山内昌之「ネーションとは何か ―日本と欧米の非対称性」『岩波講座 現代社会学 第24巻』 岩波書店 1996年 1-25頁

一 はじめに―ネーションの起動

  • 外からの強い圧迫が「国民」や「ネーション」を成立させる圧力
    • 「日本人」という言葉の使用は、ペリー来航によって引き起こされた近代的な「国民」の意識起動とほぼ重なる
    • ペリー来航、欧米の四国艦隊による下関攻撃、薩英戦争による敗北と領土喪失の危機→日本が「盗まれるかもしれない」という恐怖や不安を肥大化・実体化 →危機と屈辱のなかで、広く「国民」ひいては「ネーション」の成立に向けて起動
  • ネーションとは何か
    • 黒船の衝撃 →封建的支配者層に「皇国」「神州」「日本」などという超藩的意識 →「皇国」「神州」などのシンボルが超藩的な統合を目指しただけであれば、封建支配の全国レベルでの再編成につながる政策論につながるにすぎない。それだけでは、「ネーション」が現れる余地がない
    • では、ネーションとは何かという本題に入らなくてはならない。

二 ネーション・国民・民族

  • ネーションとは何か、ある集団をネーションたらしめる要素は何か との答えは難しい
    • 1)すでに外国語として多義性を持つから
    • 2)ネーションをきちんとした日本語で一語に置き換えて説明できないから
      • ネーションは、国民なのか、それとも民族なのか。あるいは国民国家と理解すべきなのか。はたまた、主権を行使する人民と考えるべきなのか。
  • 外国語における多義性
    • イギリス
      • 「ネーション」を「ピープル」(人民)と同じように使う傾向;主権の保有者としての「ネーション」は国家を管理する政府を任命する→「ネーション」の意志を実現する機関こそ国家 →∴英語でいう「ネーション」とは、政治学者が暗黙のうちに理想化してきた人的団体としての主権国家につながるもの →日本の政治学者がこの意味で「ネーション」に国民国家という訳を当てればそれは正しい
    • ドイツ
      • 「ナチオン」=「ナチオン」の統一、栄光と勝利といった抽象的で高尚な「民族」にかかわるコンセプトの独占物
      • 「ナチオン」という言葉そのものが、ドイツ人の心の中に、自らの国家をもつ強力で高度に文明化された偉大な「ピープル」(人民)という印象を呼びおこす →日本語の感覚で言えば、実体や具体性を想像させがちな「国民」よりは、精神や抽象性をはらんだ「民族」の意味に近くなる
  • ネーションという言葉は、日本語の民族と国民というコンセプトにどう関係するか
    • 「ネーションとは何か」という問題の立て方は、日本語における「国民とは何か」「民族とは何か」という問いにつながる
    • 日本では「民族」と「国民」の意味合いは明らかに違う →日本語では二つの言葉にそれなりの意味と個性がある
    • 欧米;「国民」と「民族」、「国民国家」の重なりが当然 →「ネーション」という言葉で基本的に人びとのアイデンティティ(帰属意識)を表す。
      • ナショナリティ」や「ナシオナリテ」はいずれも民族性を含蓄しているとともに、かれらが市民や臣民として属する国家を指す →人々のアイデンティティを政治目的のために「国籍」で分類することも不思議とは感じられず
      • cf.国際連合:「ユナイテッド・ステーション」=独立した主権国家として国民を抱える団体を受け入れるためにつくられた組織
    • 「民族」:文化的特徴、心理的特性の文脈 →「民族」は自然の中で「おのずから」生まれる=長い歴史のプロセスであれ、「分離」という人為的な性急さによってであれ「国民」になろうとすればなれる人間集団のまとまり
      • 「民族」という集団でなければ、「国民」として自前の主権国家をもつこともできず、国連にも加入できない →ある人びとが「民族」としてまとまることが、「主権国家の国民」になれるか否かの最低条件=「主権国家の国民」が「ネーション」の意味のひとつ 
    • 「民族」とは「国民」になれると自己決定できる人びと
  • 「民族」について
    • 「われわれは他者と違う」という「われわれ意識」や「われわれへの帰属意識」を生み出す連帯感が主観的な基準 →この枠組みは固定化しておらず流動的 →過去にはなかった「民族」が誕生したり、かつて存在した「われわれ意識」を持つ集団が他の「民族」に包含されている事例も ←この意識は<自生的・文化的>な力と<作為的・政治的>な力の互いに拮抗するダイナミックな作用と関係の中から生まれる
    • <自生的・文化的な力>
      • すでに存在していた同じ集団の中に生まれ、個人の自由意志で選択できずに養育される枠組みの総体(風土、生活条件、社会・家族制度、人間関係の在り方、言語、宗教信仰、衣食住などの慣行など)が<共属感覚>を作り出す。
    • <作為的・政治的な力>
      • 幼児期のしつけ、学校教育などで、同じ集団に属すると教えられ政治的に統合されてきた要素 →「民族」への<共属意識>を不断に再生産 →政治的独立・国家への忠誠心をつくりだす
      • <作為的・政治的>な力が働いてつくられたものが、時間を経るうちに<自生的・文化的>な性格に転化していき、それを共有する人びとの<共属感覚>を強める →人びとは<共属意識>を持つようになる
    • 現代の民族問題
      • 政治・経済の不平等、文化的な差別や偏見に対抗する →ある集団が<共属意識>から<民族意識>を形成して他者に反発を強めるところから生じる →ある対立に直面して、自らに有利な解決をはかるために、「民族」がことさら意識化されて、対立の軸が誇張される
  • ネーションの成立
    • 成立時期は定かではなく、ある時間をかけて内容や定義をめぐる論争が交わされて成立し、何度も見直される
    • 仏:「ネーション」の起源はフランス革命の「国民公会」だが、仏領内に仏語が普及し、「フランス人」としての国民意識がゆきわったのは第一次世界大戦勃発前後
    • 日:幕藩体制による地方割拠や「小国分裂」を克服して、「国民」の語を初めて一般的に用いたのは、明治四年(1871)の戸籍制定の太政官布告 →近代国家の条件として領土主権だけでなく、教育・納税・兵役などの義務を受け入れる「国民」の存在が前提 ←「国民」の意識を形成する原動力となったのは、教育と軍隊
  • 福沢諭吉徳富蘇峰の「国民」観
    • 諭吉:日本では政府がその存立を専制的に立証する手段として「国民」を必要とした →「国民」をアングロサクソン的な意味の「ネーション」(意思決定のために国家や政府を必要とするネーション)にするのが理想
    • 蘇峰:「国民」を「ナショナリズム」の文脈でとらえて積極的に論じる →「国外の警報は、直ちに対外の思想を誘起し、対外の思想は、直ちに国民的精神を発揮し、国民的精神は直ちに国民的統一を鼓吹す。国民的統一と、封建割拠とは、決して両立せざるを容さず。それ外国という思想は、日本国という観念を生ず。日本国という観念の生ずる日は、これ各藩という観念の滅ぶる日なり。各藩の滅ぶ日は、これ封建社会転覆の日なり」(『吉田松陰明治26年)

