所与のものとして組み込まれたもの)を言うために、国土内の境界編成の自明性および地方自治体と住民との自然で「一体不二」の関係性を住民個々が認識しうる観念が必要 →これこそ、天皇と国土の由来を示した国体観念を要請した理由にほかならない
  • 「新しい国体論」 ←立憲君主的解釈を経た
    • 国体観念が強調され、万世一系天皇の神格性を表明する物語が示されたのは、天皇統治の正統性それ自体を証明し、天皇統治の絶対性を確保することが目的であったのではない →立憲君主制=君民同治の基盤となるべき主体性としての市民の準拠精神を造っておくことがねらい (※その意味で国体概念とはイデオロギーではなく、絶え間ない当為によって獲得されねばならない、未完で新しいイデオロギー)
    • 社会を個人の意思から自律的につくる →個人の内面の中に社会性を不断に発見しつづけゆくためにこそ、主権者・国土・国民が矛盾なく調和しうる文化を保持していることが日本の民族的伝統であるということを証明してみせようとした 
  • 「作為的<自然>」としての国体観
    • 日本における国家は社会組織の中心である天皇が主権者となって創造した点に特徴 →天皇なければ社会はなく、主権者と国土と国民は三位一体 →主権者の政治理念は「国民愛重主義」であり、日本の国体の特殊性(黒坂勝美『国体新論』) →「個人の社会化」が格別なことでなく、日本の風土と歴史の中で自然に陶冶されてきた民族性であることを国民個々に自覚させることをねらう
    • 「皇祖」の崇高性を言うことが「日本的デモクラシー」の"品質"を保証する機能を果たす →「皇室」「皇祖」の崇高性への忠誠は、民意重視と国民の生存権保障という国家理念への忠誠と同義 →∴「参政権を享有する人民」の「皇室」「皇祖」への忠誠観念の喚起が、即自的に政治参加への主体的責任観念の喚起を意味する →天皇イデオロギーと従来呼ばれてきた国体観念は、「政治的自由の主体」を創造するためにこそ、存在理由があった
  • 国体観念の国民の内面化
    • 国民が国体観念を内面化→天皇への臣民としての隷属性が高まる⇔政治への主体性自由主体として立ち現れる
      • 個々人の内面の問題である良心や自由が天皇の絶対不可侵性を抱く国民性・国柄に裏打ちされる →内面的「信仰」は単なる主観に留まることなく、共同信仰となる
      • 天皇の絶対不可侵性は、国土・社会・国家の成り立ちと一体の国体として説かれる
    • 近代国家(主権国家)=人びとの自発性にもとづいて構成される政治的団体 →大衆ナショナリズムが生成するなか、自発性を調整するシステムと自発性主体への懐疑が進行 →あらためてこの政治的団体を支える理性(愛国心)を誰もが持っているはずだと信念が要請された →これこそが国体観念であり、この国体観念の国民への内面化は、1920年代の大衆民主制起動の時代でこそ、必要とされる
  • ナショナリズムの過剰な自覚は愛国心の欠如を喚起し、大衆社会が現出するなかで国民の市民化という新たな国民社会の構築が試みられる =18世紀以来の日本の政治文化(既得権益保有者による多数派形成)が大きく転換されてゆくプロセス