一 はじめに―ネーションの起動
- 外からの強い圧迫が「国民」や「ネーション」を成立させる圧力
- 「日本人」という言葉の使用は、ペリー来航によって引き起こされた近代的な「国民」の意識起動とほぼ重なる
- ペリー来航、欧米の四国艦隊による下関攻撃、薩英戦争による敗北と領土喪失の危機→日本が「盗まれるかもしれない」という恐怖や不安を肥大化・実体化 →危機と屈辱のなかで、広く「国民」ひいては「ネーション」の成立に向けて起動
二 ネーション・国民・民族
- ネーションとは何か、ある集団をネーションたらしめる要素は何か との答えは難しい
- 1)すでに外国語として多義性を持つから
- 2)ネーションをきちんとした日本語で一語に置き換えて説明できないから
- ネーションは、国民なのか、それとも民族なのか。あるいは国民国家と理解すべきなのか。はたまた、主権を行使する人民と考えるべきなのか。
- 外国語における多義性
- イギリス
- ドイツ
- 「ナチオン」=「ナチオン」の統一、栄光と勝利といった抽象的で高尚な「民族」にかかわるコンセプトの独占物
- 「ナチオン」という言葉そのものが、ドイツ人の心の中に、自らの国家をもつ強力で高度に文明化された偉大な「ピープル」(人民)という印象を呼びおこす →日本語の感覚で言えば、実体や具体性を想像させがちな「国民」よりは、精神や抽象性をはらんだ「民族」の意味に近くなる
- ネーションという言葉は、日本語の民族と国民というコンセプトにどう関係するか
- 「ネーションとは何か」という問題の立て方は、日本語における「国民とは何か」「民族とは何か」という問いにつながる
- 日本では「民族」と「国民」の意味合いは明らかに違う →日本語では二つの言葉にそれなりの意味と個性がある
- 欧米;「国民」と「民族」、「国民国家」の重なりが当然 →「ネーション」という言葉で基本的に人びとのアイデンティティ(帰属意識)を表す。
- 「民族」:文化的特徴、心理的特性の文脈 →「民族」は自然の中で「おのずから」生まれる=長い歴史のプロセスであれ、「分離」という人為的な性急さによってであれ「国民」になろうとすればなれる人間集団のまとまり
- 「民族」とは「国民」になれると自己決定できる人びと
- 「民族」について
- 「われわれは他者と違う」という「われわれ意識」や「われわれへの帰属意識」を生み出す連帯感が主観的な基準 →この枠組みは固定化しておらず流動的 →過去にはなかった「民族」が誕生したり、かつて存在した「われわれ意識」を持つ集団が他の「民族」に包含されている事例も ←この意識は<自生的・文化的>な力と<作為的・政治的>な力の互いに拮抗するダイナミックな作用と関係の中から生まれる
- <自生的・文化的な力>
- すでに存在していた同じ集団の中に生まれ、個人の自由意志で選択できずに養育される枠組みの総体(風土、生活条件、社会・家族制度、人間関係の在り方、言語、宗教信仰、衣食住などの慣行など)が<共属感覚>を作り出す。
- <作為的・政治的な力>
- 幼児期のしつけ、学校教育などで、同じ集団に属すると教えられ政治的に統合されてきた要素 →「民族」への<共属意識>を不断に再生産 →政治的独立・国家への忠誠心をつくりだす
- <作為的・政治的>な力が働いてつくられたものが、時間を経るうちに<自生的・文化的>な性格に転化していき、それを共有する人びとの<共属感覚>を強める →人びとは<共属意識>を持つようになる
- 現代の民族問題
- 政治・経済の不平等、文化的な差別や偏見に対抗する →ある集団が<共属意識>から<民族意識>を形成して他者に反発を強めるところから生じる →ある対立に直面して、自らに有利な解決をはかるために、「民族」がことさら意識化されて、対立の軸が誇張される
- ネーションの成立
- 福沢諭吉と徳富蘇峰の「国民」観
- 諭吉:日本では政府がその存立を専制的に立証する手段として「国民」を必要とした →「国民」をアングロサクソン的な意味の「ネーション」(意思決定のために国家や政府を必要とするネーション)にするのが理想
- 蘇峰:「国民」を「ナショナリズム」の文脈でとらえて積極的に論じる →「国外の警報は、直ちに対外の思想を誘起し、対外の思想は、直ちに国民的精神を発揮し、国民的精神は直ちに国民的統一を鼓吹す。国民的統一と、封建割拠とは、決して両立せざるを容さず。それ外国という思想は、日本国という観念を生ず。日本国という観念の生ずる日は、これ各藩という観念の滅ぶる日なり。各藩の滅ぶ日は、これ封建社会転覆の日なり」(『吉田松陰』明治26年)
三 ネーションと共同体
- 「エトノス」
- 「神々の闘争」(佐藤成基「ネーション・ナショナリズム・エスニシティ」『思想』1995年8月号)
- 人びとや領土、あるいはその双方を分類する図式として、決着のつかないネーションの定義やコンセプトから一つだけとりだすのはむずかしい →ネーションをめぐる言説の状況は、異なった定義が自らの「正統性」を主張しあう「神々の闘争」
- ネーションというコンセプトをめぐり多様な理解が相次ぎ、それをめぐる<定義のゲーム>に決着がつかないのは、20世紀末の現実が学問の抽象的な議論よりも早く変動しており、そのスピードが早いから →「ネーション」と呼ばれる対象も、学問的コンセプトを実践的コンセプトの間でたえず揺れ動き、現実の歴史や政治のなかで変わると考えるべき
- 「民族」、「エトノス」、「エスニー」
- 「民族」:古い時代に混血や混交を繰り返し、民族の純潔な血というものは、フィクション、神話にすぎない →しかし、近代的な意味での「ネーション」が成立する前から、その核を伝統的につくってきた要素を忘れてはならない =通常「日本」などの固有の名称は、「ネーション」や「国民」という近代のコンセプトで考えられる前から存在(史書・伝承・文学には、そのまま現在の「ネーション」の名が用いられている場合も多い)
- 江戸時代の庶民のなかにも「大日本」や「日本人」というアイデンティティが隠されていた ←ロシアの学者たちが最初に発展させた「エトノス」と呼ばれる要素に近い
- 「エトノス」≒「エスニー」:愛郷心や郷土愛などを通して自然に発露する →「エトノス」「エスニー」としての「日本人」という感情がなければ、近代的な意味合いで使われる「ネーション」としての日本や日本人という表象も成立せず
四 日本と欧米のネーション
- ルソー的な意味での「ネーション」
- モンテスキュー的な「一般意思」としての「ネーション」
- 「一般民衆」と「ナショナリズム運動の指導者」の互酬関係
- 明治維新;日本における「ネーション」意識の誕生に関わる3つの動き:武士階級、地方名望家の中間層、一般民衆