三 ネーションと共同体

  • 「エトノス」
    • 近代性と関わる「ネーション」は無から生じるわけではなく、それ以前からの歴史や伝統の基盤からつくられる
    • 「日本」における「国民」のコンセプトも日本人という古くからの「エトノス」が「国民国家」の形成に向かって蝉脱した「民族」ともいうべきアイデンティティから作られた
  • 「神々の闘争」(佐藤成基「ネーション・ナショナリズムエスニシティ」『思想』1995年8月号)
    • 人びとや領土、あるいはその双方を分類する図式として、決着のつかないネーションの定義やコンセプトから一つだけとりだすのはむずかしい →ネーションをめぐる言説の状況は、異なった定義が自らの「正統性」を主張しあう「神々の闘争」
    • ネーションというコンセプトをめぐり多様な理解が相次ぎ、それをめぐる<定義のゲーム>に決着がつかないのは、20世紀末の現実が学問の抽象的な議論よりも早く変動しており、そのスピードが早いから →「ネーション」と呼ばれる対象も、学問的コンセプトを実践的コンセプトの間でたえず揺れ動き、現実の歴史や政治のなかで変わると考えるべき
  • 「民族」、「エトノス」、「エスニー」
    • 「民族」:古い時代に混血や混交を繰り返し、民族の純潔な血というものは、フィクション、神話にすぎない →しかし、近代的な意味での「ネーション」が成立する前から、その核を伝統的につくってきた要素を忘れてはならない =通常「日本」などの固有の名称は、「ネーション」や「国民」という近代のコンセプトで考えられる前から存在(史書・伝承・文学には、そのまま現在の「ネーション」の名が用いられている場合も多い)
    • 江戸時代の庶民のなかにも「大日本」や「日本人」というアイデンティティが隠されていた ←ロシアの学者たちが最初に発展させた「エトノス」と呼ばれる要素に近い
    • 「エトノス」≒「エスニー」:愛郷心や郷土愛などを通して自然に発露する →「エトノス」「エスニー」としての「日本人」という感情がなければ、近代的な意味合いで使われる「ネーション」としての日本や日本人という表象も成立せず

