生徒「ラ抜き言葉って可能と受け身の区別でしょ?何が悪いの?」


「Omegaの視界」やってると、冬夏ちんと文法の固定観念についての雑談するよね?「食べれる」にしてるのは、「食べられる」だと「ライオンに食べられる〜」みたいな。あれって、助動詞「れる・られる」の可能と受け身の区別って考えられるんじゃない?



確かにそうだよ。その考えは正しい。それに岡山弁とか広島弁で普通に「食べれる」っていうしね。そもそも「正しい」日本語なんて存在しないし。「国語」ってのは国民国家の国民統合手段だし、「創られた」ものだって。日常生活では「食べれる」を遣うが良い。ただし、「正しい」日本語は存在しないが、「規範的な」国語は存在するぜ。だから、公文書やフォーマルな会話では「食べられる」にした方がベターだね。



じゃあ、何で「食べれる」ダメなん?



その理由は学校文法で説明できる。「れる」という助動詞は「ア段」に接続するという決まりになっているのだ。だから五段活用とサ変に「‐レル」つけてみ?



五段だと「書く」とか?「書かレル」ってなるのかな。それとサ変だから「プレイする」もあり?「プレイさレル」だね。「‐レル」の前を伸ばすと「書かァ‐レル」、「プレイさァ‐レル」となってる。スゲェ。



じゃあ上一段と下一段とカ変でもやってみ?こいつらは「‐ラレル」が接続するんだ。


えっと上一段だと「見られる」、下一段だと「食べられる」、カ変だと「来られる」かな?「‐ラレル」の前を伸ばすと「みィ‐ラレル」、「たべェ‐られる」、「こォ‐られる」ってなるわね。これがどうしたっていうのよ。


さっき「れる」の前には「ア段」になるって説明したよな。「られる」で考えないで、「れる」で考えるとどうなる?


???えっと、「みらァ‐レル」、「たべらァ‐レル」、「来らァ‐レル」ってなる。・・・「られる」で考えるとマチマチだったけど、「れる」に着目すると「られる」の「ら」が伸ばすと「ア段」になってる?すげぇ。



そう。なんで「ラ抜き言葉」がダメかというと、「れる」が「ア段」に接続するという理由からだったんだね。だから「見れる」、「食べれる」、「来れる」にしちゃうと、「見ィ‐レル」、「食べェ‐レル」、「来ォ‐れる」ってなっちゃって、「ア段」接続じゃなくなってしまうんだ。だから「ラ抜き言葉」ダメって言われてるわけ。正しい日本語とかじゃないんだよ。決して。



ふ〜ん。そう考えるとナルホドって感じかも。こういうのをきちんと説明して欲しいものよね。