四 日本と欧米のネーション

  • ルソー的な意味での「ネーション」
    • 「ネーション」;もともとフランス啓蒙思想において「市民」の政治的集合体という性格を持つ:ルソー的な意味において、フランス革命の「ネーション」は平民の利益を代弁→19世紀を通して、封建的な身分制度を否定する平民がいわゆる「市民革命」を経て平等な「市民共同体」をつくりだす革命運動と結び付けられる
      • 日本の「国民」感覚とは異なる →19世紀半ばのヨーロッパにおける「ネーション」の感覚と、同時代の幕末明治初期の日本における「国民」や「民族」の用法との間にズレがある
  • モンテスキュー的な「一般意思」としての「ネーション」
    • あるべき国家ヴィジョンとして変化の可能性を持った抽象的な政治(市民性)と重々しく決定論的な国家(国民性)を統一する考え
    • 現実の多様な社会層を平均化せずに、そのまま国家という政治的統一体に統合する →「日本人」という「エトノス」、「エスニー」を感じていた人びとが明治維新を経て近代日本の「ネーション」を獲得したといえる」
  • 「一般民衆」と「ナショナリズム運動の指導者」の互酬関係
    • 「ネーションの発生」:知識人、政治指導者の「ネーション」の発見、著述や運動による「ネーション」の宣言=ナショナリズム →ナショナリズム運動の指導者たちは、一般の民衆に「ネーション」というコンセプトを広げるだけでなく、それを「負荷」する
    • 「民衆」から出される「ネーション」感覚を「指導者」の側が巧みにとりこんで、公式の「国民」や「ネーション」の発展に吸収する
    • 「ネーション」は、その内部に同質性を保たねばならず、他方では自らの意志によって自立するものでなければならない。
  • 明治維新;日本における「ネーション」意識の誕生に関わる3つの動き:武士階級、地方名望家の中間層、一般民衆
    • 1)藩の体制を越えて、天皇に強烈な忠誠対象を置く →天皇の存在を一般的忠誠心の対象にしたことが、日本人にとって「国民」意識を形成する突破口を開くことに
      • 日本人によって形成される政治社会の主権が天皇の一身に集中されるとき、他の一切の人間は無差別の「億兆」として一般化される →諸侯・士大夫・庶民の身分差無くなる
      • 天皇への「恋闕」(敬愛)を機軸として「国民」意識の端緒をとらえる →明治国家による天皇制「国民」の制度化として完成
    • 2)在郷中間層の名望家、武士と同格の地位を求めて、同じ「国民」となる重要な契機として「平等」を求めた点
      • 国学を学びながら、やがて国事に尽瘁する気概は、眼に見えぬ神々の心のままに動作する群衆として日本人に「国民」としてのまとまりを与えたエートスに共通
      • 国学になじまなくてもナイーヴな郷土愛を組織しながら「生活防衛圏」を当然と考えた名望家の発想 =「国民」をつくる原動力
    • 3)第三身分、つまり平民がヨーロッパでいう「ネーション」を作り出す可能性
      • 慶応四(1868)年3月「隠岐コミューン」:3千人ほどの島民が松枝藩郡代を追放 →幕府や松前藩の支配の下で、国民その名義を失い、恐れながら天皇の御仁沢を頂き奉ることを忘れてきたが、外夷日々に切迫、皇国未曾有の大患に直面し、天恩を蒙ってきたことに感謝すべき機会がきた →天皇の中心性を強く強調
      • 「皇室はフランスにおけるルイ王朝ではなく、むしろそれらのコンミューン結成の目的原因というべきものであったから、恐らくそれはコンミューン連合の統一的シンボルとして、なんらかの形でネーションの中核的地位を占めることになったであろう」(橋川文三ナショナリズム』)
    • 明治維新によって、第一身分から第三身分にいたる「日本人」を名乗る各階層が、多少なりとも天皇を意識の中心に据えて「ネーション」の形成に向かおうとした
  • 天皇の存在と地方巡幸
    • 日本人が「ネーション」への変化を遂げる際、つまり「日本」という明治近代の「国家」で「国民」として成熟する際に大きな役割を果たす
    • 形成されつつある「国民」が「国家」の象徴に威信を認めることで「国家」の一体性をつくろとした
    • 交通手段が不備の時代に天皇が親しく巡幸した地理的空間は、かつての武士・名望家層・平民の差を超えて、まとまりのある領域つまり「日本」として各地の「日本人」に認識された ←巡幸は明治20年代には沙汰やみになるが、統合のシンボルとして天皇のイメージが全国的に定着したことと無縁ではない
      • この頃になって、各地で独特な言語や風俗を持つ多様な日本人が一つの「国民」としての意識を持つようになった →微細な差異があった日本各地の「エスニー」「エトノス」が言葉や兵役や教育の共通化によって、まとまった「民族」として一個の「国民」に成長していくプロセス